第9話【審査】議長の眼と死の引落日
その場にいた全員のカードが、一斉に悲鳴のような電子音を上げた。 「……天利、議長……」 黒須銀次の震える声が、地下通路の湿った空気に溶ける。先ほどまで世界を買い叩かんばかりの傲慢さを見せていた天才の顔は、今は恐怖で青白く引き攣っていた。
頭上に浮かぶ巨大な「眼」——多目的監視ドローン『パノプティコン』から投影される天利の姿は、あまりに実体感がなかった。穏やかな微笑、整えられた銀髪。しかし、その背後にある圧倒的な「信用の質量」が、物理的な重圧となって透たちの肺を圧迫する。
『おや、銀次君。君のカードが泣いているよ。……少しばかり、使い方が「乱暴」すぎたようだね』
天利の視線が銀次に向けられた瞬間、銀次の背後にいた「黒い霧の異形」が、音もなく霧散した。 同時に、銀次のダイヤモンド・カードから眩い火花が散り、その表面の輝きが一段階、暗く沈む。
『ユニオンは、無能な浪費家を嫌う。……君の枠を三割、一時的に「凍結」させてもらうよ』
「な……三割!? 議長、待ってください! 僕はただ、このバグ持ちのゴミを掃除しようと——」
天利は銀次の言葉を遮るように、視線を透へと移した。 その瞳に射抜かれた瞬間、透は心臓が「決済」されるような錯覚に陥った。胸元の白いカードが、これまでにないほど激しく熱を帯びる。
『そして、君が……神城健一の息子か。……健一君は、素晴らしい「負債」を遺していった。私ですら未だにその全容を把握しきれない、底なしの可能性をね』
「……親父を知ってるのか。……答えてくれ、このカードは何なんだ! 親父はどこにいる!」
透は消えかかった右腕を振り回すようにして叫んだ。 天利は慈悲深い神のような笑みを浮かべ、ゆっくりと首を振る。
『それは君自身で証明すべき問いだ。……神城透。君が今手にしている「制限解除」の力は、御影の令嬢による一時的な不正に過ぎない。君という存在に、それだけの「枠」を受け止める器があるかどうか……それを試させてもらうよ』
天利が指をパチンと鳴らす。 瞬間、透の視界に、血のように赤い「カウントダウン」が出現した。
『——特別審査を開始します』 『引落確定日まで:残り72時間』 『要求支払額:3,000,000円』
「三、三百万……!? さっきより増えてるじゃねえか!」
『この三日間で、君が「本当の意味で」稼いだ信用のみを、私は評価する。他人からの施し(ジョイント・アカウント)ではない、君自身の価値でだ。……もし一円でも足りなければ、その時は君の全ログを抹消し、お父様のチップも私が「回収」しよう』
「待ちなさい、議長! それはあまりに不公平だわ!」 脳内に、璃子の悲痛な叫びが響く。だが、天利は静かに、しかし絶対的な拒絶をもって通信を遮断した。
『璃子さんも、少しやりすぎだ。……御影の家名を汚さぬよう、君もまた、自分自身の「支払い」に集中したまえ』
天利のホログラムが、ノイズと共に消えていく。 同時に、銀次を包んでいた「高密度与信障壁」も消失した。銀次は屈辱に顔を歪ませ、地面に唾を吐いた。
「……神城……透。……命拾いしたな。だが、天利議長に目をつけられたお前は、もう死人と同じだ」
銀次は私兵たちを引き連れ、足早に闇の奥へと消えていった。枠を三割削られた彼は、今や九十九の追跡から身を守るための与信さえ惜しいのだろう。
静まり返った地下通路で、透は崩れ落ちるように膝をついた。 右腕の透過は止まったが、代わりに、心臓の奥底から「利息」を削り取られるような、鈍い痛みが這い上がってくる。
「……三百万。……たった三日で、俺にどうしろってんだよ」
「……透」 ナギが歩み寄り、透の肩に手を置いた。その手もまた、微かに震えている。 「……天利は、この街の『神』だよ。アイツがそう決めたなら、街中の全端末が、あんたを『不良債務者』として弾き始める。正規の仕事なんて、一つも受けられない」
透は、手の中の父のチップを強く握りしめた。 チップの表面に刻まれた微かな温もりだけが、今、彼がこの世界と繋がっている唯一の証拠だった。
(本当の署名……。父さんの言ってた、その意味が分かれば……)
その時、透のカードに、璃子からの短いテキストメッセージが届いた。 音声ではなく、ログに残らない秘匿回路を使った、震えるような文字。
『……ごめんなさい。私の独断のせいで、あなたを追い詰めた。……でも、一つだけ方法があるわ。……「信用」を稼ぐのではなく、誰からも見放された「ゼロ」の場所でしかできない決済が』
透は顔を上げた。 視界の端では、死へのカウントダウンが、一刻一秒を刻み続けている。
『残り時間:71時間58分』
現在のステータス: 神城 透
残高:2,500円(※御影璃子との接続が天利により強制解除)
負債総額:3,000,000円(特別審査対象)
信用スコア:測定不能(ブラックリスト登録直前)
状態:心臓部への与信侵食、身体的疲労(重度)、父の遺言を一部保持
第10話へ続く:【延滞】沈黙する街と、ゼロの署名




