第14話【無効】銀行の門番と、物理的な暴力
都市の心臓部、中央銀行『ユニオン・コア』。 その威容は、上層区の他の高層ビル群とは一線を画していた。窓が一つもなく、鈍色に沈んだ外壁は、さながらこの世界の全与信を閉じ込めた巨大な墓石だ。
「……いつ見てもムカつく建物だぜ。ここに入るには、最低でもBランク以上の与信オーラが必要だ。今の俺たちが行けば、入り口の防衛システムが自動的に『焼却』を開始する」
ガモンが皮肉げに口角を上げた。彼の欠けたカードは、銀行から漏れ出す高密度の与信波に反応し、弱々しい警告音を繰り返している。
透はフードを深く被り、銀行の正面玄関を見据えた。 視界の端では、死のカウントダウンが冷酷に時を刻んでいる。 『引落確定日まで:残り43時間18分』 リボ払いの負担は、心拍数が上がるごとに透の存在を希釈し続けていた。今や右足の感覚はほとんどなく、自分の意志ではなく「システムの慣性」で歩いているような、薄ら寒い感覚があった。
「正面突破はしない。サキ、例の場所は?」
「……ここよ。銀行が『廃棄物』を処理するための搬入口」
サキが指し示したのは、ビル裏手の、重厚なチタン合金のシャッターだった。 そこには読み取り機すらない。あるのは、物理的な錠前と、不気味なほど静まり返った監視カメラの群れだ。
「ナギ、いけるか?」
「任せてよ。電子ロックなら苦労するけど、こういう『前時代的な物理錠』こそ、僕の自作デバイスの出番だ」
ナギがシャッターの隙間に極細の光ファイバーを通し、コンソールを叩く。 その間、透は隣に立つガモンに問いかけた。
「……ガモン、さっき言ってた『負債の変換』ってのは、どういう意味だ。この痣が、力になるのか?」
ガモンは透の胸元を指差した。 「いいか。ユニオンの連中が使うスキルは『信頼』の証明だ。だが、負債ってのはその逆……『未達成の約束』のエネルギーなんだよ。溜まりすぎれば自滅するが、爆発の方向さえ制御できれば、規約そのものを物理的にブチ破る火薬になる。……要は、自分の絶望に値段をつけて、ぶん投げるのさ」
自分の絶望に、値段をつける。 透はその言葉を反芻した。父が遺した『本当の署名』、そしてこの痣。 すべては、数字に支配されたこの世界を、数字そのもので破壊するための仕掛けなのか。
「——開いたよ! 急いで!」
ナギの声と共に、シャッターがわずかに持ち上がった。 一行が滑り込むように中へ入ると、そこは異様な光景だった。 山積みにされているのは、エラーを起こした古いカードの山、そして「差し押さえ」と書かれた札が貼られた、かつての人々の生活の残骸——ピアノ、名画、子供の玩具。
「……全部、誰かの支払いの末路か」
透が呟いたその時、広大な集積所の奥から、重低音の駆動音が響いた。
「——未認可の物理的侵入を確認。……当エリアは現在、『不良資産・焼却フェーズ』にあります」
現れたのは、四本の腕を持つ警備用のアンドロイドだった。その顔面には巨大な読み取り機が埋め込まれており、赤いレーザーが透たちを走査する。
「……あいつ、カードを持ってない!」 ナギが悲鳴を上げる。
「当然だ。銀行の最深部を守るのは、カードを持たない『無機質な規約』さ。……透! こいつにはチャージバックもキャッシングも通用しねえぞ!」
ガモンが包帯の巻かれた腕で、自身の欠けたカードを強引にブーストさせた。影の触手がアンドロイドに絡みつくが、機械の剛力はそれを容易に引きちぎる。
アンドロイドの腕が、超高振動のブレードへと変形し、透の首筋を狙って振り下ろされた。
(……動け……! 足の感覚が……!)
透は右足の麻痺で一歩が遅れる。 その瞬間、胸の痣が焼けるように熱くなった。
『——警告。強制引落を検知。……徴収対象:右足の運動神経』 『リボ決済不履行につき、一時的に機能を「無効化」します』
「……っ、ふざけんな!!」
透は叫んだ。 奪われるのが規約なら、その規約ごと叩き斬る。 彼は『断罪の銀剣』を具現化させようとしたが、今の残高では刃すら形成できない。
「ガモン! 絶望の値段ってのは……こうか!」
透は剣を具現化する代わりに、自分の「負債」という重圧そのものを、右手に握りしめた。 銀色の輝きではない。父の声、サキの覚悟、璃子の震える声、そして自分の無力さ。 それらすべてが、黒い霧のような、歪な「質量」となって透の手首を覆う。
「……喰らえ!!」
透が放ったのは、剣筋ですらない、ただの殴打だった。 だが、その拳がアンドロイドの装甲に触れた瞬間、機械のボディが「腐食」するように崩れ去った。物理的な破壊ではなく、存在そのものの価値が「ゼロ」へと強制上書きされたかのような崩壊。
【規約外決済:『負債の鉄槌』。……利用額:自己の存在確率 3%】
「……ハァ、ハァ……っ」
アンドロイドは物言わぬスクラップと化し、透は膝をついた。 右腕の透過が、今度は肩のあたりまで一気に進んでいる。
「……やりやがった。本当に、負債を『暴力』に変えやがったぜ」 ガモンが戦慄の表情で透を見下ろした。
だが、安堵の時間はなかった。 アンドロイドが崩れ落ちた背後、地下へと続く巨大なエレベーターの扉がゆっくりと開く。
そこから現れたのは、九十九ではない。 だが、九十九と同じ、あるいはそれ以上の冷徹さを纏った、黒い僧衣のような服を着た老人だった。
「……神城健一の息子か。……銀行の地下三階へ行こうとする者は、三十年ぶりだ」
老人の手には、カードではない、一冊の「古い通帳」が握られていた。
「……私はユニオンコアの門番。……神城透、君がそこへ辿り着くには、君自身の『全人生の価値』を、ここで清算して見せねばならない」
老人が通帳を開いた瞬間、集積所にあったすべての「差し押さえ品」が、透たちを包囲するように浮き上がった。
【世界の違和感:メモ】
銀行の門番: ユニオンの執行官とは異なる「銀行独自の守護者」の存在。
負債の鉄槌: 決済を「消費」ではなく「破壊」として利用する能力。使用するたびに透の身体が「データ」として消えていく。
現在のステータス: 神城 透
残高:-8,004,500円(※移動、及び戦闘による自動徴収)
信用スコア:【ERROR: ZERO-POINT】
状態:右腕・右足の深刻な透過、胸元の痣が変色(成熟度55%)
同行者:ナギ、サキ、ガモン
第15話へ続く:【凍結】通帳の真実と、存在の清算




