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16/30

あなただけは、信じてたのに

あの初デート以来、俺と雪白月奈の関係ははたから見れば恋人そのものだった。

登下校を共にし昼休みは屋上で一緒に弁当を食べる。その穏やかな日常はどんな神ゲーのハッピーエンドよりも価値があった。

だが水面下で俺は一人見えない敵と戦い続けていた。

ストーカーのSNSを監視しその行動パターンを分析する日々。彼女の笑顔を守るためだ。でもその行為は彼女の秘密を暴く裏切り行為に他ならない。この罪悪感が彼女と話すたびに胸の奥でチクリと痛んだ。


その日の放課後。他のクラスメイトが騒がしく帰っていく中、俺と月奈は二人きりで教室に残っていた。明日の数学の小テストに向けた最後の勉強会のためだ。

夕日が差し込む教室はしんと静まり返っている。聞こえるのはシャーペンが問題を解く音と時折ページをめくる音だけ。

「…ここ、やっぱり分からない」

月奈が数学の問題集のある一点を細い指で指し示す。

「ああ、そこは応用問題だからな。この補助線を一本引くだけで世界が変わって見えるぞ」

俺がシャーペンで補助線を引くと彼女の瞳が「なるほど」と感心したようにキラキラと輝いた。

そのあまりにも無防備で信頼に満ちた眼差しに俺の心臓は甘く締め付けられる。

この時間がずっと続けばいいのに。


俺はそんな幸せな感傷に浸りながら、机の下に隠したスマホの画面をそっと確認する。ストーカーのSNSに新しい投稿はないか。不穏な動きはないか、と。


「…ねえ」

「へ?」

「さっきから何見てるのよ。スマホ」

月奈の少しだけ拗ねたような声。俺は慌ててスマホをポケットにしまおうとする。

「いや、これはその…鈴木からゲームの攻略情報が…」

我ながら苦しい言い訳だ。

月奈は「ふーん」とどこか面白くなさそうに鼻を鳴らす。そして彼女は椅子を引いて立ち上がると、俺の目の前に仁王立ちになった。


「…ちょっと、こっち向きなさい」

「え?」

彼女は俺の返事を待たずにその白くて繊細な両手を俺の頬にそっと添えた。

そしてむにゅという柔らかな感触と共に俺の顔をぐいっと自分の方へと向かせた。


花の蜜のような甘く優しい彼女の匂いが俺の思考を完全に麻痺させる。

目の前には月奈の顔。

夕日に照らされてキラキラと輝く紫水晶の瞳。その長いまつ毛の一本一本まではっきりと見えてしまう。

驚きに見開かれた俺の顔がその大きな瞳に映り込んでいる。

ほんのりと赤く染まったきめ細かい肌の頬。そして何か言いたそうにわずかに開かれた桜色の唇。


「私といる時くらい、ちゃんと私のこと見てなさいよね」


そのあまりにも不意打ちで、あまりにも可愛い「彼女」みたいなセリフ。

俺の心臓がドクンと大きく跳ねた。

「わっ!?」

不意に顔を近づけられたことに驚き俺は思わず体勢を崩す。その拍子にポケットにしまいかけたスマホが俺の手から滑り落ちてしまった。

これが今回の【不運】だった。


カタンと乾いた音を立ててスマホは床に落ちた。


>不運バッドイベントを検知。スキル【フラグ上書き】を発動します。


(まずい!でもスマホを落としただけなら…!)

【フラグ上書き】が発動。スマホの画面が割れるという不運は回避された。しかし変換されたイベントは、スマホが完璧な角度で滑り月奈の足元で画面を上にしてピタリと止まるという最悪の形だった。


月奈は不思議そうにそのスマホに視線を落とす。

「もう、ドジなんだから…」

(まずい!見られる!ストーカーのSNS、開きっぱなしだ…!)

俺が声を上げるも早く彼女が呆れたように笑いながら俺のスマホを拾い上げた、その瞬間。

彼女の指が画面の再生ボタンに偶然触れてしまった。


画面が切り替わり動画が再生される。

穏やかなBGMと共にそこに映し出されたのは——俺の知っている「雪白月奈」とは全く違う、作られた性のシンボルとしての彼女だった。

画面の中の彼女「月白ユキ」は濡れた髪をかき上げ、黒いレースが多用された挑発的なビキニ姿でカメラに向かって妖艶に微笑んでいる。

白い肌の上を水滴がゆっくりと伝い豊かな胸の谷間へと吸い込まれていく。

制服の上からでも分かっていた胸のボリュームは、その薄い布地によってもはや隠すというよりもその形を強調するためだけに存在しているようだった。

カメラのアングルはきゅっと締まった腰から滑らかな曲線を描くお尻へ。そしてどこまでも真っ直ぐに伸びるしなやかな脚を映し出す。

それは俺が今まで見たことのない彼女の「商品」としての、完璧に計算され尽くした身体だった。

そして画面の中の彼女は潤んだ瞳でカメラの向こう側を射抜き、甘くそして吐息が混じるような声でこう囁いた。


『ねえ、キミだけに、私の“秘密”、教えてあげる…』


月奈の顔から血の気が引いていく。彼女の瞳から光が消える。

その震える唇からか細い、信じられないものを見るような声が漏れた。


「……どうして、時枝くんが、これを……」


彼女はゆっくりと顔を上げて俺の顔を見る。その瞳にはもう何の感情もない。ただ深い深い絶望の色だけが浮かんでいた。


「…いつから知っていたの…?」

「時枝くんだけは…。あなただけはそういう目で私のことを見てないって……信じてたのに…」


その言葉はどんな罵声よりもどんな平手打ちよりも、鋭くそして深く俺の心を突き刺した。


俺は全てを悟り顔面蒼白になりながら彼女の前に膝をついた。

「ごめん…!雪白さん、本当にごめん…!」

声が震える。もう嘘はつけない。どんな言い訳も今の彼女には届かない。

正直に全てを告白するしかない。たとえそれで彼女に永遠に嫌われたとしても。


「週刊誌を見たんだ…。君に似ている人が載ってたから…。それで心配になって勝手に調べてしまって…」

言葉が途切れ途切れになる。

「君が『月白ユキ』だってことも、そしてこのストーカーが君をずっと苦しめているってことも、全部…」

「君を傷つけるつもりじゃなかった…!ただ君の力になりたくて…!でも俺はまた君を傷つけた!本当にごめん…!」


俺は魂の全てを絞り出すように謝罪した。

自分の犯した「罪(プライバシーの侵害)」を認めただひたすらに。

しかし月奈の瞳はもう何も映してはいなかった。

彼女はうずくまったまま壊れた人形のようにぴくりとも動かない。

その瞳は虚空を見つめているだけ。

俺の声が届いているのかさえ分からなかった。


彼女の心が完全に閉ざされてしまった。

その絶望的な事実だけが夕暮れの教室に重く重くのしかかっていた。

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