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初めての「あーん」

>セーブポイント『穏やかな昼休み』からロードします。


脳内に響く無機質なシステムメッセージと共に、俺の意識は再び昼休みの喧騒に満ちた教室へと引き戻された。目の前にはクラスメイトたちの好奇の視線に、どこか落ち着かない様子で弁当箱を開けようとしている月奈がいる。

(戻った…!)

これが今日初めてのロードだ。体の怠さはあるがまだ耐えられる。

俺は先程の屋上で絶望に染まる彼女の横顔を思い出し、固く拳を握りしめた。

(もう、あんな顔はさせない…!)


俺はすぐに行動を開始した。

「…あのさ、雪白さん。よかったら屋上で食べないか? ここより静かだから」

一周目と同じく月奈は一瞬驚いた顔をしたが、教室中の視線には耐えかねて小さく頷く。

俺と月奈は連れ立つようにしてざわめく教室を脱出した。屋上へと続く階段を上り重い鉄の扉を開ける。ここまではあの最悪なループと同じだ。


屋上のフェンスから少し離れた日当たりの良い場所に俺たちは並んで腰を下ろす。

俺は息も絶え絶えに必死で頭を働かせる。

(追い払うんじゃない。逃げるでもない。トンビの行動原理を読め。あいつの目的はなんだ? そうだ、あのタコさんウインナーだ。月奈の大事な弁当、その象徴。あいつのヘイトを俺が引き受けるしかない…!)

それは自分で言うのも何だが、俺が持つ優しさから来る自己犠牲的な作戦だった。


運命の時。空に大きな影が現れ、ピーヒョロロ!と甲高い鳴き声が響き渡る。

俺はトンビが急降下してくる完璧なタイミングで、自分の弁当から一番大きくて美味しそうな唐揚げを一つ箸でつまんだ。

月奈が「きゃっ!」と悲鳴を上げて身をすくめる。俺はその彼女を庇うように立ち上がった。

「危ない!」

俺は月奈の前に立ちはだかり空に向かって叫ぶ。

「そら、持ってけ!」

そして狙いを定めて、その唐揚げを自分たちから少し離れた場所へ高く放り投げた。


トンビは優が投げた唐揚げに一直線に向かい、空中で見事にキャッチすると満足げに一声鳴いて飛び去っていった。

月奈の周りでは何も起こらなかった。スカートがめくれることも弁当がひっくり返ることもない。

(やった…!完璧だ!今度こそ乗り切った…!)

俺が勝利を確信した、その瞬間だった。


>不運バッドイベントを検知。スキル【フラグ上書き】を発動します。


脳内に無慈悲なシステムメッセージが響き渡る。

(なんだ、今度はうまく行ったはずだろ!? 不運なんてどこにも…)

システムは俺が「自分のおかずを失った」という事実を、【不運】としてきっちり検知していたのだ。


俺はその場にへたり込みそうになるのを必死でこらえる。そしておかずが一つ減った自分の弁当箱を見て「はは…やられたな」と力なく笑った。

月奈は無傷の自分の弁当と俺の弁当箱を、信じられないものを見るように交互に見つめている。そして顔を真っ赤にして俯いた。


「……私の、せいだ…」

「いや、雪白さんは悪くないよ。鳥が食いしん坊だっただけだから」

「でも…あなたの唐揚げ…」

「いいって。俺別に唐揚げが一番好きってわけでもないし」

大嘘だ。男子高校生の弁当のメインディッシュと言えば唐揚げ以外にありえない。

俺の言葉を遮るように、月奈は自分の弁当から真っ赤なタコさんウインナーを少し乱暴に箸でつまんだ。

そしてぷいっとそっぽを向きながら、その箸を俺の口元にぐいっと突き出す。


「……ん」

「へ?」


俺がそのあまりに素っ気ない一文字を理解できずにいると、彼女はさらに顔を真っ赤にして苛立ったような声を上げた。


「だから口開けなさいって言ってるの!ほら!あーんして!」


それは甘い響きとは程遠い、半ばヤケクソになったような命令形の「あーん」だった。

俺はその気迫とあまりの可愛さに思考がフリーズする。

(……まさか。これが今回の【フラグ上書き】の結果だって言うのか!?)

「…な、何してるのよ、早くしないとまた鳥が来ちゃうでしょ!」

しどろもどろな言い訳と共にタコさんウインナーがさらに俺の唇に押し付けられる。


俺は心臓をバクバクさせながら、おそるおそるそのウインナーを口に含んだ。

その瞬間、口の中に優しい味が広がる。

それはこれまで食べたいかなるご馳走よりも美味しかった。

あまりの美味しさと胸に込み上げてくるどうしようもない嬉しさに、俺の視界が不覚にも滲んだ。

ぽろり、と一筋の涙が頬を伝う。


「…うまい…」


俺がそう呟くと月奈は驚いてぱちくりと目を瞬かせた。

「え…な、泣いてるの…?」

「ち、違う!これはその…汗だ!」

「こんな状況で汗かくわけないでしょ! …そ、そんなに美味しかった…?」

彼女の声は心配と、そしてほんの少しだけ自分の料理を褒められたことへの嬉しさが混じっているようだった。彼女はまんざらでもないといった表情で自分の弁当に視線を落とす。


そのあまりに純粋な俺の反応に、彼女のクールな仮面が音を立てて砕け散ったのかもしれない。

月奈は自分の感情に気づかないまま、ふわりと花の咲くような笑顔でとんでもないことを口にした。


「…そっか。そんなに言うなら…。明日、あなたの分も作ってきてあげようか?」


「えっ!? ほんとに!? マジで!? 作ってくれるのか、雪白さんが、俺のために!?」

俺が子犬のように目を輝かせて食いついた瞬間、月奈ははっと我に返った。

自分の言った言葉の重大さに気づき、その顔がみるみるうちに真っ赤に染まっていく。


「なっ…!? ち、違う!勘違いしないで!今のナシ!全部忘れて!」

「あ、あたしはただその…! あなたのお弁当が鳥に食べられて可哀想だなって、ちょっと思っただけで…!」

「別にアンタのために作りたいとか、そういうのじゃ断じてないんだから!」


しどろもどろに絶叫に近い声で言い訳をする彼女。

その姿があまりにも、あまりにも可愛くて。

俺はこの幸せな光景を永遠にセーブしておきたいと心の底から願った。


そして照れ隠しのように今度は星形の卵焼きを箸でつまむと再び俺の口元に差し出した。

「…こっちも食べなさいよ。残したら許さないんだから」


俺は彼女の不器用な優しさに、もう何も言えなかった。

ただ差し出された卵焼きをありがたく口にする。

青空の下二人で一つの弁当を分け合う。

それは俺がどんなギャルゲーでも経験したことのない、最高に幸福で穏やかな時間だった。


「…この卵焼き、少し甘いんだな。俺、好きだわこの味」

俺が素直な感想を言うと、月奈は「ふん」と少しだけ得意げに鼻を鳴らした。

「うちの家の味付けだから。あなたの口に合って光栄ね」

「じゃあタコさんウインナーは?」

「…っ! だからあれは彩りだって言ってるでしょ!」

顔を真っ赤にして抗議する彼女を見て、俺たちはどちらからともなくふふっと笑い合った。


その瞬間、俺の脳内にピコン♪と祝福の音が響き渡る。

>『実績:初めての「あーん」』を解除しました。



その頃。

学校から少し離れたビルの屋上で一人の男が超望遠レンズを付けたカメラを構えていた。

ファインダーの中心にいるのは、屋上で親密そうに弁当を分け合う時枝優と雪白月奈の姿。

男は月奈が優に「あーん」をする瞬間を、カシャリと音を立てて写真に収める。


液晶画面に表示された幸せそうな月奈の笑顔。

それを見て男は暗く粘つくような瞳を細めた。


「ユキちゃんが…あんな男と笑っている…」

「僕だけに見せてくれた、あの笑顔じゃなかったのか…?」


男は持っていたグラビア雑誌をギリと強く握りしめる。


「許さない……絶対に許さないぞ…。君を、僕だけのユキちゃんを、あんな汚い男から必ず取り戻してあげるからね…」


二人がこれから迎える新たな【不運】の影が、すぐそこまで忍び寄っていた。

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