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甘い匂い

 季節は冬。授業は英語。

 サッカー部の清田が当てられて英文を読まされている。

 だけど馬鹿だからstrawberryが読めなくて困っていた。教室のあちこちから、クスクスと笑い声が漏れる。

「はい、清田くんもういいです。座って」

 先生が呆れたようにそう言うと、清田はヘラヘラと笑いながら着席した。

 やっぱりアホだなー、と誰かがからかう。うるせーと清田。そのあとすぐにつられて笑う周りの奴等。

 教室に流れる、いつもの平和で穏やかな空気。春の木漏れ日のように、生温くて柔らかい。

 俺も小さくちぎった消しゴムを冗談で清田に向かって当てる。バーカ、と言うと、清田は変な顔をしてまたみんなを笑わせた。

 しかしみんなで作り出したその雰囲気は、先生の次の言葉によってがらりと変わってしまった。

「一条さん、どこ見てるんですか」

 一気にみんなの視線が、窓際に座っている女子生徒に向かった。俺の斜め前の席にいる、一条あやねに。

「ちゃんとノートをとっていますか? さっきから外ばかり見つめていますが」

「……」

 誰も何も言わなかった。もちろん、笑っている奴などもういない。誰もが鉄火面の如く表情を隠す。

 クラス中がしんと静まり返ると、先ほどの和やかさはあっという間に消え、緊迫感が漂い始めた。

 いつもみんなの揚げ足を取るようなムードメーカーの奴でさえ、一条あやねが絡むとしらんぷりを決め込む。

 名指しで注意を受けた一条あやね本人はというと、他人事のようにすましている。彼女はただ、ぼうっと窓の外を見つめるばかりだ。

 何を見ているのだろうと、俺もつられて視線をスライドさせるが、変わったものは特にない。隣の校舎と、いちょうの木があるだけだ。

「そんなことじゃ、どの高校にも行けませんよ」

「……」

 彼女は先生の方をちらりとも見ようとしない。

 もちろん怒られても他の女子みたいに俯いて顔が赤くなったりなんかもない。

 口をきゅっと閉じ、形の良い鼻筋を見せつけるかのように堂々と顔を上げている。

 何も答えないと諦めたのか、先生は眉間に皺を寄せたまま授業を再開した。

 するとみんなもまた、何事もなかったかのように一斉に体を黒板の方に向け直す。

 廊下側の席からこそこそと話し声が聞こえるが、内容までは分からない。

 俺はホッとした。

 こういうとき、何故か全然関係ない俺のような傍観者の方がハラハラしてしまうものだ。

 この女は色んな先生に目をつけられているが、みんなの前で何を言われてもいつも平気そうにしている。

 言い返したりはしないけど、今みたいに無言の抵抗をするのだ。

 俺には、だからなに? とでも言っているように見える。タフな女だ。

 変な奴――

 頬杖をついた女の背中を見ながら、俺は心の中で呟いた。

「一条ってなんか怖えーよな」

 後ろの席の雅人がそっと耳打ちしてきた。

 俺は曖昧に頷き、再び一条を見る。

 風に靡いた彼女の髪。

 ふと鼻をかすめたのは、甘い匂い。色に例えると、物凄く鮮やかなピンク。

 彼女がいつも引き連れている香りだ。







 一条あやねは、一ヶ月前にうちのクラスに転校してきた。

 全学年の生徒が100人程度しかない田舎の中学校には、転校生なんて滅多にいない。

 それも、東京から女の子が来るらしいということで、その日の朝の教室はちょっとした騒ぎになったのを覚えている。

 俺も例外なく、新しいクラスメイトにわくわくしていた。

 口にはしないが、男子は全員、可愛い子だったらいいな、なんて密かに思っていたはずだ。

 クラスはまさに歓迎ムードだった。

 そしていざ、朝のホームルームで担任と一緒に入ってきた女を見て、誰もが口を閉ざした。

「東京から来ました。一条あやねです。どうも、よろしくお願いします」

 そんなこと微塵も思っていないけど、という顔をしたまま彼女は頭を少しだけ下げた。

 まるで無理矢理言わされたかのような挨拶だった。

 しかしみんなが絶句したのはそんなことが理由ではない。

 彼女の風貌が、みんなには異色として写った。

 てっぺんから茶色い髪の毛に、短いスカート。

 靴下は白と校則で決まっているのに、彼女は紺色のハイソックスを履いていた。

 その上ピアスまで開いているようだ。肩まで下ろした髪の毛の間から、耳にキラリと光るものが見えた。

 当然うちの学校に、そんな派手な奴はいない。

 いたとしても、三年生にほんの数人といったところだ。

 ましてや、まだ一年の俺達には、彼女のその姿は随分と生意気で滑稽に見えた。

 しかし中には、彼女の整った顔立ちにただ見とれただけの奴もいただろう。

「では一条さんはあそこの席に」

 担任の田中先生が指差したのは、ひとつだけ空いている窓際。

 初日だからなのか、彼女の格好を咎めることはなかった。

 一条あやねは30余名の視線を浴びながら、狭い机の間をしっかりした足取りで歩いていく。誰もが彼女を振り返り、着席と同時に視線を反らした。









 一ヶ月経った今でも、一条あやねは誰とも馴染めていないようだ。

 いや、彼女の方が俺達と馴染もうとしていなかった。

 いつも一人で、つるむことはしない。トイレも移動教室も一人で行く。

 しかしかといって寂しそうな顔は微塵も見せず、何を考えているのか想像もつかない。

 彼女の校則違反について、生徒指導の先生がいくら怒鳴っても、少しも気にする素振りを見せない。

 当然のごとく次の日もその次の日もピアスをつけ、紺色のソックスを履き、茶色い髪の毛で堂々と登校してくる。

 誰が話しかけても上の空。心ここに在らずといった感じ。

 こうして生徒からも、教師からも、一条あやねは腫れ物のように扱われていった。








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