第11話【チャージ】約束の重さと、灰色の雨
「……キャッシュ(現金)だと? 時代遅れの紙屑に縋って何ができる」
装甲車の上で、九十九が冷徹に言い放った。彼の掲げる純白のロングカードが、臨界電圧に達したプラズマのような音を立てて鳴動している。 対する透の手元では、灰色の女から託された古びた硬貨が、白いカードの表面で磁石に吸い寄せられるように静止していた。
「紙屑かどうかは……あんたのその『規約』に聞いてみてくれよ、九十九」
透が硬貨を親指で弾き、カードの中央へ押し込む。 その瞬間、電子的な決済音ではない、重厚な鉄の扉が閉まるような音が路地に響き渡った。
『——外部物理アセットを検知。入金プロセスを開始します』 『入金額:測定不能。……エラー。通貨単位がユニオン規約に存在しません。……代替処理:『信託』として受理』
「なっ……何だ、そのログは」
ナギがゴーグルを抑えながら絶叫する。透のカードから溢れ出したのは、青白く無機質な光ではない。焚き火のように揺らめく、暖かくも力強い「橙色の輝き」だった。
「九十九! あんたが守ってるその『規約』は、いつ、誰が決めたものだ! 親父が言ってた……数字になる前の、ただの約束。俺は今、その重さを『チャージ』したんだ!」
「黙れ。不確定要素は排除するのみだ」
九十九がカードを両手で挟み、力任せに押し潰す。禁忌の全与信解放。 【決済:特殊執行スキル『絶対清算』。利用額:一括償還につき無限】
装甲車を中心に、すべてを「白」に染め上げる清算の波動が放たれた。それに触れた建物は瞬時にその価値を剥奪され、ただの立方体へと変貌していく。 ナギが目を閉じ、死を覚悟したその時。
「——受け取れ。これが俺の、最初の『署名』だ!」
透がカードを垂直に振り下ろした。 橙色の輝きが路地を裂き、九十九の「白」と正面から衝突する。 轟音。そして、雨が降り始めた。 空から降ってきたのは、水ではない。燃え尽きたデータの灰——灰色の雨だ。
「……ぐ、あああああ!」
透の右腕が激しく火花を散らす。透過していた部位が、橙色の光を芯にして無理やり実体へと編み直されていく。 九十九の「絶対清算」が、透の周囲でだけ霧散していた。いや、透が「現金」という実体を持ち込んだことで、世界のすべてを数値化しようとする規約の論理が、一瞬だけ麻痺したのだ。
「……規約が、通らない? 私の執行が……拒絶されただと?」
九十九が呆然と自分の手元を見る。純白のカードは、中心からひび割れ、そこからどす黒い「負債の煙」を噴き出していた。
「九十九、言っただろ。俺の残高は今『ゼロ』だ。……失うものが何もない奴に、あんたの取り立ては通用しない」
透は息を乱しながらも、一歩前へ踏み出した。 だが、その足取りは重い。チャージした「橙色の光」が、透の体力を凄まじい勢いで食いつぶしていた。
「……そこまでよ、少年。欲張りすぎると、そのコインに心を食われるわ」
キャッシュ派の女が透の肩を叩き、強引に翻させた。 彼女の背後から、いつの間にか数台のバイクが音もなく現れていた。
「……ナギ、乗れ! 九十九が立ち直る前にここを脱出するわよ!」
「あ、ああ……! 透、急いで!」
ナギに引っ張られるようにして、透はバイクのタンデムシートに飛び乗った。 走り去るバイクの背後で、九十九は動かなかった。彼はただ、自分を拒絶した「橙色の残光」と、降り頻る灰色の雨を、彫像のように見つめ続けていた。
数十分後。 一行が辿り着いたのは、第十四区のさらに深部。地下鉄の廃路線を改造したと思われる、キャッシュ派の隠れ家だった。 そこにはユニオンの端末も、ホログラムの広告も、決済の電子音もない。 ただ、オイルの匂いと、古い発電機が回る重低音、そして——。
「……ここが、ゼロの場所か」
バイクを降りた透は、その場に崩れ落ちた。 カードはすでに元の白さに戻っている。だが、表面に刻まれた「肉筆のサイン」のような文様だけは、消えずに残っていた。
「……助かったわね。でも、本当の地獄はこれからよ、神城透」
女がコートを脱ぎ捨て、透の前に立った。 「私の名前はサキ。あなたの父親……神城健一に、かつて『命の与信』を救われた女よ」
サキの言葉に、透は意識が朦朧とする中で顔を上げた。 「親父に……救われた? あいつは、借金だけ残して消えたクズ親父じゃなかったのか……?」
「健一は……この世界の『仕組み』に気づいた。そして、それを壊すための『鍵』を、あなたの中に隠したの」
サキが透の胸元を指差す。 その視線の先、透の肌に、カードの文様と同じ形の「痣」が浮き上がり始めていた。 それは決済のたびに、透の心臓へと深く根を伸ばしているようだった。
「……っ、これ……何、だ……」
「それは『与信崩壊』の苗床。……天利議長があなたに三百万の審査を課したのは、あなたを殺すためじゃない。……あなたの中にある『鍵』を、絶望という名の負債で、成熟させるためよ」
その時、隠れ家のモニター(それはブラウン管の骨董品だった)がノイズと共に点灯した。 映し出されたのは、真っ白な空間に座る御影璃子の姿。 だが、彼女の周囲には無数の監視員が立ち、彼女の両手には「凍結」を意味する光の錠前が嵌められていた。
『……神城くん……逃げて。……御影はもう……私の味方じゃないわ……』
璃子の悲痛な声が途切れる。 次に画面に現れたのは、冷酷な笑みを湛えた天利議長の顔だった。
『素晴らしい支払だったよ、神城透。……さあ、二日目の審査を始めようか。君の大切な「協力者」が、完全な債務不履行に陥る前にね』
『特別審査:残り46時間10分』 『追加条件:御影璃子の「保釈金」5,000,000円を、併せて支払うこと』
総額、八百万円。 透は、自分の中の「痣」が、不気味に脈打つのを感じた。
現在のステータス: 神城 透
残高:0円(チャージ分は九十九との戦いで枯渇)
負債総額:8,000,000円(※特別審査+璃子の保釈金)
信用スコア:なし(エラーコード:ZERO)
状態:胸元に『与信崩壊』の痣が発現。身体的損耗(極大)。
第12話へ続く:【リボ】保釈金と、裏切りの令嬢




