第3話:推しと二人きりの時間
「……ふぅ、ありがとう」
ベンチに腰を下ろした天音さんが、ほっと息をつく。
雨はまだ降り続いている。俺は自分の傘を少し傾け、できるだけ彼女が濡れないように気を配った。
(やばい、まだ心臓のドキドキが止まらない……!)
俺の隣に座っているのは、間違いなく俺の最推し。テレビやラジオで聞いていた声が、今はすぐ横から届いている。この状況、どう考えても夢だろ。いや、でも彼女は実在していて、目の前にいるわけで――
「……あの、本当に大丈夫ですか? どこかひどく痛むとか……」
「うん、大丈夫。ちょっと足をひねっちゃっただけだから」
彼女は苦笑しながら、自分の足首をさすった。
「でも、正直どうしようかなって思ってたの。スマホの充電も切れちゃってるし、人通りも少ないし……あなたが来てくれて本当に助かったよ」
「い、いえ! そんな、大したことしてないです!」
俺は必死に平静を装うが、内心はパニックだった。
だって、推しから直接「助かった」って言われたんだぞ!? こんなことあっていいのか!?
「……ねえ」
天音さんがちらりと俺を見上げる。
「さっき、すごく驚いてたよね?」
「えっ!?」
「もしかして……私のこと、知ってる?」
(ぎゃああああ!! バレた!!)
そりゃそうだ。普通の人なら、知らない相手を見てあんなにフリーズしない。
「え、えっと……その……」
誤魔化せるわけがない。俺は観念して、小さく頷いた。
「……はい。知ってます。天音しおりさん……ですよね?」
すると、彼女は一瞬きょとんとした後、ふふっと微笑んだ。
「そっか、嬉しいな」
推しが、俺の目の前で微笑んでる。心臓が爆発しそう。
「もしかして、ファンだったりする?」
「……はい、大ファンです……」
ついに言ってしまった。
すると、天音さんの目がぱっと輝く。
「わぁ、本当? なんか、こうやって直接会って、ファンの人に出会うのって新鮮かも」
「え、えええ!? そんな……!」
俺なんかが直接「ファンです」なんて言っていいのか!? でも、彼女は嫌がるどころか、どこか嬉しそうに笑っている。
「ねえ、好きな作品とかある?」
「えっ?」
「私が出てるやつで、好きな作品! よかったら教えてほしいな」
(推しに推しの話を振られた……!!)
俺は頭をフル回転させた。好きな作品なんて、挙げ始めたらキリがない。でも、せっかくなら彼女に直接伝えられるこの機会を大事にしたい。
「えっと……全部好きなんですけど、特に『蒼のレガリア』が好きです!」
「あっ、『蒼レガ』! それ、私も思い入れのある作品だよ!」
天音さんはぱっと顔を輝かせた。
「演じたキャラもすごく好きだし、アフレコ現場の雰囲気もすごく良くてね……」
そう言って、彼女は楽しそうに撮影裏話を話し始めた。
(推しの生ボイスで、推しの出演作品の話を聞けるとか……天国ですか?)
俺は夢見心地のまま、彼女の話に耳を傾ける。
こうして、俺は偶然の出会いから、推しと二人きりの時間を過ごすことになったのだった。