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第2話 銃口とパンケーキ

「物語の保存、驚異の部屋(ヴンダー・カンマー)の創造だよ」 


 ユズリハの目に僅かに浮かんだ陶酔は、クズハラが薄ら寒いものを感じる少し手前で消え去った。

 状況と、状況の支配者たる彼女のどこかに隙でもないかとクズハラは頭の隅で考えていた。が、切り替えの早さに油断ならない、と肝に銘じることにする。

 そもそも彼女の使い込まれたライフルも慣れた構えも、骨董品と付け焼き刃には見えない。


「……ヴンダー・カンマー? とは何でしょうか」

「不思議の部屋とも呼ばれるそれは、今で言う博物館のようなものだ。

 産業革命期に貴族や富裕層の一部で流行した蒐集部屋。各地の名品珍品、価値のあるものからそうでないものまでひと部屋に集めて鑑賞する」

「……ここにそういった趣味の人がいた……んですか?」


 そう尋ねたのは、ライフルのストックが木製だったからだ。曾祖父世代の世界大戦で盛んに使われた、過去の――自転車部隊が存在したような時代の遺物だ。


「館長の使命だ」


 興味を示されたことに気を良くしたのか、従順な態度をとり続けたのが良かったのか、ライフルの銃口が鼻先から腹に向いた。

 ヘッドショットによる即死から、内臓損傷の重傷に変わっただけだが、少し余命は伸びたらしい。


「そう間の抜けた面を晒すな。最近の国軍は、質の低下が著しいと見える」

「……武装した司書の方が珍しいと思うんですが」

「クズハラ君は、殴られたら全財産を差し出す聖人君子か? 国軍を図書館に差し向ける政府の方がどうかしている」


 確かに、そうだ。そもそも図書館は税金で運営されているのだから。

 しかも昨今のご時世では予算が削られ続けて司書も減り、物置と化しつつある。もとより一般的には本よりテレビ、テレビより動画が娯楽を兼ねて消費されており、読書という豊かさを享受する人間は一握りだった。

 氾濫する情報を正しく処理できる能力は殆どの一個人にはなく――図書館を構成する要件から司書の配置義務、書籍の一部検閲から「図書館の破壊に関する宣言」に至るまで、改悪の法案の通過は、非常にスムーズだった。研究者や、読書家からは蛇蝎のごとく嫌われていたが。


「……でも、宇宙人に人間の知識を渡すわけにはいかないでしょう。やつらが人間を好物の菓子に変える兵器――あれだって宇宙人が知ってる菓子でない限り、無効になります。なら、仕方がないでしょう」


 焚書部隊に抵抗を示した、信念を貫こうとした図書館もあった。しかし職員は銃器を扱う訓練など受けていない。だから、戦闘など起こりようがなかった。 

 クズハラが見た限りの、一番ひどかった現場は、突き飛ばしと羽交い締めだ。気分は悪いが、血が流れるよりよっぽど良かった。


「俺たちだって犯罪者にやるような扱いはしていません。なるべく穏便に――」

「抵抗した司書が、牢にぶち込まれているのは知っているだろう」


 主体が政府と国軍である以上、ニュースになってテレビで流れるだけマシだとクズハラは思うが、そのようなことはユズリハには関係ないのだろう。


「死刑よりマシだと思っている顔だな。図書館の財産は接収、場合によっては燃やされる。これが税金を燃やすという単純な話だと思うか?」


 はっ、と吐き捨てるようにユズリハは侮蔑した視線を投げた――彼だけでなく、その向こうに。


「資料は知識であり智恵であり、歴史であり、思考と可能性だ。先人の数多の血が流されて得られたものだ。図書館の存続と国家の存続と、何が違う」


 語気は決して鋭くはないが、得体の知れない覚悟があった。

 半ば流されるように焚書部隊に配属され、日々の糧を得るために業務を遂行していたクズハラ自身にも、部隊にもない――部隊が“ほとんど”彼一人を残して壊滅してしまっても未だに得られないものが。


 眉根を寄せる彼に何を思ったのか、ほんの少しだけユズリハの視線が遠くを見た後、再び不敵な笑顔を浮かべる。


「では早速、君の知っている物語をコレクションに迎え入れ――」


 彼女が強い語調で言いかけたとき、ふんわりしたホッキョクグマの母親の声が挟まった。


「――パンケーキ、焼けましたよ」


 向かい合っていた二人がちらりと横目でそちらを見れば、テーブルに三人分の皿が並べられている。その上に、二枚重ねの焼きたてほかほかパンケーキが、湯気の中で馥郁ふくいくたるバニラの香りとバターを混ぜ合わせていた。


「何だキャロル、今から仕事を……」

「人間さんのお腹もぺこぺこでしょう。バターが乾いてしまっては、一番いいところが台無しです」


 パンケーキの上で、四角いバターが輪郭を崩し始めている。その上、ルイスが身を乗り出して、上にシロップをかけ始めていた。

 クズハラはつい、口を出す。


「あっ、ちょっと、シロップの量が」

「何だお前は。状況を理解していないのか」


 ――ぐうううう。


 呆れるようなユズリハの声に応えるように、クズハラの腹が盛大に鳴った。

 母熊と手伝っていたアリス、振り向いたルイスの視線が集まる。

 その視線が、そのままユズリハに移動した。

 つぶらな六つの目で見つめられて、彼女はやれやれと肩をすくめた。銃口を床に向けた。


「仕方ない、食事にするといい」

「……本当にいいんですか?」

「そんな柴犬のような目で私を見るな。キャロルの焼きたてパンケーキを無駄にするのは罪だからな」


 手をしっしと振られ、クズハラはおそるおそる立ち上がった。

 すぐさまテーブルに向かおうとすれば、目の前にとことことやって来たアリスが、可愛い女の子の声で「あっちで手を洗うの」とシンクを手で指す。ここが凍土だからか、蜂蜜の香りはしなかった。

「ルイスも、手を洗う」

「はーい」


 彼は子熊たちの列の最後尾に並んで一緒に手を洗うと、丁度いい椅子に腰掛け、バニラが香るお皿に向けて手を合わせる。


「いただきまーす」

「いただきまーす!」


 淡いピンクとグリーンのお皿にそれぞれ乗ったパンケーキを双子の子熊がフォークとナイフを操る様子を見ながら、クズハラはすぐにはナイフを入れられなかった。

 久しぶりの、本物のパンケーキ。彼のために用意された綺麗な白い皿に乗ったそれは、いちばんほかほかとしていた。

 何故か鼻の奥がツンとする。


「シロップは苦手ですか? 蜂蜜もありますよ」

「いえ、大好物です……いただきます」


 ナイフを入れれば、薄い黄色が姿を現す。優しい香りとこの黄色には見覚えがあった。


「これ、シューワのパンケーキミックスですね」

「よく分かりましたね。やっぱり、人間の世界のことは人間さんの方が――クズハラさんとお呼びしてもいいかしら」

「ええと、じゃあ俺も、キャロルさん……って呼びますね」


 キャロルには自然に丁寧語になるんだな、とユズリハが呟いた気がしたが、クズハラはしばらく夢中になって口に運んだ。

 甘くて柔らかで美味しくて優しくて、懐かしい味だ。


「そう。このパンケーキミックスも、私と、ルイスとアリスの名前をくれたのもユズリハさんなんですよ。『不思議の国のアリス』ってお話から取ったんですって」

「…………え」

「……何だ、その目は。私に童話が似合わないと……いや、人でなしに見えるといいたいのか」


 クズハラが視線だけ上げれば、ライフルを壁に立てかけながら、マグカップを口に運ぶ彼女がいた。


「言っておくが、食料その他は住民が残していったものだ。知っているか、宇宙人が初めに現れ未だ宇宙と地上の橋頭堡にしている南極では、屋外が天然の冷蔵庫だった。細菌が殆ど増殖しない」

「いや、そうじゃなくて……星見町から十年ほど前に、軍の援護を受けて住民が撤収しているはずでしょう。

 その時に住民が残ったとか、とホッキョクグマが仲良くしてたなんて報告は――」

「私は撤退戦の最中に前館長から役目を受け継ぎ、ここに残った。図書館と驚異の部屋(ヴンダー・カンマー)を守るために」

「何でそこまで……こんな極地でする、んですか。図書館や博物館なら他にだって」


 口の中にあったパンケーキをゆっくり呑み込んでからクズハラが問えば、


「極地だからだ。他では政府に介入される。ここには、地上の様々な知的生命体――動物たちの大事なものも蒐集する役目がある」

「動物?」

「キャロルたちが話せるのを、奇妙には思わなかったのか」

「そんなこと今更言われても……」


 クズハラは困惑する。それは当然奇妙に思った。だがあまりにユズリハも普通に接していたし当然のような態度だったので――おまけに寝起きだったから、何となく受け入れてしまったのだ。

 事実なんだから疑ってもしょうがない。


「この町には他にもホッキョクウサギやホッキョクギツネ、南極から逃げてきたペンギンたちが暮らしている。

 宇宙人の飛来と同時に、南極と北極の空から降ってきた金平糖を食べてから、彼らは人間と交流できる知性と言語を得た」

「え……は……? 金平糖?」

「正確には、キャロルによれば金平糖のようなもの、だ。それにペンギンは、宇宙人は人間以外とむやみに敵対しないとも言っていた」

「何の目的で……」

「分からない。しかし、これは人類にはチャンスでもある。動物と協力し合うことができれば、いつか突破口が開けるかもしれない。

 それにやがて人類が絶滅の危機に瀕したとき、或いは人類が自ら知識を捨てようとしたとき――人類は知識と物語を、彼らに託すことができる」


 ユズリハの荒唐無稽な発言を肯定するように、ルイスとアリスがにこにこと頷く。


「……どんぐりとか! この前海岸でペンギンのおじさんが拾った瓶とか!」

「雪山のお絵かき、見せてあげるね」


 そして早々に食べ終えてしまった子熊たちの無邪気な瞳がクズハラとお皿の上の残りを物欲しげに行き来している。


「食べないの? 苦手なら食べてあげようか?」

「た、食べる、食べるから」


 彼はルイスに返事をすると、残りを口に放り込む。甘いパンケーキが、喉にひっかかりながら胃に落ちていった。

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