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月白ユキの真実

ゲームセンターの喧騒を後にし、俺たちは夕暮れの帰り道をゆっくりと歩いていた。

さっきまでの騒がしさが嘘のように辺りは静かだ。聞こえるのは俺たちの足音と遠くで鳴くひぐらしの声だけ。

月奈は俺が取った黒猫のぬいぐるみを、まるで世界で一番の宝物みたいに胸にぎゅっと抱きしめている。その姿があまりにも愛おしい。


「…その猫、そんなに気に入ったのか?」

俺が尋ねると彼女はこくりと頷き、ぬいぐるみに顔をうずめながら小さな声で呟いた。

「…うん。だってあなたが私のために取ってくれたものだから…」

その言葉に俺の心臓がきゅっと締め付けられる。

俺はもう衝動を抑えきれなかった。

おそるおそる自分の手のひらを彼女の方へと差し出す。

月奈は一瞬驚いたように俺の顔を見たが、すぐにその意図を理解してくれたようだ。彼女ははにかみながら、その小さな手を俺のてのひらにそっと重ねてきた。


ピタッ。

手のひらに伝わる信じられないほどの温かみ。

俺は今度は勇気を振り絞って、ゆっくりと彼女の指に自分の指を絡めていく。

月奈の指がピクリと反応する。だが振りほどかれることはなかった。

むしろ彼女もおそるおそるといった感じで俺の指を弱々しい力できゅっと握り返してくれた。

お互いの緊張と言葉にならない想いが、繋いだ手を通して痛いほど伝わってくる。


恋人繋ぎのまま俺たちは家の前に着く。名残惜しい気持ちの中どちらからともなくそっと手を離した。

「…今日は、その、ありがとう。すごく楽しかった」

彼女はぬいぐるみで顔を半分隠しながらはにかんでそう言った。

「俺もだ。こちらこそありがとう」

「…じゃあまた明日、学校でね」

月奈は最高の笑顔を残して自分の家の中へと入っていった。


自室に戻りベッドに倒れ込む。まだ手のひらには彼女のぬくもりが、絡み合った指の感触が鮮明に残っているようだった。

(クレーンゲームからのあの抱擁…。なんだ今のコンボは。反則だろ…)

一人ベッドの上で今日の勝利の余韻に浸る。

(雪白月奈…。このヒロイン、攻略難易度は地獄級だけどデレた時の破壊力は宇宙規模だ…)


しかしその幸福感の片隅で、あの週刊誌の広告の見出しが黒いシミのように心を蝕んでいた。【伝説のグラドル“月白ユキ”】。

(彼女の名前を並べ替えると…。まさかそんな偶然…)

知りたくない、でも知らなければならないという葛藤に苛まれる。月奈が時折見せるあの深い悲しみの理由。

彼女が異常なまでに視線を嫌う訳。その全てがこの「月白ユキ」という名前に繋がっていると直感していた。

彼女を守るためにはまず敵を知らなければならない。

覚悟を決めた。たとえこれが彼女を裏切る行為だとしても。


ベッドから起き上がると部屋の電気もつけず机の前に座った。

暗い部屋の中スマホの画面だけが青白く俺の顔を照らす。

震える指で検索窓にその名前を打ち込んだ。


「——月白、ユキ」


エンターキーを押した瞬間、そこに広がっていたのは俺が知らない「雪白月奈」の姿だった。

画面に表示される大量の画像。

華やかで少し露出の多い衣装を纏いプロフェッショナルな、しかしどこか寂しげな笑顔を浮かべる少女。それは紛れもなく月奈だったが俺の知っている彼女ではなかった。

俺の知っている月奈はタコさんウインナーを「彩り」だと言い張る不器用な女の子で、俺のドジを見て心の底から楽しそうに笑う優しい女の子だ。


なのに画面の中の彼女はまるで精巧に作られた人形のように完璧な笑顔で、大人の男たちに微笑みかけている。

さらに検索を進めると彼女を神聖視する熱狂的なファンサイトと、彼女の容姿やスリーサイズを品定めするような下劣なアンチコメントが入り乱れるネットの海が広がっていた。

胸の大きさ、くびれの細さ、脚の長さ。

その全てがまるで商品のように値踏みされ消費されている。


(——そうか)


全てを理解した。

彼女がなぜあれほどまでに「外見」で判断されることを嫌っていたのか。

彼女がなぜあれほどまでに視線を恐れていたのか。

その理由を今、痛いほど理解していた。

そしてそんな彼女の心を、俺はこのスキルで何度も何度も傷つけてきたんだ。

自分の無神経さに吐き気がした。同時に彼女をそんな目に遭わせた「世界」に対する静かな怒りが腹の底から込み上げてくる。


俺はさらに検索を進めるうち、一際粘着質で狂気的なファンのSNSアカウントにたどり着く。

ぞくりと背筋に冷たいものが走る。

アカウントには月奈への歪んだ愛情と彼女を「僕だけのユキちゃん」だと思い込む狂気的な投稿が繰り返されていた。


『今日のユキちゃんも綺麗だった。でも隣の男は誰だ? 邪魔だな』

『ユキちゃんが僕を避けるのは照れてるだけなんだ。分かってるよ』

『ユキちゃんが戻ってこないなら僕が迎えに行くからね。君のいる場所に』


もはやファンではなく完全なストーカーの記録だった。

そして俺は最新の投稿を見つけて息をのんだ。


それは数週間前、屋上で撮られたであろう隠し撮りの写真だった。

月奈が俺にタコさんウインナーを「あーん」している、あの瞬間の。

周りの景色はぼかされているが間違いない。制服も弁当もあの屋上だ。


写真にはこうコメントが添えられていた。

『ユキちゃんが知らない男と笑っている。僕だけに見せてくれたあの笑顔じゃないのか? ユキちゃんは汚されてしまったんだ。大丈夫、僕が必ず君をあの汚い男から取り戻してあげるからね…』


全身の血が逆流するような感覚。

スマホを握り潰してしまいそうなほどの怒りが腹の底から込み上げてくる。

月奈が逃げ出したかった過去。彼女を今も脅かす具体的な悪意。

(そうか。これが君が一人で戦っていたものなんだな…)

もう迷いはなかった。


(スキルとかセーブ&ロードとか、そんなものはもうどうでもいい)

(俺が君を守る。君の過去も未来もその笑顔も全部)


俺は静かに、しかしこれまでで最も固い決意をその胸に刻む。

この理不尽なゲームの本当の敵を見つけた。

俺のラブコメは今、ヒロインを悪意から守り抜くためのたった一人の戦いへとその姿を変えたのだ。


震える指でストーカーのアカウントと決定的な証拠である屋上での写真をスクリーンショットで保存した。

これがこの理不尽なゲームをクリアするための、最初のキーアイテムだ。

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