王女殿下
「今日城に来ていると聞いたので、会えて嬉しいわ」
「そうですか」
「父に呼び出されたようですけど、何か問題でもありましたか?」
「王女殿下が気にされるようなことは何も」
一応返事はしているが、アレックスは内心うんざりしていた。
冷たい対応になるのは、一刻も早くこの場から帰りたいという意思表示ではあったのだが、目の前のリリアン王女殿下はそんなことに気づいていない。気づいていたとしても無視するだろうこともわかっていた。
リーヒルの執務室に1人の侍女がやってきた。
話が終わり部屋を出るところだったアレックスはリーヒルに何か用事があるのだろうと思い、その横をすり抜けて部屋を出ようとしたのだが、その前に侍女がアレックスに一礼してきた。
『リリアン王女様がアレックス公子様をお呼びです』
今しがた話題になっていた名前を言われてアレックスが固まると、リーヒルが額に手を当てた。
アレックスの婚姻に異議を唱えている張本人。できれば会いたくない人物ではあったが、相手は王女だ。よほどの理由がない限り断ることもできない。
リーヒルを理由に避けようかと思ったが、額に手を当てていた彼は顔を上げると小さく頷いてきた。
『一度会ってみるのもいいかもしれない。相手が何を考えているのか直接その目で確かめてくるといい』
そう言ってあっさり逃げようとしたアレックスを突き放してしまった。
仕方なくアレックスは侍女に案内されてリリアン王女が待っている庭へとついて行くことになった。
東屋に用意されたティーセットにお菓子。すべてが整えられた場所に、リーヒルと同じ金髪に緑の瞳の女性が座っていて、アレックスはすぐに挨拶をした。
「リリアン王女殿下にご挨拶申し上げます」
「アレックス来てくれたのね。挨拶はいいから座って話をしましょう」
明るく嬉しそうに弾む声を出してきたリリアンだったが、アレックスは内心ため息をついていた。
そんなアレックスの心境などお構いなしに、お茶が用意されるとリリアンは会話を切らさないように話しかけてきていた。
「悪竜討伐から戻ってきて謁見の間で顔を合わせて以来よね。全然城に来てくれないから寂しかったわ」
「お約束は何もしていなかったと思います」
「そんなこと気にしないで、いつでもわたくしに会いに来てくれていいのよ」
リリアンに会うために登城する気など全くない。
「お父様とは会って話をしたのでしょう。この後は時間があるのよね」
父親の仕事の手伝いがあるので暇なわけではない。それに仕事が終われば屋敷に帰る。大切な婚約者が待っているのだから、城に泊まるつもりもなかった。
堂々とそう言えればいいのだが、さすがに王族に対して失礼なので心の中だけで言っておく。
そんなことを考えると、脳裏にシルヴィアの顔が浮かんだ。出かける前に挨拶を交わしたが、帰った時もお帰りなさいと迎え入れてくれることを想像すると、今すぐにでも帰りたいと思ってしまう。
会いたいと思っていると、リリアンが黙ってアレックスを見つめていることに気が付いた。
「どうかしましたか?」
急に黙り込んだことを不審に思って声を掛けると、リリアンは視線を逸らした。
「その、体調は大丈夫なのかしら?」
急に何を言い出すのかとアレックスは数回瞬きをした。急に体調の心配をするなど怪しすぎる。
「特に問題ありません」
至って普通だったのでそう答えると、リリアンは視線を泳がせている。
彼女の態度でアレックスは目の前に置かれた飲みかけの紅茶に視線を落とした。
用意されたお茶は最初に口を付けた。それ以降は飲んでいないが、おそらくこの中に何か混ぜていたのだろう。その反応が出てこないことを確かめたようだが、余計なことを言ってアレックスに勘付かれてしまった。そのことにリリアンは気づいていないようだ。ただ、変な質問をしてしまったと軽く考えているようだったが、アレックスを軽んじているのがわかってしまう。
何を飲まされたのか大体の見当はついたが、特に異常が出ていないので今は知らないふりをすることにした。
もう目の前のカップに手を付けることはしない。黙ってリリアンの様子を見ていると、彼女は何か話題を変えたいのかあちこちに視線を向けていた。
不意にアレックスへと視線を戻すと胸元に視線が止まった。
「アレックスには不釣り合いなブローチね」
それはシルヴィアがお守りとして渡してくれたブローチの事だった。公爵家の人間が身に着けるには安い宝石のアクセサリー。リリアンは一目でそれを見抜いた。普段から高価な物を目にしているため、すぐに見抜けたようだ。だがアレックスはそれを恥ずかしいと思うことはない。婚約者からもらった大切な物だ。
「婚約者からの贈り物です」
自慢するように言ったつもりだったが、リリアンには逆効果だったようだ。婚約者と聞いて彼女はニヤリと不敵に笑った。
「あぁ、自分の立場を考えないでアレックスの求婚に応えたという男爵令嬢ね。それくらいの価値の物しか贈れないなんて、公爵家を侮辱しているのではなくて」
蔑むような言い方は、明らかにシルヴィアに敵意を示している。それがどういうことなのかリリアンは何も理解していなかった。
「陛下の承認を得ての婚約です。私の婚約者への侮辱は陛下と公爵家への侮辱に当たります」
王女なら何を言ってもいいというわけではない。国王が認めていて、公爵家も受け入れている。アレックスとシルヴィアの気持ちも通じ合っているところへ敵意を向ければどうなるのかはっきりさせておくべきだった。
アレックスの冷たい声に気圧されたようにリリアンが目を見開いて固まる。自分の発言がアレックスの逆鱗に触れたことを今さら気が付いたようだった。
王女として教育を受けてきているはずなのに、どうして簡単に敵を作るようなことをするのだろう。
兄のリーヒルはちゃんと考えて言葉を出すし行動する。王女だからと甘やかされたのかもしれない。
いい迷惑だと思いながら、侮辱されたアクセサリーに触れると、指先がほのかに暖かさを感じた。
不思議に思ってブローチを見下ろしたアレックスは宝石ではなくその横におまけのようにくっ付いている魔法石が淡く光っていることに気が付いた。あまりに小さいので見落としそうになるが、指先に触れる温もりはその魔法石のものだとわかる。
防御系の魔法を施してあると聞いていたが、今攻撃を受けた覚えがない。リリアンの言葉による攻撃はあったが言い返したので問題ないし、それに反応したとは思えなかった。
そう考えて目の前のカップに目がいった。
何かを混ぜられた紅茶。明確な薬はわからないが、身体に反応が見られない。
「まさか・・・」
アレックスは立ち上がると、びくりと肩を震わせたリリアンが上目遣いにこちらを見てくる。
「急用を思い出したのでこれで失礼します」
それだけ言ってリリアンの返事を待つことなくアレックスは東屋を出た。周囲に待機していた侍女たちが慌てたようにリリアンへと駆け寄っていく。彼女たちは見て見ぬふりをしていたが、リリアンが何をしたのかおそらく把握しているはずだ。リリアンの指示で動いていたのだろうが、そのことを責めるつもりもなかった。
後始末は侍女たちがするだろうからアレックスは気にすることなく城へと戻っていった。
ディールの元へ行きできるだけ早く仕事を終わらせて屋敷に戻りたい。その一心でアレックスは足を進めていった。