訪問
「お嬢様にお客様です」
作業に没頭していたシルヴィアは、すでに外が暗くなっていることに気が付いていなかった。
エリンが扉をノックする音も聞こえなくて、声を掛けられてやっと振り返った。
「ごめんなさい。まったく気が付いていなかったわ。誰か来たの?」
今日シルヴィアを訪ねてくる予定の人はいなかった。それに外はもう夕方を過ぎて夜の時間になっている。こんな時間に訪ねてくることは非常識だと言える。
「それが、リーンハルト公爵家のアレックス公子様です」
「アレックスが」
名前を聞いてシルヴィアはすぐに部屋を出た。
「お嬢様」
慌てたようにエリンが追いかけてきてシルヴィアを止める。
「公子様に会う前に整えた方がいいです」
そう言われて自分の状態を見下ろした。食事を摂るために部屋を出た記憶はあるけれど、それ以外はずっと作業部屋に閉じこもって机に向かって作業をしていた。服や髪が乱れるような激しい動きはしていなかったけれど、気力と体力は使っている。エリンから見るとよれよれのお嬢様に見えていたのだ。
本当は着替えをさせて化粧も直したいところだ。
「こんな時間に訪ねて来たのだから理由があるはずよ。のんびり待たせるわけにはいかないわ」
アレックスは公爵家としての振舞いをわかっている。夜遅くに男爵令嬢を訪ねてくるような非常識な人ではない。それなのに来たということはそれなりの理由がある。だからこそシルヴィアはすぐにでも会うべきだと考えた。
「それでは、ここでできる範囲で整えますから動かないでください」
エリンのすぐに察してくれたので、ドレスの皺を伸ばしたり髪を整えてくれたり、簡単にできる範囲で侍女としての仕事をこなしてくれる。
「もっと時間をかけたいところですが、今はこれで我慢します」
納得はしていないのだろう。少し不満そうな顔をしながらもシルヴィアを案内するように先を歩き出した。
リーンハルト公子は客間に通されていた。非常識な時間に来ているのだから玄関前で待たされても仕方がないはずだったが、やはり相手は公爵家の人間。エイターもそれを考慮して客間を用意していた。
「お待たせしました」
部屋に入ると、金髪に青い瞳の青年が、ソファに座って長い足を組んだ状態でお茶を飲んでいた。急な訪問に待たされることを覚悟していたのか、優雅な姿でのんびりと待っていたことが窺えた。
こんな時間に来たのだから急用だろうし、急いでいる雰囲気があってもいいはずなのに、アレックス=リーンハルトはそんな気配を微塵も見せることなくシルヴィアを待っていた。
「それほど待っていない。それに、急な訪問に応えてくれてこちらこそ感謝している」
カップをテーブルに置くと、アレックスは立ち上がって胸に手を当てて軽い会釈をした。公爵家の人間なのだからと横柄な態度を取ることはしない。しっかりと男爵令嬢にも優雅に対応する姿にシルヴィアはくすりと笑ってしまった。それを見たアレックスも口元に笑みを見せる。そこからは長年の付き合いである2人の関係性が垣間見えた。
シルヴィアも気にすることなくアレックスに近づく。
「何か急な用事があったのでしょう」
顔を覗き込むように首を傾げると、アレックスが苦笑した。
挨拶よりもここへ来た理由の方が大事だとシルヴィアは考えて先を促したのだ。
「やっぱり、悪竜の事よね」
アレックスが来たと聞いてそれが一番に頭に浮かんでいた。
今朝エイターが悪竜が降臨したことと、討伐にリーンハルト公爵家が主導するだろうと言っていた。直接本人から聞いたわけではないから慌ててはいけないと思ったシルヴィアだったが、こうして目の前にアレックスが来たことを考えると、悪竜のことを話しに来たのだと想像がついた。
「新聞で読んだのか?」
「新聞を読んだお父様が教えてくれたの」
あの後シルヴィアも新聞は読んだけれど、エイターが話していて内容がそのまま載っているだけで、他の情報は何も知らない。
「そうか。それなら話は早いな。悪竜討伐の指揮をするために5日後に王都を出発することになった」
「そんなに急に」
アーベスト王国に悪竜が降り立ったのだから、討伐は当然アーベスト王国がしなければいけない。騎士団や魔法師団から精鋭を揃えて討伐をすることになるが、その指揮権をアレックスが握ることになった。
悪竜討伐は命懸けだし、準備はしっかりとしなくてはいけない。1週間以上はかかると思っていたが、たった5日で準備して討伐に向かうことが決まったらしい。
予想外に速い展開に討伐に行くわけではないシルヴィアが緊張してしまう。
「もともと悪竜がいつ現れてもいいように準備は常にされているんだ。物に関してはほぼ揃っている。あとは人員を確保できればいつでも出発可能なんだよ」
悪竜討伐にすべての力を注ぐわけにはいかない。王都を守るための力も残しておく必要があるため、その調整に5日が必要なだけだった。
「人員の調整や、荷物の確認なんかも仕事になっているけれど、その前に会うべき人に会っておく時間も作ってもらった」
穏やかなアレックスの声を聞いているとなんでもないことのように思えてしまうが、彼も命がけの仕事をすることになる。もしものことを考えて、会うべき人に会うための時間を作ってここへ来たようだった。
会っておくべき人の中にシルヴィアが入っていたことは嬉しかったけれど、危険な任務に行くという現実も突きつけられる。
「・・・気を付けてね」
シルヴィアは何も言えなかった。行かないでなどと言える立場ではないし資格もない。アレックスとは婚約者でもなければ恋人でもない。強いて言うなら幼馴染なだけ。ただ、シルヴィアはアレックスのことを男性として慕っている。そして、彼も言葉にはしないけれど、シルヴィアを特別な存在として扱ってくれていることを知っていた。ただ、公爵家と男爵家では身分の壁がある。同じ貴族でも爵位が2人を簡単に結んではくれない。そのことをお互いに理解していた。
2人の時は気軽な言葉遣いをしているけれど、公の場では公爵家と男爵家としての態度で接する。
部屋の空気が重くなるのを感じながらも、シルヴィアは何とか明るく彼を送り出せないかと考えていた。だが、上手く言葉が出てこなくて立ち尽くしてしまった。
すると、アレックスがさらに近づいてきて手を伸ばした。
そっと壊れ物に触れるように指先が頬に触れる。
はっとして顔を上げると、アレックスの穏やか微笑みがあった。
「そんなに心配しなくても大丈夫。精鋭部隊で悪竜討伐に臨むから。騎士団だけじゃなく、魔法師団も協力してくれる」
シルヴィアを安心させようとしているのはわかったが、アレックスが無事でいられる保証にはならない。彼の剣の腕は優れていると聞いている。指揮を執るために行くとはいえ、彼もきっと最前線で戦うはずだ。
頬に触れる指先にシルヴィアも指を伸ばして触れた。
「心配くらいはさせて」
討伐に行かないシルヴィアは待つことしかできない。アレックスが無事であることを願いながら安全な王都にいることになる。だが、それも大切なことではある。シルヴィアが危険な状況になっていたら、アレックスに心配されてしまう。そうなってしまうと討伐に集中できなくなってしまうから、シルヴィアは大人しく待つしかないのだ。
「討伐はどれくらいかかるのかわからないが、今までの討伐では早くても半年はかかっていた。長いと1年かけて討伐していた記録もある。その間は会えなくなるから、身体に気を付けて」
「アレックスも、どうか無事で」
触れ合う指先でお互いを確かめ合うように見つめてからアレックスが惜しむように手を離した。
寂しさを感じながらもシルヴィアは努めて明るく振舞うように気を付けた。
「出発まで少し時間があるし、その間に私にできることをしようと思うの」
それが何を意味するのかアレックスにはすぐに伝わった。
「何か必要な物があるなら教えて」
「それは・・・」
シルヴィアの質問に、アレックスは明らかに戸惑いを見せた。
「いいのよ。こんな時くらい言ってくれて」
彼が素直に要望を言えない理由もシルヴィアはわかっていた。それでも今回だけは聞いておきたいと思った。
「アレックスは命懸けの戦いに行くんだから、あなたが無事に戻ってこられるように、少しでも手助けをさせて」
「・・・それなら悪竜討伐には、悪竜に辿り着くまでに瘴気にやられて魔物化した敵と戦うことにもなる。できるだけこちらの戦力が消耗しないような物が欲しい」
要望は言ってくれたけれど、どこか力のない言い方にシルヴィアは笑ってしまう。
「そんなに気にしないで。私がしたいと思ったことだから、アレックスが罪悪感を抱くことじゃないわ」
そう言って微笑むと、アレックスは少し申し訳なさそうな顔をしてからシルヴィアを優しく抱きしめた。
「ありがとう」
その言葉が彼の優しさと誠実さを表しているのだと思えて、それだけで十分だとシルヴィアは思った。
「無事に帰ってきてね」
シルヴィアもそっと彼の背に手を回すと2人は少しの間静かに抱きしめ合った。