第8話【買収】上限なき資本の嵐
「『一億円』。……僕が今、あくびを一回する間に稼いだ額だ。君の全人生を百回買い叩いてもお釣りが来るね」
黒須銀次が指先で弄んでいるカード——『ユニオン・インフィニティ・ブラック』が、周囲の光を吸い込むように鈍く輝いた。その輝きは、単なる貴金属のそれではない。この都市において、数億、数兆の「信頼」を独占する者だけが放つ、暴力的なまでの質量だ。
銀次の背後に控える私兵たちが、一斉にデバイスを展開する。 それらはユニオンの正規支給品ではない。黒須家が資本力に飽かせてカスタマイズした、規約の限界値を強引に引き上げる外装式ブースター。 発せられるプレッシャーだけで、透の消えかかった右膝がガクガクと震えた。
「ナギ……下がってろ」
「バカ言わないで。あんた一人じゃ、あの金持ち坊ちゃんの『お遊び』の一撃で蒸発しちゃうよ!」
ナギは言いながら、自作デバイスのコンソールを狂ったように叩く。 だが、銀次の周囲に展開されている「高密度与信障壁」は、ナギの放つハッキング・ノイズを紙屑のように弾き飛ばした。
「無駄だよ。僕の『枠』は、君たちの住むこの汚い下水道の価値すべてを上回っている。世界そのものが僕を信じているんだ。……さあ、商談を始めようか」
銀次が優雅な動作でカードを宙に放った。 【決済:Sグレード・スキル『ゴールデン・アセット(黄金の資産)』。利用額:15,000,000円】
刹那、地下通路が黄金の奔流に飲み込まれた。 それは物理的な衝撃波ではない。あまりに膨大な「価値」の流入による、現実空間の強制書き換えだ。 壁が、床が、そして透自身の肉体が、金色のデジタル・データへと変換され、銀次のカードへと「回収」されようとする。
「……ぐっ、あああああ!」
透の右腕が、肘から先まで完全に透き通った。 存在の希釈化。銀次の圧倒的な資本力の前に、透という「泡沫債務者」の存在証明が、一文字残らず抹消されようとしていた。
『神城くん、今のあなたは、大企業の買収に抗う個人商店のようなものよ』
脳内に、璃子の冷静な——しかし、どこか焦燥を含んだ声が響く。
『資本の差は、そのまま「存在できる時間の差」に直結する。このままだと、あなたは彼の一部として取り込まれ、そのチップも永遠に闇の中よ。……手は一つだけあるわ』
「……また、借金かよ……」
『いいえ。……「第三者割当増資」。……私の「信用」を、あなたのカードに直接紐付ける。これによって、あなたのカードの「格」を一時的に偽装するのよ』
「……そんなことしたら、あんたまで九十九やユニオンに睨まれるぞ!」
『……ふふ、あいにく、私はもう手遅れなのよ。あなたの心臓の音を聞かされた時からね』
璃子の声と同時に、透の視界に青い契約書が展開された。 それは、御影璃子の個人的な与信枠を、神城透という「負債の塊」に全額担保提供するという、正気の沙汰ではない契約だった。
『——御影璃子の与信枠を接続。……一時的な「共同名義」を構築します』 『カード・グレードを一時的に「ダイヤモンド」に昇格。……現在の利用可能残高:制限解除』
「な……っ!? バカな、御影の小娘が僕に対抗して『枠』を投げ出したというのか!?」
銀次の顔から余裕が消え、不快げに歪んだ。
透の全身に、爆発的な熱が走った。 消えかかっていた右腕が、激しい火花を散らしながら実体を取り戻す。いや、実体ではない。それは璃子の冷徹な理知と、透の泥臭い意志が混ざり合った、眩いまでの「純白の輝き」だ。
「……黒須銀次。あんたの金がどれだけ高く積まれてようが、俺を買い占めることはできない」
透は、父のチップを左手に、右手に『断罪の銀剣』を具現化させた。 だが、その剣は以前とは違っていた。刃の表面に、細かな、しかし緻密な「規約」の文字が刻まれている。
「……行くぞ、一括清算だ!」
透が踏み出す。 銀次が慌てて追加の決済を行おうとするが、璃子が提供した「格」の偽装により、銀次の障壁にわずかな綻びが生じていた。
その瞬間——。 透は、銀次の背後に「誰か」がいるのを見た。 それは銀次の私兵ではない。 黒い霧のような姿をした、目も口もない異形。その異形は、銀次がカードを切るたびに、銀次の背中から何かを——金銭ではない、もっと「魂」に近い何かを、ズルリと引き抜いていた。
(……あいつ、何に支払ってるんだ!?)
衝撃の光景に一瞬、透の剣筋が鈍る。 そこを銀次の黄金の弾丸が掠め、透の肩を焼いた。
「ハハハ! 終わりだ! 貧乏人は、数字の中で溺死してしまえ!」
銀次が狂ったように笑いながら、さらに巨大な決済を宣言しようとしたその時。 地下迷宮の全域に、耳を劈くような警告音が鳴り響いた。
『緊急通告:第十四区地下において、大規模な「与信の衝突」を検知』 『——「ユニオン監視規約・第零条」に基づき、介入を開始します』
頭上のコンクリートが、紙のように易々と剥がされた。 そこから降りてきたのは、九十九ですら、ガモンですら、そして銀次ですら形容できない「巨大な眼」のようなドローン。
そして、そのドローンから投影されたホログラムの影。 この街の絶対的統治者、ユニオン議長・天利。
『……騒がしいですね、私の庭で』
天利の穏やかな、しかし世界の終わりを告げるような声が響いた瞬間、銀次の黄金も、透の白銀も、すべてが凍りついたようにその動きを止めた。
現在のステータス: 神城 透
残高:制限解除(御影璃子との共同名義 / ※実質的な借金は天文学的数字に)
信用スコア:測定不能
状態:右腕の再構成、璃子の与信とリンク中、天利との接触
第9話へ続く:【リボ払い】議長の審査と死の引落日




