第19話【徴収】一万人の執行官と、泥濘の階段
エレベーターが地上のメインロビーへ辿り着き、その重厚な扉が開いた瞬間、透たちが目にしたのは「静止した地獄」だった。
広大なロビーを埋め尽くしているのは、純白の戦闘服に身を包んだ一万人の執行官部隊。その手には、九十九が持っていたものと同系統の、高出力の決済ブレードが握られている。だが、奇妙なことに、誰一人として動こうとはしなかった。
「……何だよ、これ。歓迎会にしては静かすぎねえか?」
ガモンが引きつった笑いを浮かべ、包帯の巻かれた腕でカードを構える。しかし、彼のカードからは聞いたこともないような不協和音が鳴り響いていた。
「違う……動かないんじゃない。動けないんだ」
ナギがデバイスの画面を見て、戦慄の表情を浮かべる。 「透……あんたの『一京円の負債』が、この空間の与信リソースを全部吸い上げてる。……あいつら、武器を起動するための『決済』が通らないんだよ! 今、このビルの中じゃ、呼吸するだけの与信さえあんたに徴収されてる!」
透が最初の一歩をロビーに踏み出す。 その瞬間、最前列にいた執行官の一人が、苦悶の声を上げて膝をついた。彼の持っていたブレードは光を失い、ただの鉄屑となって床に転がる。それどころか、彼の白い戦闘服さえも、透が近づくにつれて砂のように崩れ、灰色のノイズに変わっていく。
「……俺が歩くだけで、こいつらの価値が消えるのか」
透は自分の「右腕だった場所」から溢れ出す黒い霧を見つめた。 それは、触れるものすべてを強制的に「債務不履行」へと引きずり込む、泥濘のような闇だ。
「神城くん、気をつけて……」 璃子が透の左腕を支えながら、鋭い視線をロビーの奥へと向けた。 「天利議長は、彼らを戦わせるために配備したんじゃない。……一万人分の『存在価値』をあなたに吸わせることで、あなたの痣を……その『鍵』を、完全に開花させようとしているのよ」
「……あいつ、最初からそのつもりで……」
「——察しが良いね、御影の令嬢」
ロビーの巨大モニターが一斉に点灯し、天利の顔が映し出された。 彼は、まるでコレクションの成長を喜ぶ愛好家のような、どこまでも純粋で残酷な微笑みを浮かべている。
『透君、君という「特異点」を維持するには、莫大な担保が必要だ。……一万人分の人生。それを君が喰らうたびに、君の中の「一京円」は現実味を帯び、世界を塗り替える力へと変わる。……さあ、階段を上がってきなさい。君が一段登るごとに、このビルの一層が「ゼロ」になるだろう』
「……ふざけんな!!」
透は叫び、跪く執行官たちの間を駆け抜けた。 戦いではない。それは、自分という存在が周囲の命を「徴収」していく、地獄のような行進だった。 透が通り過ぎるたび、強靭な肉体を持っていたはずの執行官たちが、力なく倒れ、そのカードが黒く焦げ付いていく。
「くそっ、これじゃどっちが敵か分からねえな!」 ガモンが影を操り、通路を確保しようとするが、その影さえも透の放つ黒い霧に食われ、歪にねじ曲がっている。
サキは唇を噛み締め、透の背中を追った。 「透! 意識を逸らさないで! 飲み込まれたら、あなた自身も『数字』に還元されて消えるわよ!」
「分かってる……分かってるけど……ッ!」
透の脳裏に、倒れていく執行官たちのログが直接流れ込んでくる。 彼らの幼少期の記憶、守りたかった家族、積み上げてきた小さな信用。 それらがすべて、一京円という巨大なマイナスの渦に飲み込まれ、透の「右腕」の欠損を補うようにして、不気味な黒い実体を形作り始めていた。
一階、二階、三階。 階段を上がるたび、背後のフロアからは光が消え、完全な静寂が支配する「無の空間」へと変貌していく。
そして十階に到達した時、一行の前に、一人の男が立ちはだかった。 一万人の部隊の中で唯一、膝をつかずに立っている男。
「……九十九」
透が足を止めた。 九十九の身体は、すでに半分以上がサイボーグのように機械化され、その全身から、強制執行用の真っ赤な高圧電流が漏れ出している。
「神城透。……貴様を『不良資産』としてではなく、『世界の敵』として再登録した」
九十九の声には、もはや感情のカケラもなかった。彼は、天利によって「一京円の徴収」に耐えうるだけの臨時与信を流し込まれた、使い捨ての防壁と化していた。
「九十九……あんた、そんな姿になってまで……」
「執行官に、私情は不要だ。……貴様の歩みを止め、ここで『全額回収』する。……たとえ、この銀行が崩壊しようとも」
九十九がその巨大なロングカードを、自分の胸の痣に直接突き刺した。 赤い閃光が走り、銀行全体の電力が彼の一振りに収束する。
その背後、最上階へと続く階段は、もはや物理的な実体を失い、光と闇が混ざり合う「規約の濁流」と化していた。
【世界の違和感:メモ】
一万人の生贄: 天利は透に執行官たちを「吸収」させ、透を完全な「原初の債務者」へと進化させようとしている。
九十九の変貌: 与信リソースを物理的な防御力へ変換した、無理矢理なパワーアップ。彼の寿命はもう長くない。
現在のステータス: 神城 透
残高:-1,000,000,012,500,000円(※吸い取った執行官の数だけ負債が深化)
信用スコア:【APOCALYPSE(終焉の徴収者)】
状態:右腕が「黒いノイズの腕」として一時的に具現化、感覚の麻痺が全身に拡大
同行者:璃子、ナギ、サキ、ガモン(※透の汚染を防ぐため、一定の距離を保たざるを得ない)
第20話へ続く:【清算】九十九の最期と、剥がれ落ちる空




