夢現
家族の繋がりの物語。貴方は日々の喧騒で家族の繋がりを疎かにしていませんか?是非、たくさんの人に目を通していただけると幸いです。
変わりのない毎日。満員電車に揺られて帰って、適当なもん食って、寝る。
会社では上司に小言言われて、ろくな提案もできない。俺の夢を叶えるために入った会社なのに、どうしてこうも俺の世界は無色なんだ。こんな生活続けてて意味があるのか?一体いつから、俺の人生の色はなくなってしまったんだろう。
「ハァー...」深いため息をつきながら、いつものように目を閉じる。
―「行かないでくれ母さん!!」飛び上がり、目が覚める。気付けば目から涙が出ていた。そうか、思えば俺の人生の色がなくなったのはあの日からだった。
俺の母さんは、俺が小さくてまだひらがなの書き方もままならない時に父さんが事故に巻き込まれてあの世にいってしまってから、女手一つで俺たち姉弟を育ててくれた。
俺も姉ちゃんも、母さんのことが大好きだった。姉ちゃんも母さんと似てすごく優しかった。喧嘩したこともない。姉ちゃんは、俺が中3の頃に結婚のため、家を離れた。かなりはやい時期の結婚だった。俺は姉ちゃんも好きだったので離れるのは寂しかったが、新婚生活を応援することしかできなかった。しかし、地元での同居生活で、まぁまぁな頻度で帰ってきてくれたから、そこまで寂しくはなかった。
対して俺は、別に頭が悪い訳ではなかった。だが、勉強は嫌いだった。なので、適当にしていても卒業は出来るような高校に入学した。勉強に煩わされたくなかったのだ。唯一興味があった勉強といえば、パソコン関係だろうか。そこまで頭の良くない高校だったため、入学前はある程度覚悟を決めていったのだが、入学して驚いた。頭はそれほど良くないが優しい人がほとんどだった。難関の資格を取るすごい人もいた。しかし、昼休みには動物のような叫び声や笑い声が聞こえてくる。正体は野球部。まるで動物園に来ているかのようだった。
特に最悪なのは学校行事だ。俺は初年度の頃は盛り上がりに期待を膨らませながら学園祭や体育祭に出席したものの、何が楽しいのか、なんのためにやっているのか理解出来なかった。そのため、学校行事だけはそれ以降全部休むことにした。期待することをやめたのだ。
テストはちゃんと授業を聞いていれば80点は取れる。そのため、特に勉強などせずにアルバイトに勤しんだ。俺の父さんは平社員よりは上のポジションだったらしく、貯蓄もあったため、おかげでこれまで不自由なく生活をすることは出来たのだが、これまで何度も母さんが我慢しているところを見てきた。俺は、母さんに我慢なんかさせたくなかったんだ。それと、お小遣いでこれまで毎年母さんの誕生日と母の日に欠かさずプレゼントを渡していたけど、もうちょっと良いものをあげたかったんだ。
アルバイト先で、人間関係が終わると詰むことは理解していたため、人間関係は良好になるよう努めた。学校生活に愛想を尽かし、学校ではほぼ一言も喋らず、周りは優しく接してくれるがグループには入れず、友達という友達もいない俺でも、人間関係が良好にいったのは、おそらく俺が仕事が出来たからだろう。
同年代と仲良く出来て、一緒に仕事上がりに飯を食べる。間違いなく良い思い出だ。これも青春と言えるだろうか。
アルバイト代が入り、一番にやったことは母さんとの旅行だ。母さんは、俺が小さい頃から休みもほぼ取らずに働いてくれていた。ある時、姉ちゃんが母さんに聞いたんだ。
「どうして、父さんの蓄えもあって余裕もあるのに、そんなに働くの?」と。そしたら母さんは
「親というのは、子供に少しでも良い生活をしてほしいものなのよ。」と。俺だって、母さんに良い生活して欲しかった。ちゃんと休んで欲しかったから、温泉旅行に連れて行った。母さんはとても喜んでくれた。とても嬉しかった。プレゼントは質より気持ちだとよく言うが、俺は欲張りたい。心を込めたプレゼントでも母さんはすごく喜んでくれるし、俺も嬉しくなるけど、それじゃ俺が納得出来なかったんだ。もっと母さんが心の底から喜んでくれて、俺も心の底から嬉しくなる。そんなプレゼントをずっとあげたかったんだ。自己満足?そうかも知れない。でもやっと、俺の願いが叶った。
そして、日々は過ぎ高校卒業。俺は進学することにした。県外だ。離れたくなかった。家を出る前日、布団で泣きまくった。翌日、空港で母さんは笑顔で送り出してくれた。だから、俺も笑顔で行くことにした。なぜ、県外にしたのかって?俺は夢がある。母さんみたいに片親で、しかももっと苦しい生活を余儀なくされている家庭はきっとたくさん居るだろう。そんな家庭を少しでも良い生活が出来るようにしてあげたい。良い専門学校が地元には無かったのだ。定期的に実家に帰省はして、社会福祉の資格勉強。勉強は嫌いだが、こういう夢のための勉強は違う。新年とゴールデンウィーク、お盆は姉ちゃんも子供を連れて帰ってくるし、絶対に欠かさずに帰省した。会社に入社した後も絶対に欠かさずに帰省していた。姉ちゃんの子供は、流石の血筋だなと思うほど顔が整っていた。まだ小さくてしっかりと話したことはないのだが、この子供たちが大きくなるのが楽しみだった。
そして、専門学校で勉強を必死にして資格は無事取れて今の会社に至る。そう、そんな夢と希望をもって今の会社に入ったはずだった。母さんが孤独死したと連絡が来るまでは。
はぁ、絵が描けたらな...