祝い
悪竜討伐成功という報せはすぐに王都内を駆け巡り、まだ戻ってきていない討伐隊を称賛するように街の中は賑わいを見せていた。
「帰ってくるのにひと月以上はかかるはずだけど、それまでずっとこんな調子なのかね」
人気の少ないデイビットの店の周辺も、いつもと違って賑やかな雰囲気が漂っていた。外に出たら嬉しそうにしている人を何人も見かけることになる。それはデイビットとしても嬉しいことになるが、たまに喜びすぎて絡んでくる人間がいたため、しばらく店から出ないことにしていた。
「一緒にお祝いをしていればいいのに」
出されたお茶を飲みながら言うシルヴィアだが、言葉とは裏腹にどこか寂しそうな雰囲気を持っていた。
そのことをデイビットは指摘しない。シルヴィアが何を考えているのか予想できていたからだ。討伐に向かった大切な人が悪竜を倒してくれたことは嬉しいだろうが、会いたくても会えない寂しさを抱えている。デイビットにはどうしてあげることもできないため、静かに彼女を見守るしかなかった。
「外は賑やかだが、店の中は相変わらずだ」
「お祝いに必要な魔法石はないものね」
街の中は浮かれた気分でいるが、店に客が来る頻度は変わらない。生活に必要な魔法石を買いに来る客以外にこの雰囲気にのまれて新しい魔法石を買おうとする人間なんているはずもなかった。不要な魔法石を買ったところで意味がない。
「おかげでいつも通り奥に居られるってわけだ」
シルヴィアが久しぶりに魔法石を持ってデイビットの店に来た。魔法石の取引はカウンター越しにすることもあるが、今回は店の奥にある作業部屋でお茶を飲みながらになった。
客がいないこともあり、ゆっくりと魔法石を査定している。
「いつ見ても品質の良い魔法石を作って来るよな」
魔石自体はデイビットが店で扱っている物と変わらない。だが、シルヴィアの手にかかれば仕上がりはデイビットよりもずっと良質な魔法石を作ってくる。デイビット自身もそれほど悪い魔法石を作っているわけではないのだが、シルヴィアの腕と魔力操作が良すぎるのだ。
自分で店を持てばきっと王都中の魔法石店を潰せるほど繁盛させられる有名な店になるはずだ。
そう思っているデイビットだが、目の前のシルヴィアは優雅にお茶に飲みながら、自分の店を持つことなど一切考えていない。
彼女は店を持つよりも好きな魔法石を作って製作者を伏せたままデイビットの店で扱ってもらうことを望んでいた。男爵令嬢が魔法石を作っているというのは世間的にあまり良い印象を持たれないこともわかっているからだった。
魔法石の職人というのは魔法師に成り損なった落ちこぼれというイメージがある。少ない魔力で細々と時間をかけて魔法石を作るというイメージもあるため貴族令嬢がそんなことをしていたら印象が良くない。
しかし、シルヴィアは有り余った魔力で魔石に正確でかつ繊細な魔方陣を描ける。しかも時間もかからない。世間の常識を覆しているのだ。
これなら魔法師になれるのではと誰もが思うが、彼女は魔法を使うことができない。
外に魔力を放出して魔法を生み出すことが極端にできないのだ。それなのに、魔石に魔力を流し込んで魔法石を作ることはできる。魔石に魔法を付与するということはできるのだ。
シルヴィアの力を公表すれば、世間は驚き職人たちへの視線も変わるかもしれない。だが、同時にシルヴィアは最高の魔法石を作れる人物として目を付けられることになる。特に上位貴族たちは男爵令嬢であるシルヴィアを利用するはずだ。
それを避けるためにシルヴィアは密かに魔法石を作り、製作者を不明にして世間に自分の魔法石を提供していた。
「もっと自由にできたらいいのにな」
「何か言ったかしら?」
デイビットの呟きにシルヴィアはお茶を飲む手を止めて首を傾げた。
「なんでもない。それよりもこの魔法石全部買い取らせてもらうぞ」
「ありがとう」
上質な魔法石を提供してもらえるのだから、礼を言うのはこっちだと思うデイビットだ。
テーブルに広げていた魔法石を袋に丁寧にしまっていると、店の入り口でベルが鳴った。
「客が来たみたいだ」
デイビットはシルヴィアを残して店へと出て行く。
残されたシルヴィアはカップを手にして再びお茶を飲み始めた。
今回は調理の時に使う火魔法と、明かりが欲しい時に使う光魔法の魔法石を作ってきた。どちらも生活に必要な物なので需要はある。それに継続的に使っていると魔法石の魔方陣が弱くなって魔法石が魔石に戻ったり、壊れてしまう。魔石に戻った場合は最初より質の悪い魔石になってしまうので、結局捨ててしまうことが多い。そうなると新しい魔法石を買わなければいけなくなる。シルヴィアが作った魔法石は、その寿命が長いことで買って行った客からは好評だとデイビットが言っていた。
デイビットも良い物を作っているのだが、それよりもずっと長く使えるという話だ。
次は何を作ろうかと考えていると、店の方から話声が聞こえてきた。
店と作業部屋は布のカーテンで仕切られているだけなので、姿は隠せても声は聞こえてくる。
「直接交渉できるとありがたい」
「だから、それはできないって言っているだろう」
懇願するような男性の声に、呆れたように言うデイビット。喧嘩をしているわけではなく、世間話程度の会話のようだった。
「王室からの注文なのに、製作者を俺も知らないとなると、質問された時に困るだろう?」
「それはお宅の都合だろう。教えないことを条件に取引していることを忘れてないだろうな。俺は何も言えないぞ」
王室という言葉にシルヴィアはお茶を飲むこと止めた。静かに店から聞こえてくる声に意識を集中させた。
「それとも俺との取引を止めるのか。俺はそれでも構わないが」
強気のデイビットの声に、相手は少し渋ったのか苦しそうな声を出してきた。
「・・・続けます」
「わかっているならこの話は終わりだ。今回も少しだけだが魔法石があるぞ」
さっきまでの言い合いがなかったかのようにデイビットが明るい声で言うと、相手の男性も気持ちを切り替えたのか魔法石の交渉を始めた。
「全部買い取るから、少し抑えてくれないか?」
「これ以上下げたら俺の儲けがなくなる」
2人の声にシルヴィアは興味が出てそっと仕切っている布に近づくと、気づかれないように隙間から店を覗いた。
カウンターがあってデイビットが背中を向けている。その向かいに真剣にカウンターに置かれている魔法石を見つめている黒髪の男性がいた。
青い瞳が真剣に見ているのはシルヴィアが作った魔法石のようだった。顔なじみの客にデイビットがさっそく売ろうとしているようだ。
売れることは嬉しいが、シルヴィアは相手の客に見覚えがあった。
「サイラート子爵家のユーキス様じゃないかしら」
小さく漏れた声はカウンターで話している2人には聞こえない。
ユーキス=サイラートはサイラート商会の会長をしている。いろいろな分野に手を伸ばしてとにかく売れる物を他の商会よりも先に販売していくことで有名だ。流行の先端を行くと噂され、多くの貴族がサイラート商会で出てくる商品に目を光らせていると聞いたことがあった。
そんな商会の会長の目にシルヴィアの魔法石が止まっていることは名誉なことなのかもしれない。だが、シルヴィアはそのことを気にしていなかった。自分が作った魔法石が人々の役に立ってくれていればいいと思っている。他の職人より良い品を作っているという自覚はあっても、それを高い値で売りつけるようなことはしない。製作者を明かさず、ひっそりと売られて買った人たちが満足してくれればそれでよいと考えている。シルヴィアには欲がなかった。だからこそリーンハルト公爵家が守らなければと思ったのだ。
「品質がいいなら、商会で高く売っても売れるだろう」
「だが、使える魔法は他の魔法石と同じだ。長持ちはするが値段にそれほど反映できない」
「それはそっちで解決してくれよ。俺は良い魔法石を提供しているだけだから」
愚痴るユーキスにデイビットは冷たい。商売なのだから当たり前なのかもしれないが、交渉をしている場面をシルヴィアは初めて目撃していた。いつもはデイビットに買い取ってもらうだけでその先のことはわからない。売れたという報告をもらうことはあってもどんな交渉をして誰が買って行くのか詳しくは知らなかった。
前に店での販売だけでなく商会を通じて流通させていることを言っていたはずだが、ちゃんと売られているのならその先のことは任せていたのでシルヴィアは興味を示さなかった。
目の前の光景は新鮮だった。
人気の少ないひっそりと営んでいるデイビットの店にもサイラート商会は目を光らせていたのだろう。王都にある店で何が売られているのかそれを把握することも商会としては重要視している。
そんなことを知らないシルヴィアは黙って2人の様子を見ていた。
「それで、この魔法石は買うのか?」
「それはもちろん。他の店ではこれほどの品質は手に入らないからね。王都よりも地方で売った方が高く売れたりするから、王都に来た時は必ずここに寄ることにしている」
絶対に買うという意気込みが伝わってくる。
「この後地方に行く予定なのか?」
「しばらく悪竜の影響を受けない場所を中心に移動していたが、悪竜討伐に成功したようだし、魔物がまだ残っているとはいえ、大きな被害さえ出なければまた北部にも足を運ぶつもりだ」
魔物がいるところにわざわざ足を運んで商売をするにはリスクがありすぎる。そのため悪竜が降り立った北部地方を避けていたようだった。しかし、悪竜がいなくなったことで、これから大きく動くために王都で買い付けを行っていたのだ。
「さすが商売人」
デイビットが零すと、ユーキスは満足そうに笑顔を見せていた。
シルヴィアは音を立てないようにその場を離れると、椅子に座って冷めてしまったお茶を飲んだ。
魔法石が売れたことは嬉しいが、それよりも悪竜がいなくなったことで少しずつ元の生活に戻ろうとしている人がいる。これもすべてアレックス達が頑張ってくれたおかげだ。そう考えると自然と頬が緩む。
静かにお茶を飲みながら、シルヴィアはしばらく嬉しい気持ちを抱えてデイビットが戻ってくるのを待つことになった。