凄腕の職人
その日の夜。ディールは執務室の机の上に置かれた3つの魔法石を眺めながら、どの石をどの町や村に持って行くべきかを悩んでいた。
シルヴィアに頼んだのは魔物避けの魔法石。しかし、彼女は1つだけ結界石を作ってきた。魔物が近づくのを完全に防げるわけではないが、近づいてくる魔物を減らせる魔物避けで何とか凌ぐつもりでいたが、魔物が完全に入らない結界を施せる魔法石があれば、しばらくの間結界が張られた場所は安全とも言える。
その場所は最小限の騎士だけを置いておけば、他の騎士を別の場所に移動させることもできる。
地図を見ながらどこに持って行くべきか魔物の数も把握しながら考えなくてはいけなかった。
シルヴィアは要求した物も作ってくれるが、それ以上に効果のある物も時として簡単に作ってきてしまう。
「こんな逸材が世に知られたら、きっと彼女は道具として利用されることになるだろうな」
貴族とはいえ男爵家だ。上級貴族がこぞって依頼をしてくるか、下手をすれば攫われて擦り切れるまでこき使われる可能性だってある。
幼い時は何もわかっていなくて、その幼さのおかげで妻を助けてくれたのだ。そこは感謝するしかない。ただ、何もわからずに利用されてしまう可能性だってあった。男爵夫妻は随分と警戒していたが、時間をかけて説得して、シルヴィアを保護する形で公爵家が密かに後ろ盾になる約束を交わせた。
シルヴィアに魔法石を作ってもらう時は依頼という形で金銭を支払っている。無理やり働かせることはしない。
「早く出会えたことに感謝するしかないな」
シルヴィアと出会ったのは10年前。
ディールが領地から王都へ帰る途中、襲撃にあったのだ。リーンハルトに恨みのある貴族が襲撃を依頼したものだったのだが、その時たまたま同じ道を通りかかったヘイネス男爵に救われた。しかもその時の襲撃犯を撃破するのにシルヴィアの魔法石が使われたのだ。間接的にディールはシルヴィアに助けられていた。その後妻の危機も偶然とはいえ助けてくれて、幼い子供に夫妻は感謝したことを覚えている。
懐かしさを感じながら魔法石を眺めていると、控えめに扉をノックする音が聞こえた。
こんな夜遅くに誰だろうと思って返事をしたディールは、扉を開けて中に入ってきたのが妻であったことに驚いた。
「こんな時間にどうした?」
アレックスが悪竜討伐で王都を離れてから、精神面で体調を崩すことが増えたセレスはしばらく屋敷で静養していた。やっと安定してきた頃にシルヴィアを招いてお茶ができるほどにはなったが、夜遅くまで起きていられるほど健康的ではない。もうすでに休んでいると思っていたため、ディールは慌てたように妻に駆け寄ってソファに座るように促した。
「あなたがいつまで経っても寝室に来ないから様子を見に来たのですよ」
それなら使用人の誰かに頼めばよかったのにと思っていると、セレスは心を読んだように肩を竦めた。
「たまにはわたくし自ら来てみるのもいいと思って」
少しだけ気分転換がしたかったらしい。それでも体に障る行動はディールとしても心配になってしまう。
ただ、気分だけでここに来たような気がしなかった。
「何か話したいことがあったんじゃないか?」
そんな気がして尋ねると、セレスは嬉しそうに微笑んだ。
「ふふ、ディールにはお見通しね。それなら遠慮なく言うけれど、シルヴィアを使いすぎではありませんか?」
悪竜討伐のため公爵家からの依頼で魔法石を提供してもらっていた。それから時間がそれほど立っていないにもかかわらず、再び彼女に新しい魔法石の依頼をしたことを気にしていたようだ。
凄腕の魔法石の職人であるシルヴィアは、世間に知られることなくひっそりと魔法石を作っている。彼女が悪事に利用されないためにも公爵家で守っているというのに、その公爵が何度も魔法石の依頼をしていた。セレスはそのことで男爵家やシルヴィア自身を苦しめているのではないかと思ったのかもしれない。
「確かに何度も依頼をしてしまっているが、シルヴィアは協力的だ。男爵家からも抗議は来ていないぞ」
「それはそうでしょう。相手はリーンハルト公爵なのですから。不満があっても簡単に口にできませんよ」
守ってあげるのだから依頼は必ず受けなければいけないという制約はない。とはいえ相手が公爵家では簡単に嫌だと言えない立場でもあった。
「もう少し気遣ってあげるべきです。それに、何度も魔法石を依頼していたら、帰ってきたアレックスに怒られてしまいますよ」
「ふむ、それも困るな」
アレックスがシルヴィアに対してどんな感情を抱いているのか親として気が付いていた。最初は公爵家に取り入ろうとしている下級貴族というイメージを持っていたようだが、シルヴィアと出会ってからは可愛い妹のように接していた。それがいつの間にかかけがえのない大切は存在として見つめていることに気が付いたのはアレックスが成人した頃からだった。公子として将来の相手を考えなくてはいけないと思っていたディールは、息子の結婚相手を探そうとした。しかし、アレックスが誰を見ているのか気が付いてしまったのだ。母親であるセレスはもっと前に気が付いていたようで、何も言わずに2人を見守っていた。
息子の気持ちに気づいてしまったディールは無理に縁談を持ちかけることをやめた。シルヴィアは成人していなかったし、アレックスの心がどこまで本気なのかを見極めたかったのだ。
そんな風に時間が過ぎていくと、息子の気持ちに変わりは見えず、シルヴィアもアレックスに対して気持ちが向いていることがわかった。ただ、彼女は男爵令嬢という貴族でも身分が低い立場のため、どこか距離を保っている雰囲気もあった。
アレックスも積極的に動くことをしないため、どうしたものかと妻と2人で話し合ったこともあった。新しい出会いを作るべきかと思ったが、シルヴィアに関してアレックスが敏感になることがあって、下手に2人を引き離すようなことをすれば息子の逆鱗に触れるだけではなく、シルヴィアもひどく傷つけてしまう恐れがあった。
今の関係が崩れることはしたくなかったため、ディールも慎重になっていた。
「いっそのこと求婚してしまえばいいのに」
縁談を持ちこまずに我慢しているのだから、早いところ2人が一緒になってしまえばいいと思うディールだ。あの2人なら反対するつもりもない。
心の声が漏れていることに気が付かずディールが眉根を寄せていると、聞こえていたセレスはくすりと笑った。
「シルヴィアが義理の娘になるのなら大歓迎ですけど、それでも魔法石をいつでも作ってもらえると思うのは別の話になりますよ」
「むむ・・・」
いつでもどんな魔法石も作ってもらえる義娘がいるのは公爵家としてもありがたいことだが、そのために結婚したのだと誤解されてしまったら、シルヴィアを傷つけることになる。それよりもアレックスの怒りを買うことになるだろうし、男爵家の不況も買う。そうなると公爵家自体が危うい状況になりかねない気がした。
シルヴィアが嫁に来るのは喜ばしいが、扱いを間違えてはいけないのだ。
机に置かれている魔法石に自然と目がいって、ディールは小さくため息をついた。
シルヴィアが公爵夫人となれば、彼女の力を公表しても手を出してくる人間はいないだろう。そうなれば公爵家に喧嘩を売ってくるようなものだ。シルヴィアの実力が知られても彼女を守る地盤があればきっとこの先も大丈夫だと思う。そうなれば今よりもずっと心置きなく魔法石を作ることもできる。
それがシルヴィアの幸せにつながるのなら、アレックスも納得してくれるだろう。
そんな夢をディールが持っていることを家族は知らない。まだ話せていない。話すためにはシルヴィアの同意が必要でもあるからだ。
「さぁ、今日はもう休みましょう。考えることはまた明日にして」
悩みが絶えないディールを労わるようにセレスがソファから立ち上がって部屋を出ようとする。
色々と言ってはくるが、妻は結局のところ夫の心配をしてくれているのだ。そのことを理解しているディールは机の上に置いていた魔法石を箱に入れて鍵付きの引き出しに閉まった。大事なものなのでそのままにはしておけない。
考えることはまだたくさんあるが、今は妻の言葉に従ってゆっくり休むことにした。
ディール自身は領地に行く予定ではない。騎士団長のジルに魔法石を託して領地を守ってもらうことになる。その指示を出す本人が体調を崩してはいけないのだ。
明かりを消して静まり返った執務室を出ると、妻を支えるようにそっと背中に手を回してディールは寝室へとゆっくり歩みを進めるのだった。