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ずぶ濡れの女神と、二度目の絶望

世界が真っ白な光と共に巻き戻る。月奈の罵声、俺の情けない弁明、彼女の甲高い悲鳴。その全てが逆再生されていく。


「はっ…!」


気がつくと俺は自宅の玄関に立っていた。ドアノブにまだ手はかかっていない。

ズキリとこめかみが痛み、ロードの代償で体が鉛のように重い。脳裏には先ほどまでの最悪の記憶と、光が消えた彼女の瞳が生々しく残っていた。

(戻った…!本当にやり直せるんだ…!)

安堵と同時に俺は自分の犯したミスを冷静に分析する。前回のループでの敗因は明らかに俺の稚拙な嘘だ。「人違いだ」なんてパニックになったとはいえあまりにも頭が悪すぎる。あれで好感度が上がるギャルゲーがあったら教えてほしい。

彼女は俺が「事故の時に自分を助けて消えた少年」だと認識している。この事実を否定するのは悪手だ。ならば今回はどうする?

俺は数多のギャルゲーで培った知識を総動員してこの難関イベントの最適解を導き出す。そうだ、否定しない。認める。そしてこちらの素性を明かして怪しい人間ではないと誠実に伝える。これしかない。


俺は数回深呼吸をして心の準備を整えると、意を決して玄関のドアを開けた。


向かいの家の玄関の前に彼女は立っていた。夕暮れの光を浴びる白いワンピース姿の完璧な美少女。

彼女がこちらを向き二人の視線が交差し、涼しげな瞳がありえないものを見るかのように大きく見開かれた。

俺は彼女が何かを言う前に先手を取った。


「あ、あのっ!」

思わず裏返った声が出て俺は口ごもる。落ち着け俺。ここでしくじったらもう次はないかもしれないんだぞ。

「え…?」

俺の奇妙な挙動に月奈の表情に困惑が浮かぶ。

「あなた…あの時の…。私を突き飛ばして…それで、消えたはず…」

「ご、ごめん!いきなり!その、ビックリさせたよね!俺は時枝 優!この家の者です!」

俺はパニックになりながらとにかく頭を下げた。

「君を突き飛ばしたのは本当にごめん!でもトラックが来てたから危ないって思って…!その後のことは俺にもよく分からなくて…!」

「でも!ストーカーとかそういう怪しいものじゃない!ただの近くに住んでる高校生だから!」


必死の、そしておそらく人生で最も支離滅裂な自己紹介。

月奈はまだ警戒を解いていない。だがその瞳から先ほどのループで見た「恐怖」や「嫌悪」の色は消え、純粋な「混乱」と「疑念」だけが残っていた。

「……」

長い沈黙の後、彼女は怪しみつつも小さく口を開いた。

「……雪白。雪白月奈。…こちらこそ…」


やった…! 最悪の事態は回避した!

彼女は会話はもう終わりと判断したのだろう、くるりと俺に背を向け玄関に置かれた段ボール箱の一つに向き直った。


(きたな…!ここだ。前回のループで俺が絶望した運命の分岐点。この行動パターンは完全に同じ。ということは次に来る『不運』のフラグも…!)


彼女は前回と同様「ワレモノ注意」のシールが貼られている箱を両手で抱え、ゆっくりと持ち上げようとした。


——来る。

俺は身構えた。前回のループの記憶が蘇る。この直後、あの黒猫が現れて彼女を驚かせたはずだ。

あいつさえどうにかすれば【フラグ上書き】は発動しないはず。俺は素早く行動を起こした。

大声で追い払えば月奈を驚かせてしまうし、直接捕まえようとすればどんな不運が起きるか分からない。俺は足元に転がっていた小石を拾うと、プロゲーマーが精密なマウス操作を行うかのような集中力で、猫がいるであろう路地の奥の空き缶に向かって弾いた。


カラン!


軽い音が響く。

作戦は成功した。物音に驚いた黒猫は「フギャッ!」と鳴いて二人がいる方向とは逆に走り去っていく。

「ふぅ……」

俺は誰にも気づかれずに脅威を排除できたことに安堵のため息を漏らした。最悪の接触ハプニングは回避した。自己紹介も済ませた。ここからなら普通の隣人として関係をリスタートできるはずだ。

俺がそんな淡い期待を抱いた、その瞬間だった。


>不運バッドイベントを検知。スキル【フラグ上書き】を発動します。


脳内に響く無慈悲なシステムメッセージ。

「なんでだよ! 不運なんてどこにも…!」

俺が叫ぶのと空が暗くなるのはほぼ同時だった。

さっきまで澄み渡っていた夏の青空に突如として暗雲が立ち込め、まるで巨大な傘を広げたかのように二人の頭上だけを覆う。そして次の瞬間、バケツをひっくり返したような局地的な豪雨が二人だけを襲った。


「きゃっ!?」

ザーッ!という轟音と共に視界が白くなるほどの雨が俺と月奈の体を無慈悲に打ちつける。

それはわずか十数秒の出来事だった。

雨はまるで自分の役割を終えたとでも言うようにぱたりと止み、再び太陽の光が二人を照らす。これがスキルが変換した「幸運」——すぐに雨が止んだこと——の結末だった。


だが俺は言葉を失う。目の前でずぶ濡れになった月奈が呆然と立ち尽くしていた。

彼女が着ていた清楚な白いワンピースは水を吸って重くなり、体のあらゆる部分に薄い膜のようにぴっちりと張り付いている。

(嘘だろ……)

これまで服の下に隠されていた完璧な砂時計のシルエット。豊満な胸の丸み、きゅっと締まったくびれ、滑らかな腰のライン。その全てが露わになっていた。


何よりも最悪なことに、濡れて半透明になった白い生地の下から彼女の秘密がくっきりと浮かび上がっていた。

それは彼女の清楚さを体現するかのような淡い水色のコットンブラとショーツ。だが神のイタズラかシステムのバグか、水に濡れたワンピースはその役割を放棄し、まるで薄いヴェールのように肌と下着の上に張り付いている。

ブラの薄いストラップが肩に食い込む様子やショーツのサイドにあしらわれたささやかなレースの輪郭まで、本来であれば決して見られないキャラクターの隠しパラメータが俺の網膜に直接表示されていた。


神が創りし造形美が今、何のフィルターもなく俺の目の前に晒されている。


黒髪の先から滴り落ちた一粒の雨が彼女の白い首筋をゆっくりと伝い、華奢な鎖骨の窪みで一瞬留まったかと思うと、そのまま吸い込まれるように胸元の濡れた深い谷間へと消えていった。

俺はゴクリと乾いた喉を鳴らす。


(見てはいけない、見てはいけない、見てはいけない…!)

頭の中で必死に警鐘を鳴らすのに、俺の目は現実リアルに現れた完璧なデータから一瞬たりとも離せない。


月奈は自分の体の惨状に気づいてひゅっと息をのむ。顔から血の気が引いていく。

彼女は悲鳴を上げることなく、ただ震える腕で必死に自分の体を抱きしめた。その瞳には軽蔑と深い絶望が混じり、俺をまっすぐに睨みつけている。

その瞳はまるで「結局あなたも同じ」「どこにいても私はこうなる運命なんだ」と語っているかのようだった。


「なんなの…これ…。あなた、一体なんなのよ…」


その声は怒りよりもどうしようもない悲しみに満ちていた。

「ちが…俺は、ただ…!雨が…!」

俺の弁明はもはや意味をなさない。

月奈はこれ以上自分の惨めな姿を見せたくないとでも言うように踵を返して家の中へと駆け込み、乱暴にドアを閉めた。


バタン!


一人残された俺は夏の太陽の下でずぶ濡れのまま立ち尽くす。

(やり直したのに…なんで、もっと最悪なことになってるんだ…!?)

彼女のあの絶望に満ちた瞳が脳裏に焼き付いて離れない。俺は彼女が最も嫌がるであろうことを二度も立て続けに引き起こしてしまったのだ。

この絶望的な結果に俺はただ唇を噛みしめることしかできなかった。


1度目のロードで、既に体は鉛のような重さを纏っている。思考がわずかに霞む。これが時間を巻き戻すことの代償か。


だが、ダメだ。

あの顔を、彼女の全てを諦めたようなあの絶望の顔を、この世界の「決定事項」にして終わらせていいはずがない。

たとえこの身がどうなろうと、彼女の笑顔が見たい。ただ、それだけなんだ。


(もう一度だけ…! もう一度だけ、チャンスをくれ…!)


俺は、霞む意識の中で、最後の力を振り絞って、心の中で絶叫した。


「——ロード!」


視界がぐにゃりと歪む。世界が再び真っ白な光に塗りつぶされていく。

今度こそうまくいくのか、それとも取り返しのつかない破滅か。

俺の意識は再び、あの運命の分岐点へと引き戻されていった。

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