第4話【リボ】終わらない返済の迷宮
「……なんだ、その面は。借りてきた猫じゃあるまいし、もう少しシャンとできないのかよ」
地下鉄の湿った風が吹き抜けるホームで、フードの人物が鼻で笑った。 透の前に立つその小柄な影は、ぶかぶかのマウンテンパーカーの袖から、無数の配線が露出したグローブ型の端末を覗かせている。
「あんたが、璃子の言ってた案内役か?」
「璃子? ……ああ、あのお高くとまった『令嬢様』ね。私はナギ。あんたみたいな『優良誤認』の素人と組まされるのは心外だけど、前払いのポイント(報酬)は受け取っちゃったからさ。仕事はするよ」
ナギと名乗った少年——あるいは少女は、自嘲気味に肩をすくめた。 ナギの手首にある違和感だらけの読み取り機が、チカチカと不規則な緑の光を放っている。それはユニオンの正規端末が発する安定した白光とは対照的な、病的な輝きだった。
「行くよ。第十四区の『深層』へは、正規の改札を通っちゃいけない。与信情報を辿られて、回収局の犬どもが即座に飛んでくる」
ナギはそう言うと、ホームの端にある、古びたメンテナンス用通路の扉を蹴り開けた。 透は背負わされた「利息の重圧」に膝を震わせながら、その背を追う。
階段を下りるほどに、空気は淀み、壁には物理的な「落書き」が増えていく。 上層区では考えられない光景だ。この世界において、壁を汚すという行為は、その土地の資産価値=信用スコアを下げる重罪。それが放置されているということは、ここがすでにシステムから見放された「空白地帯」であることを示していた。
「……ナギ、一つ聞きたいんだけど」
暗闇の中、透は自分の鼓動に混じる電子音を意識しながら問いかけた。
「さっき、俺のことを『優良誤認』って言ったのはどういう意味だ?」
「言葉通りの意味だよ。あんたのカード、スタンダード・ホワイトのくせに、変な『ノイズ』が混じってる。……普通、低ランクのカードはもっと『静か』なんだ。決済してない時は、ただの板。でも、あんたのそれは……まるで心臓みたいに、常に一定のクレジットを消費して『何か』を維持しようとしてる」
ナギが立ち止まり、背負い袋から奇妙な形をしたゴーグルを取り出した。
「ほら、見なよ。これが今のあんたの『影』だ」
渡されたゴーグルを装着した瞬間、透は息を呑んだ。 視界に広がるのは、数値化された世界。 通常、人の背後にはその者の与信残高が白い数字で浮かぶはずだ。だが、透の背後から伸びる影は、赤黒い鎖のようなコードが幾重にも絡みつき、地面へと深く突き刺さっていた。
「それは『リボ・チェイン』。……御影の令嬢、あんたに何を教えた? 分割決済なんて聞こえのいい言葉を使って、実質的には『リボ払い』と同じ永久債務の術式を組み込んでるよ」
「……リボ……?」
「毎月の支払額を固定する代わりに、元金が減らずに手数料だけが膨らみ続ける地獄の決済。あんたが今背負ってる『重圧』は、ただの利息じゃない。あんたの『存在そのもの』を担保に、次々と新しい負債を上書きして延命してる音だよ。その鼓動のノイズは、あんたの命がデータに変換されるカウントダウンだ」
透の血の気が引いていく。 璃子は「投資」だと言った。だが、その本質は、透を壊れるまで使い倒すための、底なしの融資。
「……っ、アイツ、最初から俺を……!」
「怒る暇があるなら、とっととチップを回収しな。今のあんたの残高じゃ、一回まともにスキルを使っただけで、その鎖が全身に回って動けなくなる。……ほら、着いたよ。ここが『スコア・マーケット』だ」
ナギが重い鉄扉を開くと、そこには眩いばかりのネオンと、怒号のような喧騒が広がっていた。 高架下の広大な空間に、無数の露店がひしめき合っている。売られているのは、身分証の偽造データ、出所不明の強化パーツ、そして——他人のカードから奪い取った「残高」。
「いいかい、ここでは『信用』なんて言葉は忘れな。信じられるのは、目の前にある『現物』だけだ」
ナギが人混みの中へ消えていく。 透は自分の胸元に手を当てた。そこにある白いカードが、先ほどよりも一層冷たく感じられる。
(利用額、マイナス四十六万。暫定枠、残り一万。……そして、止まらない利息)
数字の暴力が、透の精神を削っていく。 その時、マーケットの大型モニターが突然ノイズに覆われた。
『——市民の皆様、ご安心ください。ユニオン回収局が、現在このエリアの「不適切決済」を浄化中です』
冷徹な、しかし聞き覚えのある声。 執行官・九十九のものと思われるアナウンスが響くと同時に、マーケットの入り口が次々と封鎖され始めた。
「ちっ、もう来やがった! 回収局のトップ、九十九だ!」
ナギが叫ぶ。 逃げ惑う群衆の中で、透は一人の男と視線が合った。 マーケットの最奥、山積みにされたハードディスクの椅子に座る、豪奢な毛皮を羽織った男。 その男の傍らには、透のカードと同じ「白」だが、どこか不気味な文様が刻まれたカードが置かれていた。
「……へぇ。面白い『ゴミ』が紛れ込んできたな」
男が指を鳴らすと、透の視界の端にある「暫定枠:10,000円」の数字が、みるみるうちに削り取られていく。
『警告:外部からの強制決済を検知。サービス利用料として 5,000円 を徴収します』
「なっ……何もしないで、金が減った……!?」
「ようこそ、少年。ここからは、呼吸するだけで金がかかる『本当の社会』だ」
未解決の負債、璃子の真意、そしてマーケットを包囲する回収局。 絶体絶命の包囲網の中で、透の「心臓」が、ひときわ大きく、バグったような電子音を奏でた。
現在のステータス: 神城 透
残高:4,820円(暫定枠・減少中 / 負債:473,500円 ※利息により増加)
信用スコア:Gランク(リボ・チェイン拘束状態)
状態:精神的動揺(強)、心拍数異常(ノイズ増幅)、強制徴収による残高流出
第5話へ続く:【チャージバック】虚飾の商談と逆転の署名




