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最悪のファーストコンタクト

「——あなた、一体、何者なの?」


氷のように冷たく、しかしわずかに震える声が夕暮れの空気に突き刺さる。

俺が愛してやまないゲームのヒロイン「雪城星羅ゆきしろせいら」と瓜二つの完璧な美少女が目の前に立っていた。

彼女の深く澄んだアメジストの瞳が俺の魂の奥底まで射抜くように答えを求めている。


「あなた…あの時の…。あなたは私を突き飛ばして…それで消えたはず…。煙みたいに一瞬で」

畳みかけるような質問に俺の脳は高速で回転してショートする。

どうする? どう答えるのが正解だ? 脳内にいつものギャルゲー風の選択肢が浮かぶが、その全てがバッドエンド直行ルートにしか見えない。


「…そ、それは…」

俺が口ごもっていると月奈はさらに一歩詰め寄り疑念の目を細めた。その美しい顔立ちが今は検事のように険しい。

「あなた、もしかして私のストーカー? 私がここに引っ越してくるのをどうして知ってたの?」

「ち、違う!断じて違う!俺はただ、その…!」

追い詰められた俺は苦し紛れに叫んだ。

「人違いだ!きっと俺とそっくりな誰かが君を助けたんだよ!俺は今日初めて君に会った!」


そのあまりにも稚拙な嘘に月奈の周りの空気が絶対零度に達したのが分かった。

「…そう。人違い、ね」

心の底から呆れたという深いため息が漏れる。これ以上話しても無駄だという空気が二人の間に重く漂い、気まずすぎる。

(まずい、このままだと完全に嫌われる…!何か正常なコミュニケーションを…!そうだ、ギャルゲーの基本、自己紹介だ!)

俺はこの最悪な雰囲気をリセットするため意を決して深く、ぎこちなく頭を下げた。


「あ、あの!俺、時枝優ときえだゆうって言います! 向かいの家に住んでて…! その、今日から、よろしくお願いします!」


突然のあまりに普通の自己紹介に月奈の瞳がわずかに見開かれる。

彼女の警戒心レーダーが俺を「危険人物かもしれないストーカー」から「ただの挙動不審な口下手」へとダウングレードしたのがなんとなく分かった。

彼女は一瞬ためらった後、不機嫌さを隠さずにしかし律儀に小さく頭を下げた。

「……雪白。雪白月奈ゆきしろつきな。…こちらこそ」


その声を聞いただけで俺の心臓は喜びで破裂しそうだった。やった。会話が成立した。名前も教えてくれた。これは好感度アップのフラグだ!

そのほんの僅かな心の緩みが最大の油断だった。

「よろしく、雪白さん!」

俺が少しだけ浮かれて一歩前に出たことで彼女は会話はもう終わりと判断したのだろう。彼女はくるりと俺に背を向け玄関に置かれた段ボール箱の一つに向き直った。思い出の品々が入っているのだろうか、箱には「ワレモノ注意」のシールが貼られている。

彼女はその箱を両手で抱え、「よいしょ」という見た目からは想像もつかない可愛らしい掛け声と共にゆっくりと持ち上げようとした。


その時だった。

どこからか現れた一匹の黒猫がまるで何かの合図のように月奈の足元をさっとすり抜けた。


「きゃっ!?」


小さな悲鳴と共に月奈の体がぐらりと揺れた。バランスを崩して前方によろめいた彼女の手から、抱えかけた思い出の箱が滑り落ちる——【不運】の発生だ。


「危ない!」

俺は考えるより先に駆け寄り彼女と箱を助けようと手を伸ばす。

その瞬間、脳内にあの無機質なシステムメッセージが響き渡った。


>不運バッドイベントを検知。スキル【フラグ上書き】を発動します。


やめろ! 発動するな!

俺の心の叫びも虚しく運命は常に最悪の形で書き換えられる。

月奈が転倒するという運命は回避された。しかし変換された幸運は——。


ドフッ


磁石に吸い寄せられるように月奈の体が俺の胸に倒れ込んでくる。

そして彼女を支えようとした俺の手は——その柔らかく圧倒的な存在感を放つ彼女の右胸を、鷲掴みにするような形で完璧にフィットしてしまっていた。


(——!?)


手のひらにありえないほどの感触が伝わる。

それは高級なマシュマロでも極上の羽毛布団でもない。もっと生命の温かみと弾力、そして確かな質量を持った未知の感触だ。指がその柔らかさに数センチ沈み込む。

俺の脳はその信じられないほどの情報量に爆発寸前だった。


(うわああああ!なんだこれ!柔らかい!あったかい!って、そうじゃねえええええええ!)


至近距離で香る花の蜜のような甘い香りが俺の理性を焼き切る。

これが雪白月奈の…。人生で初めて触れた女の子の胸。こんな幸せがあっていいのか?

いや、ダメだ。断じてダメだ。これは呪いだ。俺の喜びと罪悪感が脳内で激しく衝突し火花を散らす。


一瞬の硬直。

次の瞬間、月奈は自分の状況を理解して顔から血の気を失わせた。

彼女の瞳から光が消える。さっきまでの警戒心や疑念じゃない。もっと深くて冷たい…魂そのものを拒絶するような絶望の色だった。


「な……なな……なにしてんのよっ!」


バッ!


甲高い絶叫と共に彼女は俺を突き飛ばす。

「やっぱり…!やっぱりアンタも同じなのね!私のことそういう目でしか見てないんでしょ!最低!変態!二度と私に近づかないで!」


「ご、ごめん!わざとじゃなくて…!猫が…!」

俺の必死の弁明は彼女の耳には届かない。

月奈は目に大粒の涙を浮かべ唇を強く噛みしめると、踵を返して家の中へと駆け込み乱暴にドアを閉めた。


バタン!


無慈悲な音が静かな住宅街に響き渡る。

一人残された俺。手のひらにはまだあの天国のような地獄のような感触が残っていた。

最悪の結末だ。

彼女を笑顔にしたかった。普通に挨拶がしたかっただけなのに。結果は彼女を人生で最も深く傷つけるという最低のバッドエンド。


(こんなの…こんなの、あんまりだ…)


脳裏にあの白い空間で授けられたもう一つのスキルが蘇る。

そうだ、俺にはやり直せるチャンスがある。

ベッドで目覚めた直後、俺は無意識にあの平穏な瞬間を【セーブ】していたはずだ。


(やり直せるのか…? 本当に? あの最悪の瞬間を…なかったことにできるのか…?)


震える唇で俺は呟く。

もう一度だけチャンスをくれ。

彼女のあんな絶望した顔は見たくない。


俺は固く目を閉じ全ての覚悟を決めて心の中で叫んだ。


「——ロード!」


世界が真っ白な光に包まれていく感覚。

俺の意識は再びあの忌まわしきイベントが起こる数分前の過去へと巻き戻されていった。

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