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きれいだった。

 おはよう、と肩を叩かれた朝の昇降口。

 振り返るとトワコだった。珍しくひとりでいる。

 しかし驚いたのは、すっかり様変わりした彼女の髪型だった。

「えへへ。イメチェン」

 そう言ってトワコは笑い、髪の毛をくるくると指に巻き付ける。

 いつもポニーテールだったから分からなかったが、結構髪が長いのだ。胸まで伸びたその髪の毛には緩くパーマがかかっていた。

 白い肌に丸い目。そしてくるくるした長い黒髪。

「人形みたいだ」

 そう言った俺の言葉をどう捉えたのか、トワコは照れたように笑った。

 冬休みの間に一体何があったのか。

 それともこれはもしや、一条の影響?

 女がパーマをかける時、それはどういう心境の時なのだろう。



 教室までトワコと並んで歩いていると、廊下にいたみんながチラチラとトワコを見る。

 トワコはそんなものどってことない、なんて顔をして冬休みの出来事をペラペラと話していた。

(なんか、一条みたいだな)

 人の視線に堂々としているトワコを見ると、そんなことを考えてしまった。

 すると、彼女はいきなり話を止め俺を見ては、何とも言えない苦笑いを溢す。

「何か……結構勇気いるね、こういうの」

 彼女はただ一言、ぽつりと呟いた。







 ざわついた教室。

 久しぶりに会うクラスメイトが多い中、適当に新年の挨拶を交わしているところに一条がやってきた。

 一瞬、教室中が静まり返る。

 彼女は変わらぬ茶髪にピアス。そして紺色のハイソックスだ。

 様変わりしたトワコの方をちらりと見たが、特に何の言葉もなかった。

 けれどなぜかトワコは、まるで褒められた子供のように満足そうな顔をしていた。

「あいつら、仲直りしたの?」

 清田がたずねてくるが、俺には分からない。

 トワコはもう周りの友達とのお喋りに夢中だし、一条も一条で静かに席に着くだけだ。

 俺は久しぶりに会う一条に緊張しながらさりげなく声を掛けた。

「一条、おはよう」

「……あぁ、うん」

「?」

 いつもとどこか違う気がするのは単なる気のせいだろうか。

 何だか一条を取り巻く空気が、一層冷たくなったように感じて胸騒ぎがした。

 自分の席に戻って思い出してみる。冬休みに入る直前に彼女と交わした会話を。

 援交をカミングアウトしても少しも動じなかった一条の横顔と、今の一条は同じようで全くの別人に見えた。

 冬休みの間に何かあったのだろうか。

 彼女の、心が、揺れてしまうようなことが。








「抜き打ちで服装点検をします」

 大きな声でそう言い、教室に入ってきたのは生徒指導の有田先生と付き添いで女の先生。少し前に一条とちょっとしたいざこざがあった美術の山本先生だ。

 みんな一斉に動揺し、あちこちで批判の声が上がったが、有田先生の馬鹿デカい喝ですぐに静かになった。

 有田先生はラグビー部の顧問で、体も大きく生徒の間では恐れられているのだ。

 強力なバックを連れた山本先生が、一条の方をチラリと見た。

 みんな縮こまっている中で、一条はやはり興味がなさそうに窓の外を見ている。

「今から名前を呼ぶ生徒は起立しなさい」

 山本先生が言った。

 呼ばれたのは、トワコと一条を初めとする女子数人だった。

 男子はひとりもいなかった。そもそも学ランでお洒落しようなんて奴はこの学校にはそういない。できても腰パンか、色のついたシャツを見えないように着るくらいだ。

 相手が女子ということもあり、全て山本先生が指導にあたった。有田は教卓で腕を組み、反抗する生徒が出ないよう睨みを利かせているだけだ。まぁ、それだけでも十分な破壊力なのだけど。

 スカートが短い、ミサンガを外しなさい、などと一人一人注意を受ける中、トワコの番がきた。

「髪の毛、パーマかけてるわね」

 山本先生が何か用紙にチェックを入れた。

「はい」

「明日までに元に戻してきなさい。あと、長い髪は結ぶか切ること」

「……」

「返事は?」

「……はい」

 今まで服装点検に引っ掛かることのなかったトワコだったから、みんなの前で立たされて緊張したのだろう。

 着席する彼女はとても弱々しく見え、少しかわいそうになった。

 そしてとうとう一条の番がきた。

 山本先生がゆっくりと一条の前まで歩く。

 教室中に緊張が走った。誰もが好奇と不安をそちらに向ける。

 もう既に起立しているのは一条ひとりだった。

「あなたは……」

 一通り一条の姿に視線を走らせたあと、山本先生は呆れたように言った。

「どういうつもりで学校に来てるの?」

「……」

「そんな格好して、みんなを混乱させて」

「……混乱?」

 嘲笑うように一条が答えた。有田の眼が鋭くなる。

「染髪、ピアス、化粧、靴下、スカートの丈。こんなにチェックがつくのはこの学校で一条さんだけよ」

「そうですか」

「恥ずかしいと思わないの?」

「さぁ」

「親の顔が見てみたいわ」

 山本先生が放った言葉に誰もが息を呑んだ。有田でさえ動揺を見せた。

 一条に親がいないことは生徒も先生もみんなが知っていた。もちろん山本先生だって知っているはずだ。

 明らかに一条に対する宣戦布告だった。

「とにかく、明日までに全て校則通りに直してきなさい」

「……」

「一条さん、返事は……」

 先生が言い終おわるより先に、一条がクスクスと笑いはじめた。先ほどの嘲笑いとは違い、本当に可笑しくて堪らないという感じだった。

 みんな何事かと一条を見る。先生も困惑した表情を見せた。

 ひとしきり笑ったあと、彼女ははっとするほど綺麗な顔で微笑んだ。

「いいですね、全部持ってる人は」

「え?」

 山本先生が眉間に皺を寄せる。

 一条が続けた。

「用意された環境で、ただ与えられたことをやるだけで、こんな風に上から目線で他人を馬鹿にできるんですから」

 俺は心臓を掴まれた気分になった。どうして彼女は、こうも敵を作ってしまうのだろう。

 その言葉にいち早く反応したのは有田先生だった。

「教師に向かってなんだその口の利き方は!」

 雷が落ちたのかと思うくらいにビリビリと響く怒鳴り声。みんなびくりと肩を震わせた。

 しかしふとトワコの方を見ると、彼女は真っ直ぐ姿勢を正して一条の姿を見つめていた。

「あなたには特別に指導が必要ね」

 教室から連れていこうとしたのだろう。山本先生が一条の腕を掴む。しかし彼女はそれを振り払う。

 一条の猫のような眼が二人の大人を睨み付けた。

「教師? 言葉は高尚ですね。聖職気取りですか。そもそも、あんたら大学を卒業してそのまま学校に就職した、ただの世間知らずだろーが。大した不遇も知らないで、そんな奴らが親の顔が見たいだの夢がどーだのと偉そうに説いてんじゃねーよ」

 一条の言葉に、誰もが言葉を呑んだ。

 教室が静まり返る。

 何か言おうとした有田先生だったが、その口からは言葉にならない息が漏れただけだった。

 と、その時。山本先生の手が動いたかと思えば、それは勢いよく一条の頬をぶった。

 音はしなかった。思わず目を詰むってしまったので、どういうカタチデ当たったのかは分からない。

「山本先生!」

 やっと有田先生が焦り始める。

 ざわざわとみんな騒ぎ始めた。

 ぶたれた一条は、ゆっくりと顔を戻して乱れた前髪を整えた。

 興奮しているのは山本先生の方だ。大変なことをしてしまったという気持ちよりも、怒りが収まらないという感じだ。

 一条は冷静だった。

「知ってますか?」

「……」

「適切な言葉を知らない人間が、暴力に頼るんです」

「……」

「泣くほど、悔しいですか」

 山本先生の目には涙が溜まっていた。充血した眼で、一条を睨んでいる。

「確かに私には親はいません。家族も、自分の家も持ってません」

「それは……」

「何も持っていないことは不幸なんだと、そう思った人間だけが、それをハンデとして背負うんです」

「……」

「先生。私は、平気ですよ。馬鹿にされても、何があっても、私は、絶対に変わらない」

「……」

「それで……先生。私を見下せるほど恵まれた環境にいる先生には、何が、ありますか。できることって、何ですか」







 それから、騒ぎを聞きつけた他の先生が、山本先生と一条を教室から連れていった。

 結局、山本先生は一条の質問には答えなかった。



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