王城へ
「さすがシルヴィア。私が選んだドレスをちゃんと着こなしているわね」
「ありがとうございます」
アレックスの瞳と同じ青色のドレスに身を包み、侍女たちが総力を挙げて髪をセットして化粧をしてくれたおかげで、シルヴィアは美しい淑女へと変身していた。
見た目だけよくても意味はない。今夜のパーティーまでセレスに礼儀作法のチェックもしてもらっていた。正式ではないとはいえ、アレックスの婚約者として、公爵家の一員として周囲はシルヴィアを見定めようとしてくるだろう。粗相がないようにしっかり学んできたつもりだった。
鏡の前で回ってみるが、おかしなところは見つからなかった。
これから城へ向かいのかと思うと緊張して体が強張ってしまう。
セレスも準備万端で緊張などしていないのか、優雅にソファに腰掛けてシルヴィアのことを嬉しそうに眺めている。
これが公爵夫人の風格なのかもしれない。自分はまだまだなのだと努力しなければと思うのだった。
今夜はアレックスの婚約者として始めてのパーティーになる。体の弱いセレスも英雄となった息子を祝うため体調を整えて出席することになっていた。
「アレックスがどんな反応をするのか楽しみだわ」
2人とも準備が出来ている。あとは迎えを待つだけ。
すると扉をノックする音が聞こえて、アレックスの声がした。
「準備はできたかい?」
「ちょうどいいタイミングよ」
セレスが返事をすると扉が開いてアレックスが入ってくる。
シルヴィアと目が合った瞬間、彼の動きが止まってしまった。
じっと見つめられて、どこかおかしなところでもあるのだろうかと不安になっていると、セレスが面白い物を見たと言いたげに笑い始めた。
「シルヴィアの綺麗さに動けなくなるなんて。悪竜を倒した英雄とは思えないわね」
「え?」
「おぉ、シルヴィア。すごく似合っているじゃないか。セレスの判断はやはりいいな」
首を傾げるシルヴィアにアレックスが口を開こうとすると、後から入ってきたディールが先にシルヴィアを褒め始めた。
「これなら今日のパーティーは注目の的になりそうだ。英雄のパートナーでもあるから華やかなのはいいことだ」
「そうよ。今日の主役はアレックスじゃなくてシルヴィアだと思わなくちゃ。アレックスは引き立て役のおまけだと思って楽しむといいわ」
2人が嬉しそうに言っているが、シルヴィアはどう返事をしていいのかわからなくて困ってしまった。すると動きを止めていたアレックスがいつの間にか隣に立ってため息を零している。
「2人ともシルヴィアを褒めるのはいいけれど、一応主役は英雄たちだということを忘れないでほしいよ」
「忘れてないさ」
「英雄たちの祝賀会だけど、アレックスの婚約者を見られる絶好の場にもなっているのよ。周囲から見られていることをしっかり認識しておかないと駄目よ」
悪竜討伐に成功した英雄たちをお祝いするためのパーティーではあるが、褒美としてアレックスがシルヴィアとの結婚を許可してもらったことで、リーンハルト公子の結婚相手にも注目が集まっていた。
もともとシルヴィアはあまり社交の場に顔を出してこなかった。パーティーだけではなくお茶会など見知った顔ぶれで限定的なもの以外は付き合いがなかった。そのためほとんどの貴族がシルヴィアのことを知らない。ヘイネス男爵令嬢といわれても顔を思い浮かべる事さえできないはずだ。
そんな中に突然リーンハルト公子の婚約者として姿を現すのだから、誰もが注目していることだろう。
そんなことを考えていると再び緊張してくる。
深呼吸をして何とか緊張を解そうとしていると、アレックスがシルヴィアの左手をそっと取った。
「大丈夫?」
「たぶん・・・」
シルヴィアは苦笑いで返事をするしかない。
「今日のシルヴィアはいつにも増して綺麗だよ。誰にも引けを取らないから堂々としていればいい。困ったことがあれば俺が側にいるから」
そう言って優しく手を撫でてくれた。
その優しさにほっとする。
「それと、これも用意したから」
左手の薬指に硬い物が触れてシルヴィアが視線を落とすと、金色に光る指輪がシルヴィアの指へと嵌められていた。
「お守りだよ」
いつの間に用意したのか、アレックスの瞳と同じ青色の小さな宝石が輝く婚約指輪に、シルヴィアは驚いて声を出すことを忘れて見入ってしまった。
「いつの間に用意したの?」
しばらく眺めてからようやく声を出すと、アレックスがサプライズに成功して嬉しそうにしている。
「シルヴィアにプロポーズした次の日」
プロポーズはアレックスが王都に戻ってきてすぐだった。1か月ほど前の話になるが、シルヴィアがプロポーズを受けたことですぐに宝石店を訪れていたことになる。
ドレスも準備してくれていたし、アトリエの改装もしてくれていた。シルヴィアの知らないところでアレックスは彼女を喜ばせようと動いてくれていたのだ。
「もうこれ以上のサプライズはないわよね」
幸せが重なり過ぎて溺れてしまいそうだ。
嬉しさの余り涙が出てきそうになっていると、アレックスが顔を近づけてきた。
「そんなに嬉しそうにされたらキスしたくなる」
そう言われて途端に涙が引っ込んだ。周りには公爵夫妻に使用人たちもいる。恥ずかしすぎて頬が熱くなってしまった。
「こらこら、そんなことしたら化粧が崩れてしまうわよ」
「もう出かける時間だ。我慢しなさい」
両親から咎められてアレックスは肩を竦めて顔を離した。
ほっとするような、少し寂しいような気持ちが混ざって、シルヴィアはとりあえず苦笑するだけだった。
「それじゃ、パーティー会場に行こうか」
アレックスのエスコートで玄関まで行くと、使用人たちが見送りに並んでいる。
馬車は2台用意され、公爵夫妻が先に乗り込むと、シルヴィアはアレックスのエスコートを受けて2台目に乗った。
2人だけの空間。向かい合って座るものだと思っていたシルヴィアだったが、何故かアレックスが隣に当然のように座っている。従者がいる場合は隣になることもあるだろうが、今は2人だけなので並んで座るのは窮屈な気がした。
ドレスで幅を取る分座りづらいだろうと思ったら、何故かアレックスはできる限りシルヴィアに密着するように座ってきていた。
「アレックス・・・」
隣を向けばすぐ目の前に顔がある距離。さすがに近い気がしたが、アレックスが嬉しそうにシルヴィアを見つめていたので嫌な気はしなかった。
「こうやってシルヴィアのすぐ近くで一緒にいられる時間があまりないからな。このチャンスは逃せないだろう」
そんなことを耳元で言ってくる。
リーンハルトの屋敷で一緒に暮らしていてもアレックスは父親の仕事を手伝い、出かけることもある。屋敷の警護をしている騎士たちと手合わせをしていることもあって、ゆっくり一緒にお茶を飲むことはあまりなかった。夜は隣の部屋ではあるが、2人だけで過ごすことはない。結婚前ということで必ず侍女か執事が側にいるし、軽い会話をしてお互い部屋に戻ってしまう。
シルヴィアも授業やパーティーの準備などで忙しくしていた。アトリエを与えられてからは作業部屋としての道具を運んだり魔石の保管などやることが増えていた。数個ではあるが魔法石も作り始めている。
新しい環境の変化にも少しずつ慣れてきた。
そんなことを振り返ると、こんなに近くでアレックスと2人だけの時間を持つことがなかったことに今さら気づかされる。
だからといってこの距離感は慣れない。
「少し近いと思う・・・」
「慣れてしまえば平気だよ」
離れるつもりは毛頭ないアレックスが、さらに顔を近づけてきた。先ほどキスは駄目だと言われていたのにと頭をよぎったシルヴィアだったが、拒絶することもできず固まってしまうと、彼の顔はそれ以上近づいてくることなくシルヴィアの肩に額を軽く乗せるような形になった。
「アレックス?」
顔が見えなくなって頭を見下ろすと、どこか疲れているようで甘えてきているような気がした。
そっと頭を撫でると、彼はされるがまま黙っている。
「いろいろと大変だったわよね。私のためにありがとう」
シルヴィアに内緒でいろいろと動いてくれていた。そのことのお礼を言っていなかったことに気が付き、労わるように頭を撫でながら言うと、アレックスが顔を上げた。
「苦労したなんて思っていないよ。シルヴィアに内緒にしながらいろいろやったけど、意外と楽しかったし」
虚勢を張っているわけではなく、本当に楽しかったように聞こえた。シルヴィアの喜ぶ顔が見たくてアレックスが奮闘していただけなのだ。それでもお礼を言われたことは素直に嬉しかったはずだ。
「やっぱりキスしたいな」
「それは駄目」
すかさずシルヴィアが拒絶する。馬車を降りた時に公爵夫妻と顔を合わせるのだ。その時に化粧が崩れていたら叱られてしまう。それにアレックスとは当分一緒にいられる時間がさらに減りそうな気がした。
「これから大切なパーティーよ」
「このまま引き返せたらいいのに」
そんなことをぼやくが本気で帰ろうと思っているわけではない。それをわかっているからシルヴィアはアレックスの頬に手を添えると、触れるかどうかの軽いキスをした。頬を押さえて驚いた顔をするアレックスにシルヴィアは微笑んだ。
「今はこれで我慢してね」
「・・・・・はい」
途端に大人しくなるアレックスがなんだか可愛らしく感じられて、シルヴィアは笑ってしまった。