決戦の城
悪竜が降臨した場所はイグリット侯爵領であり、開けた平野が広がっている領地だった。領地の東側には川が流れていて、さらに北部にある山脈から流れてきた腐葉土を運んでくれるため、侯爵領は川を中心に作物がよく取れる裕福な領地でもあった。
しかし、悪竜がその川の付近に降り立ったことで事態は大きく変わってしまった。
悪竜がまき散らす瘴気のせいで作物が枯れ果て、魔物が蔓延るようになり、近くの集落は魔物に襲われて壊滅してしまった。幸い悪竜が近くに降り立ったことはすぐに知らされて人の避難はできたが、避難民たちはすべてを失ってしまった。もっと人が集まっていた、町もあったがそちらも数日で人がいないゴーストタウンとなった。
侯爵が騎士団を動かして人々を主都に避難させたことはよかったが、避難民で混乱している時期もあったようだった。被害は最小限に抑えることができた。だが、悪竜が降り立ってから2か月が過ぎて人々の不満も増え続けている。そこに魔物が襲ってくることがあり、主都の中は緊張と恐怖で人々に不安だけを植え付けていた。
主都イグリナはイグリット城を守るように高い城壁に囲まれた主都になっている。過去にも悪竜が降り立ち大きな被害が出た経験がある領地のため、先人たちが次の被害を防ぐために高くて丈夫な壁を作り上げていたのだ。
何百年と被害がでることはなかったため、現在の侯爵はその価値を過去の遺物としてしか認識していなかったのだが、それが今になって大きな役割を果たしていることに先祖に感謝するほどだった。
「王都を囲っている壁よりも頑丈そうに見えるよな」
「王都は魔法で壁を強化しているので、一見弱そうに見えても頑丈なのよ。もちろん魔法は魔塔で管理しているから、常に強固な壁を維持しているわ」
主都イグリナに到着して、始めて見上げた壁にワイルダーが感想を漏らすと、隣にいたミッチルが自慢げに説明している。
その話を聞きながらアレックスは王都のことを思い出していた。
王都も悪竜に備えて守るように壁が作られている。悪竜だけではなく隣国が責めてきた時の備えにもなっているのだが、過去に戦争が起こった時に役立ったと言われている。
王都はすべての攻撃から守られなければいけない国の重要な場所なのだ。
その王都に残してきた大切な人の顔が思い浮かぶ。
無意識に手首に触れて、彼女からの贈り物であるブレスレットに触れていた。
「見ている限り、所々城壁に傷があるように見えます。何度か魔物の襲撃を受けているようですね」
馬に乗りながらの移動で壁を見ていると、隣の馬に乗っている女性が声を上げた。
彼女はユミナ=コリンズという聖魔法が使える回復師だ。魔法が使える存在には2種類ある。1つは様々な現象を生み出せる魔法師。もう1つは生き物の傷を癒したり体力を回復させられる回復師だ。両方とも魔力を使った魔法ではあるが、それぞれ特性が違うため使える魔法も違ってしまう。
魔法師は魔塔に集められて魔法の研究をしたりしながら生活しているが、回復魔法が使える者たちは神殿に集められる。そこで神官として仕えながら、人々の治療をしたりして生計を立てている。
その神官の中でも特に回復魔法に長けている者たちを回復師と呼んでいるのだ。
ユミナは神殿が推薦した回復師だった。彼女の他にも数名の回復師が討伐隊に配属されていたが、誰よりも早く確実に治療ができるということで、魔物との戦闘が始まると貴重な存在となっていた。
ユミナは悪竜討伐にも同行するメンバーになっている。
「壁の修復なら魔法師の出番でしょうね。何人か後で手配しましょう」
ユミナの言葉を聞いてミッチルが壁を見ながら言ってきた。魔法で壊れた場所を修復するらしい。いつ魔物がまた襲ってくるのかわからない状況ではゆっくり直している暇がない。だからといって、その場所に人手を割いている余裕もなかったはずだ。討伐隊が到着したことで余裕もできるだろうし、連れてきた魔法師たちが活躍してくれればこの場所はまだ持ってくれるだろう。
アレックスとしても安心できるのでミッチルに任せることにした。
アレックスが悪竜討伐の部隊として連れてきたのは騎士や魔法師、回復師を含めて50人ほどの集団になっている。それを5、6人の班に分けていたので、主都に到着したからには領地の騎士団と協力して守ることになる。
「まずは領主に会わないといけない」
「セルシオ=イグリット侯爵だな。確か50代に入っていて、息子に代替わりをする予定だったが、悪竜が現れたことで今はそれどころじゃなくなったはずだ。侯爵夫人は亡くなっているし、息子夫婦は王都に避難しているはずだけど、この一大事に避難はできないと言って息子だけ戻って来たはずだ」
「詳しいな」
「そりゃ、これから世話になる領地だしな。情報収集はしっかりしておかないと」
ワイルダーが得意げに言う。侯爵は王都で何度か顔を合わせたことがあったので知っている。その息子も意志の強そうな好青年という雰囲気だったことを覚えているが、それも数年前のことで、現在どうなっているのかアレックスは知らなかった。子供が生まれたことで領地経営に力を入れるようになったと聞いたことがあった。侯爵にとっては孫が生まれたことになり、祖父となったことで息子に爵位を譲る気になったようだった。
その矢先に悪竜が発見されて、今は魔物の侵入を防ぎ領地民を守ることが優先されていた。
領主の城は北側に建てられているため、北から責めてくる魔物を城で守っているような形になっていた。そのため騎士たちも城を守るように城壁からの監視と警備を行っていた。
南側から主都に入ったアレックス達は城へと隊列を組んだまま進んでいく。
討伐隊が向かっていることを主都にいる人々は知っていたようで、討伐隊は主都に入るとすぐに城へと続く道を進み、人々が両サイドを出迎えるように立ち並んで見ていた。
ただ、彼らの目は疲れ切っていて歓迎しているというよりこれから討伐隊に何ができるのか、本当に悪竜を倒してくれるのかという不安が浮かんでいるようだった。
歓声はなく、静かな出迎えでもあった。
城に近づくにつれて騎士の数も増えていく。討伐隊が主都に到着したことは侯爵の耳にも入っているだろうが、その姿は首都の入り口に見られなかった。城で出迎えるつもりなのだと判断して、アレックスはそのまま城へと向かっていた。
馬に乗ったまま移動しているので、領地民からは注目の的となっていた。それに応える素振りを見せることなくアレックスが進んでいく。
下手に反応してしまうと、必要以上の期待を背負わされる可能性もあった。
失敗が許されない討伐とはいえ、もしもの時の落胆と怒りは相当なものになるだろう。混乱も生じてしまうと、イグリット侯爵領が危機的状況に陥る可能性もあった。
他の仲間も余計な負担を背負うことがないように、ここは穏便に通り過ぎるべきだとアレックスは考えていた。
アレックスは自分にできることをするだけだ。そして、討伐が完了したら王都に戻って無事な姿を家族や大切な人に見せることが役目だと思っている。
「あの・・・アレックス様」
まっすぐ前を向いて考え事をしていると、ユミナが遠慮がちに声を掛けてきた。
「どうした?」
ユミナは平民出身の回復師で、公子であるアレックスとは悪竜討伐がなければ会話をするような立場ではない。それもあって彼女はいつも遠慮がちに話しかけてきたいた。これから悪竜との戦いが始まるのだから、もっとはっきりと意見を言ってもらえるとありがたいと思っていたアレックスだが、ここに来ても彼女の態度が変わることがなく、少し諦めていた。
そのかわり、アレックスが同じ目線で会話をするようにはしていた。
「主都に到着しましたし、どこかで休む時間がありましたら、回復をしておきましょうか?」
「・・・いや、俺は大丈夫だ」
「でも、王都を出発してから一度も回復魔法をアレックス様に使っていません」
特に怪我をしてはいなかったが、体力の回復もできるのが回復師だ。だが、アレックスは王都を出発してから一度もユミナに回復してもらっていなかった。移動で体力を使っていたが、休めば回復するし、魔法を使ってもらう程でもなかった。それに魔法を使えばユミナの負担にもなる。魔法師も回復師も騎士より体力が劣っている。そこへ魔力の消費が重なるのはできるだけ避けたいと考えていたのだ。
ミッチルとユミナには悪竜との戦いまで力を温存してもらいたいと思っていた。
「俺は問題ない。それよりも今は力を十分に温存しておいてくれ。悪竜との戦いになった時に発揮してもらわないといけないからな」
「わかりました」
どこか寂しそうな表情をしながらユミナが返事をする。その会話を聞いていたワイルダーはしゅんとするユミナに同情するような視線を送ってから、アレックスの隣に馬を付けてわざと肩を竦めてみせた。
「せっかくの色男なのにまったく気が付かないなんて、罪だねぇ」
「・・・何の話だ?」
言っている意味がわからなくてアレックスが首を傾げると、ワイルダーは渇いた笑いを浮かべてから、何も言わずに先へと進んでしまった。
ユミナに視線を向けて見たが、彼女は気まずそうな表情を浮かべて馬の速度を緩めると後方へといなくなる。ミッチルは話を聞いていなかったようで、馬に揺られながらあちこちに視線を向けている。壁以外にもどこか修復するつもりでいるのかもしれない。彼女も魔力を温存してほしいのだが、アレックスの心配をよそに気楽にしているようだった。
まったく意思の疎通のできていない個性豊かと言うべきなのか迷ってしまうメンバーだが、彼らと一緒に悪竜を倒さなくてはいけない。目の前に悪竜が迫ってきたら統率された戦いができることを信じるしかない。
誰にも気づかれることなく小さく息をついてから、アレックスは城へと向かうのだった。