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着替えを済ませたシルヴィアはアリアと一緒に午後からリーンハルト公爵家へと向かった。
「お父様も一緒ならよかったのに」
「仕事ですもの仕方がないわ」
エイターは仕事で屋敷に居なかったためアリアと2人で出かけることになった。手紙にはヘイネス男爵への招待となっていたため家族全員が参加できることになっていた。おそらくアレックスが英雄となって戻ってきたことを祝うためのお茶会なのだろう。公爵が主催しての集まりになりそうだが、忙しい身の主人に変わって女主人であるセレスが取り仕切っているようだ。
自分の恰好に不備がないか馬車の中で確認してみる。公爵家の集まりなら、高位貴族ばかりの集まりになるだろう。そこへ男爵家がいることを不審に思ったりして、下手に注目を浴びる可能性もあった。そういう場は堂々としていた方が文句を言われたりしないことを知っている。そのため恰好も指摘されることのないようにしておきたかった。
社交の場にシルヴィアはあまり出席しない。両親は時々出かけているが、シルヴィアは成人してからお茶会やパーティーへの招待があったが参加しなければいけないもの以外は、基本的に控えていた。あまり目立ちたくないというのもあるし、自分の能力が世間に知られていろいろと面倒ごとが起きるのを避けているということもあった。
リーンハルト公爵家の保護があったとしても自分で気を付けることは怠らないつもりでいた。
今回はアレックスに会えるだろうという期待があったので参加している。公爵家から家族で招待されているのだから、男爵家が断れるはずもない。
「侯爵夫人もシルヴィアが来てくれたら喜ぶでしょうね」
「時々会っていたからそんなことないと思うけど」
悪竜討伐でアレックスがいない間もリーンハルト公爵家には行っていた。公爵の相談に乗ることもあって、魔法石を作って渡したり、普通に夫人とお茶を飲んだりと何度も会っているのだ。
「今日は特別よ」
アリアはいつもより嬉しそうにしている。アレックスが戻って来たことでより嬉しく思っているのかもしれないと思っていたが、なんだかそれだけではないようにシルヴィアは感じて首を傾げた。
そんな会話をしていると馬車が速度を緩めて公爵家の門の前に停まった。
馬車から降りて周りを見渡したシルヴィアは再び首を傾げることになる。
「他の方は来てないのかしら?」
公爵夫人主催のお茶会なら集まってきた貴族たちの馬車を見かけるはずなのに1台もなかった。すでに到着していて馬車がいないのかとも思ったが、屋敷の方から大勢の人がいる気配もしなかった。
もしかすると早く着すぎてしまったのかと思いアリアを見たら、誰もいないことを不審に思うこともなく出迎えてくれた執事と挨拶をしていた。
「奥様は中でお待ちです」
「ありがとう。シルヴィアも行きましょう」
案内されるまま質問をする暇もなくシルヴィアはアリアの後を追って屋敷へと入った。
「・・・静かね」
使用人が動いている姿は見かけても他の貴族たちとは出会わない。
「もしかして、今日は私達だけなの?」
先を歩くアリアに声を掛けると、アリアは振り返って微笑むだけだった。
これではいつものお茶のお誘いと変わりない。アレックスが戻ってきたお祝いではないようだ。それなら新調したドレスを着てくる必要はなかっただろうし、特別なことは何もないように思えた。
「こちらです」
案内してくれた執事は扉をノックすると静かに扉を開けた。
「ヘイネス男爵夫人とシルヴィア男爵令嬢をご案内しました」
「来てくれたのね」
姿が見えなかったが公爵夫人のセレスの声が響いた。体が弱く声に張りがある方とは言えない人なのに、今回ばかりは嬉しそうで弾んだ声が聞こえてきた。いつも以上に元気なことが伝わってくる。
きっとアレックスが無事に戻ってきてくれたことで、元気になったのだろう。
そう考えながら部屋に通されたシルヴィアは部屋に入った瞬間、足が止まって呼吸をすることも忘れてしまった。
ソファに座って穏やかな笑みを見せているセレスと、その横に立って後ろに手を組んで静かに佇んでいた青年に目を奪われてしまったのだ。
すらりと伸びた体躯は3か月前に会った時より大きくなったような印象を受け、精悍な顔立ちをしていたが、より一層大人の男性としての魅力を醸し出しているようなアレックス=リーンハルトがそこに立っていた。シルヴィアに向けてくる青い瞳は静かに澄んでいて、目が離せない。
悪竜討伐という重要任務を見事に成し遂げた経験からか、一段と立派になった雰囲気がシルヴィアには眩しく感じられる。
名を呼ぶこともできず黙って見つめていると、隣に立っていたアリアがそっと背中を押してくれた。
「お久しぶりです公爵夫人。アレックス様も悪竜討伐の成功とご無事に戻られてよかったです」
「シルヴィア嬢とは何度か会っていたけれど、男爵夫人とは久しぶりね」
「お久しぶりです男爵夫人。お元気そうでなによりです」
アリアが2人と挨拶を交わしている間、シルヴィアは何を言えばいいのか頭が真っ白になっていた。ただ、目の前に会いたかった人が元気な姿でいてくれることに感動さえ覚えている。
アレックスが視線を外してアリアと挨拶を交わす。その様子を呆然と見つめていると、再びアレックスがシルヴィアを見た。そこでやっと息を吸うことを思い出したシルヴィアだったが、言葉は出てこなくて開いた口は何も発することがなかった。
「シルヴィアも元気そうだね」
先にアレックスが話しかけてきて、その穏やかな声に胸の奥が熱くなるのを感じた。
込み上げてくる感情を抑えることができず、シルヴィアは手で口を押えると下を向いてしまった。目の奥が熱い。強く瞼を伏せても零れ出てきた涙を抑えることができなかった。
体が小刻みに震えて、誰が見ても泣いているのは明白だった。
挨拶をしなければと思ったが、口を開けば嗚咽が漏れそうで動くことができない。
そんな突然のシルヴィアの反応にその場にいた誰も彼女を責めることはしない。アリアがそっと背中に触れてくれると、近づいてくる足音にシルヴィアは反応できなかった。
「シルヴィア」
優しい声に零れる涙を抑えることができないまま顔を上げると、少し困った顔をしながら見下ろしてくるアレックスがいた。
「ア、レッ・・・クス」
「ただいま」
言葉に詰まりながら彼の名を呼ぶと、優しい声が返ってきた。
おかえりなさいと言いたかったが言葉が出てこない。それよりも感情が溢れてしまって、シルヴィアはアレックスの胸に飛び込むように抱きついてしまっていた。
それを咎めることもなくアレックスはしっかりと受け止めてくれて、夫人2人は静かにその光景を見守ってくれていた。
規則的に背中を叩く優しい手つきが大丈夫だよと言ってくれているのがわかると、さらに涙が止まらなかった。
どれくらい泣いていたのかシルヴィアは考える暇もなくアレックスの胸の中にいた。落ち着きを取り戻して彼から離れると、いつの間にか部屋には2人だけが取り残されていた。
「ごめんなさい」
何も考えることなくアレックスの胸で泣いてしまったので服を濡らしてしまった。泣いたことで化粧も崩れてしまっているだろう。恥ずかしくなって下を向いてしまった。
「謝らなくていい。ずっと心配してくれていたんだろう」
優しい声に顔を上げると、声と同じように優しい眼差しが向けられていた。
「アレックス、おかえりなさい」
「あぁ、ただいま」
泣いてしまって返事が出来ていなかったのでシルヴィアが言うと、アレックスが嬉しそうに返事をしてくれた。ずっと離れていたはずなのに、この瞬間にいつもの2人に戻ったような気がして安心感と嬉しさが込み上げてきた。
ただ、せっかく新調したドレスに気合を入れて来たのに、今のシルヴィアはボロボロになってしまってそれが情けない気持ちにもさせていた。
出直したいなと思う気持ちがあったが、アリアもセレスもどこかに行ってしまって、執事も侍女もいない。
「シルヴィア。ずっと立っていては辛いだろう。座ろうか」
泣いたことで疲れていたシルヴィアに気を遣ってアレックスがソファに座るように促してきた。
先ほどまでセレスがお茶を飲んでいたはずのテーブルには、いつの間にか新しいカップとお菓子が用意されていて、公爵家の侍女たちの手際の良さに驚かされることになった。
手を取られてソファに案内されると、そのまま2人並んで座る。
隣にアレックスがいることにほっとしているシルヴィアは恋人でも婚約者でもないのに隣にいる彼のことを当たり前のように受け入れていた。
「シルヴィア」
名前を呼ばれて顔を上げれば、アレックスがまっすぐに見つめてくる。
なんだかそれが恥ずかしくなって視線を下に向けた時、シルヴィアは一瞬言葉を失った。
許可を得ることも忘れてアレックスの左手に触れる。
「これって・・・」
袖口からわずかに見える手首に傷があったのだ。それも深い怪我をしたかのような。
「手首自体に問題はない。ただ、回復魔法をかけてもらったが、傷跡だけは残ってしまったんだ」
痛みも後遺症もないそうだが、その傷跡は痛々しく見えて、悪竜との戦いがどれほど厳しかったのかを教えるのに十分なものだった。
「怪我が治っても、怪我をしたことには変わりないでしょう。痛かったわよね」
討伐隊には回復師も同行していた。すぐに処置してもらえたからそれほど苦しむことはなかったようだが、それでも怪我をしたことには変わりなかった。そのことを思うとシルヴィアが苦しい気持ちになった。
悪竜討伐の成功とともに怪我人がいるという新聞を思い出す。それはアレックスの事だったようだ。
「私が用意した魔法石は役に立たなかったのね」
悪竜討伐で必要な魔法石を依頼されて作ったが、アレックスを守るためのお守りとしてブレスレットを渡していた。あれは依頼されて作ったものではなく、前にシルヴィアが個人的に作ったものだった。そのため女性用のブレスレットになってしまった。
あれは護りと反撃の魔法が込められていた。シルヴィアの渾身の作品と言ってもいい。
成人したときに今まで魔法石で稼いだお金で純度の良い魔石を購入して自分のために作ろうとしたのだが、それよりも先にリーンハルト公爵家から成人祝いとして魔法石をもらっていた。今後自分を守るための魔法石を作ることを勧められたのだ。公爵家の好意を無駄にすることなく、シルヴィアはその時自分ができる最高の作品を作っていたのだ。
ただ、それを使う状況はなかったため、そのままになっていた。
それをアレックスに託すことになるとは思ってもいなかったが、自分なりにいい出来だと思っていた魔法石が役に立っていなかったことにがっかりしてしまった。
「そんなことはない。あれがなかったら、今頃俺たちは無事では済まなかったはずだ」
意気消沈するシルヴィアにアレックスは慌てたように言い募った。
「この程度の怪我で済んだのはシルヴィアのおかげなんだ」
「私の?」
「あの魔法石はきっちり作動してくれた。悪竜が放った炎が全員を飲み込もうとしたが、それを防いでくれただけじゃなく、その炎をそのまま悪竜に跳ね返したんだ」
そう言う魔法石を作ったのだ。攻撃を跳ね返してくれたのなら魔法石としての役目は果たせていたようだ。それなのにアレックスは怪我をしてしまった。手首を見つめると彼は苦笑して続きを話す。
「悪竜の攻撃は凄まじいものだった。一緒にいた魔法師の話だと、悪竜の攻撃に魔法石が耐えられなかったらしい。攻撃は跳ね返したがブレスレットは壊れてしまったし、少しだけ俺に衝撃が残ってしまったようだと」
魔法石が耐えられないほどの悪竜の攻撃。それを跳ね返しただけでもすごいのだ。その衝撃を完璧に防ぐことは魔法石にはできなかった。そのため一部の衝撃がアレックスの手首を傷つけ、ブレスレットごと魔法石は砕け散った。
アレックスの怪我は最小限のものだと言ってもよかった。一緒にいた魔法師がそう判断したし、アレックスも納得していた。
「回復はしてもらったが衝撃の強さが原因なのか、傷跡は残ることになった。それでも俺は生きて王都に戻って来たんだ。それはシルヴィアのおかげだよ」
アレックスの説明にシルヴィアはもう一度手首を見つめた。傷は治ったためもう痛みはないようだ。その衝撃がどれほどのものだったのか傷跡で推測するしかないがかなり深い傷だったはずだ。それでも、無事でいられたことが奇跡のようだった。シルヴィアが渡したブレスレットがなければ討伐隊全員が無事では済まなかったし、悪竜を倒せていても犠牲はあった可能性が大きい。
「だから、シルヴィアは悲しむことはない。君のおかげで帰ってこられたんだ」
そっと手が伸びてきて頬に触れる。
「こうやってシルヴィアに触れることができるのも、君が作ってくれた魔法石のおかげだ」
指先が優しく触れてきて、シルヴィアはその指を覆うように自分の手のひらで覆った。
「違うわ。私の魔法石だけじゃない。アレックス達が頑張ったからこそ悪竜を倒せたの。討伐が成功した功績はアレックス達の誇りとして胸を張っていいはずよ」
シルヴィアは少しだけ手助けをしたに過ぎない。悪竜を倒したのはアレックス達だ。褒めてくれるのは嬉しいが、シルヴィアだけではどうすることもできなかった。だからこそアレックスも英雄として堂々としていていいのだと伝えたかった。
「そうだな。俺も英雄として胸を張るつもりでいるよ。それに、国王から討伐の褒美ももらったし」
「褒美?」
悪竜討伐に成功した英雄として国王陛下から褒美が出されたことを知った。
それぞれ願いを申し出てそれを許可してもらうことになったのだ。
アレックスがどんなことを望んだのかシルヴィアは知らない。首を傾げると、彼はフッと笑ってソファから立ち上がった。
アレックスを見上げる形になったシルヴィアはどうしたのだろうと不思議そうに彼を見ているだけだった。
するとアレックスがシルヴィアの前に片膝をついた。
今度は見下ろす形になって何が始まるのかわからずじっと彼を見つめた。
そっと手を取られると、手の甲に口づけが落とされた。
「アレックス」
彼の名を呼ぶと、アレックスは愛おしそうにシルヴィアを見つめ返してきた。
「シルヴィア。俺に君を一生幸せにするため側にいることを許してほしい」
「・・・え?」
「俺と結婚しよう」
聞き間違えかと思いシルヴィアは視線を彷徨わせてからアレックスと見たが、まっすぐに見つめてくる彼は至って真面目で、その言葉が真実なのだと理解できた。
アレックス=リーンハルトがプロポーズをしてくれた。
シルヴィアは返事をしなければと口を開きかけて動きを止めた。
リーンハルトは公爵家。それに比べてシルヴィアはヘイネス男爵家だ。家格としては不釣り合いであることは誰が見ても明らかだった。
嬉しさが込み上げて来たのに、戸惑いも同時に胸の奥に渦巻く。
「男爵令嬢の私だと、周囲が認めてくれないかも」
不安が口から零れる。本当はすぐにでも抱きついて良い返事をしたいのに、それを留めるほど貴族という立場は面倒なのだ。
「それなら大丈夫だ。君との結婚は国王陛下から承認を得ている。これが悪竜討伐の褒美になる」
アレックスは褒美としてシルヴィア=へイネス男爵令嬢との結婚を許可してほしいと願い出た。その場にいた貴族たちはざわめき驚きを隠せずにいたが、国王陛下は快く許可してくれた。
シルヴィアに先にプロポーズできれば良かったのだが、順番が違ってもアレックスはシルヴィアとの結婚を成立させるため英雄という立場と褒美という誰もが口出しできない状況を勝ち取ってきた。
「俺のことが嫌だったら断ってもいい。許可はもらっていても強制じゃない」
「嫌だなんて!」
叫ぶようになってしまったがシルヴィアに断る理由などなかった。ずっと胸の奥に仕舞っていた彼への想いを外に出していいのだと思うと戸惑いは消えてしまっていた。
「私は・・・私もあなたの隣に一生いられたらどれだけ幸せか」
男爵令嬢では公爵家とは不釣り合いだからと、一緒にいる時間があっても恋人になることはできないと諦めていた。それでもアレックスの側にいると自分の気持ちが溢れそうになる時はあった。
「私も、あなたが好き」
伝えてはいけないと思っていた言葉は自然と出た。
目の奥が熱くなるのを感じたが泣いてはいけないと自分に言い聞かせてアレックスを見つめると、彼は嬉しそうに微笑んでから顔を近づけてきた。
それに応えるようにシルヴィアがそっと目を閉じると、唇に柔らかい物が触れた。それは一瞬で呆気ないほどだったが、それでもアレックスとキスをしたという事実に胸の奥に高揚感が満ちていくのを感じた。
2人はその後見つめ合いながら微笑んだりして、お互いの存在を確認するように触れ合って、侍女が呼びに来るまでしばらく離れることはなかった。