第056話:キャンプイベント(後編)の(後編)
朝隈樹:朝隈伯爵家の4男。平民落ちしないために奮闘中、攻略対象の1人
緑川香:朝隈樹の母の付き人の娘。樹の世話役。
宮古:天皇の直孫、生徒会長。ヒロインの1人
山下清美:宮古直属の部下、西城家派閥の侯爵家4女。筋肉愛好家。須藤の前世の婚約者とうり2つ
河中葵:宮古直属の部下、北条公爵家分家の長女。
東郷時雨:東郷家公爵家長女にしてシナリオのラスボス。母親は東郷美々(東郷源十郎の娘)だが東郷家の子供として扱われている。
西城瑠璃子:西城公爵家の次女。姉の他兄が1人、弟が1人いる。主人公と同じく1年。【剣聖】のレア称号持ち
信濃海斗:瑠璃子付の護衛、信濃伯爵家の4男。表の顔はさえないおっさんだが、かなりの実力者
■キャンプ検定:
ダンジョンは危険な場所であるが、テレビ越しに安全な位置から見るその景色は見たこともない風景であり、なんとも冒険心をくすぐる光景だ。
しかし、だからといって探索者になってダンジョンに潜ろうと考える人は少ない。
そんな行き場の無い冒険心の行く末がキャンプだった。ダンジョンが生まれてから現在までキャンプを趣味とする人は多く、旅行以上の盛況ぶりだ。
需要が溢れれば当然供給も増えることになり、村おこしの一環としてキャンプ場を整備する地方が増え始めた。
しかし、キャンプ場の増加は治安の悪化を招いた。特に多いのが他の客とのトラブルやゴミ問題だ。対処を求められた国が出したのが「キャンプ検定」という国家資格だ。
ほぼ全てのキャンプ場がキャンプ検定の所持者のみキャンプ可能(グループで行う場合はリーダーのみ所持を求められる)としているため実質キャンプ免許となっている。
だが日華の企業がこの検定所持者を優遇しだしたため事態は一変した。
基本的に検定の目的が「心構え」であったものが「実技」も求められるように変化してしまった。これではキャンプをしたくとも始められないとキャンプ客の減少を招き、供給側の方が困ることとなる。
最終的に1種類だった検定資格を1級~3級に分け、3級はペーパテストのみ、2級から実技も含めてテストする形となった。
これにより、ただキャンプがしたい人は3級を取り、企業など探索者は2級を取る様に分拠することができるようなった。
日本の人間だが、いわゆる箔として2級を受ける人もちらほらいるし、探索者の中には1級を取得する人もいる
ダンジョン学園でももちろん受験することは可能で、2級以上の資格取得は単位の補填となる。
現在ではさらに上級のサバイバル検定という資格まで出てきた。こちらではキノコの見分け方だけでなく毒蛇の捉え方などどの方向に行くのか、いささか悩む内容である(探索者は通常の毒では死なない、ダンジョンに茸も生えていない)。
昼食が終わると再び出発だ、午後からは午前と変わって貴族達が交代して護衛訓練に当たる。グループ長である宮古の号令の元昼食を片づけトイレを済ませて班毎に別れて並ぶ。
「点呼!」
宮古の声で葵が名前を順番に読んでいく。
「七森健」
「ハイ」
極めて事務的な感情のない返事をする七森。
オート・コール・アンサーシステム(ACA)これはコミュ障すぎて点呼の返事も出来ない七森のためにミーナ、家族、会社の社員全員で一丸となって開発、習得した七森健専用の技能だ。
早すぎず、遅すぎず、適切な声量で不信に思われないタイミングで「ハイ」とだけ返答する。
学生生活から外れて幾数年とっくにすたれ、忘れ去られたものと思われたACAシステム、しかし、努力は裏切らない、まだ七森の中にしっかりと根付いていた。
午後からは貴族達の護衛訓練が中心となるため一直線に移動しない。同じ場所を何度も行き来したり、わざと迂回したりと時間をかけてゆっくりと回る。
隻腕の少年が大斧を振り降ろして狼の頭を真っ二つにして絶命させる。DRDでの経験値、パラメーターの上昇値は、BPを減少させた割合に応じて分配される。
それとは別にLPを削り切った探索者にボーナス値が入る仕組みになっている。
こちらの世界でも経験値の取得仕様は同じだ。なにもヒントはないため詳しいことは解らないが、貴族達含め一般探索者であってもある程度戦っていれば知っている内容である。
彼の他にもパーティメンバーがいるが、彼が止めを刺しても文句を言わないし、むしろ彼が止めを刺しやすいように連携している。かなり重そうな大斧を片手で振り回すのは大変そうで肩で息をしている。
「誰?」(長谷川)
「わからん。モブかも?」(皆川)
「樹様」(香)
「大丈夫だ」(朝隈)
「あ、あー多分女主人公の攻略対象の一人だ」(皆川)
「隻腕キャラなの?」(長谷川)
「う~ん、そんなキャラなら目立つだろうから覚えていると思うんだけどな……記憶に無いな、男キャラ落とす趣味ないし」(皆川)
「そりゃそうか」(長谷川)
「むしろ名前から攻略対象の一人として思い出したんだぜ、凄くない?」(皆川)
「はいはい、すごいすごい」(長谷川)
「よう、片腕ミーノータウロスに切られたって割には元気そうじゃねぇか。ちょっと有名になったくらいで、調子に乗ってると、もう片方も切り落とされえうことになるぜ」
「……」
実際は階層エレベーターに切断されたわけだが、テレビ画面に映ったときには隻腕であったし、ミーノータウロスの斧を持っていたため世間一般ではミーノータウロスとの名誉の負傷となっている。
朝隈もその方が名声も広まるため訂正はしていない。
テレビ局側としても2年になってやっと6層へ行けた情けない貴族よりも、隻腕でミーノータウロスを倒し、その大斧を手にいれた期待の新入生。
こちらの方が映えるため大抵放映されるのは彼が階層エレベーターから出てきたときの映像である。
朝隈からすれば狙い通りであるが、思った以上に妬みが酷く辟易としている。また隻腕も一ヶ月もすれば治るためその後どうするかが悩みの種である、正直効果が大きすぎたのだ。
…………………………
夕方頃には2つ目のセーフルームへ皆到達していた、白雪は倒れるようにセーフルームへ転がり込む、いや実際倒れている。
「コシューコシューコシュー」(白雪)
「おーい、大丈夫かー? キャンプの設営始めるぞー」(加藤)
「コシューコシュー……あぃ」(白雪)
「そこっ、さっさと設営しろ! 急げよ」(上級生)
せかされて、同じように倒れていた陽子、忍、雛乃もゆっくりとたちあがる。
「えっと、雛乃先輩?」(五十嵐)
「……大丈夫……大丈夫です、私は元気です」(雛乃)
「いえ、先輩も設営手伝うんだと」(五十嵐)
「……ダイジョウブ……ダイジョウブ、ワタシ、ゲンキ」(雛乃)
(全然大丈夫そうに見えない……)(五十嵐)
…………………………
清美は須藤を見つめている。須藤もその視線を受けややギクシャクしているが手際よくテントの設営をこなしている。所々とまどうところもあるものの手際自体はいい。
何故私のことを知っているのか謎は深いままだが、須藤自体は別に悪い人間には見えない。
なんというか表裏がないというか、とても潜入なんかの任務をこなせるような人選ではないだろう。そもそもあの体格だ、文字通り隠れることなど出来ない。
(頭脳がいて、その作戦の実行者とかならわかるんですが、それなら何故私なんでしょう? 自慢じゃないですが私自体に価値はないですからねー)
会ってから何度も考えては答えのでない疑問である、基本的に清美も葵も卒業後には宮古について自衛隊へと転属することが決まっている。これ自体は異例の事では無く、どちらかというと伝統と言った方がいい。
学園で組んだパーティは卒業後も続くことが多い、死亡等によってパーティとしての活動が困難にならない限りはやはり3年間も一緒に居られたパーティというのは解散を望まないだろう。
雇う企業側も大抵パーティ単位で雇うつもりなので面接もリーダーとしか行わないのがざらだ。
しかし、宮古は事情が異なる、日本の皇族であり日華の国籍は持っておらず留学している立場だ、卒業と同時に日本へと戻らなければならない。
そのため恒例として皇族とパーティを組んでいた貴族の子息も日本へと帰化する事となる。
日本での探索者の居場所は自衛隊しかない。宮古も例外なく、逆に皇族だからこそ自衛隊に身を置く事になる。天皇家自ら自衛隊として日本を護るというのも国民受けがいいため猶更である。
つまり、いずれ日華を出る人間に取り入ってもなんの意味も持たない。日本の情報を得るため、などというのも意味をなさない。
すぐ前で述べたように自衛隊に身をおくため日本でありながらも活動場所は制限されるからだ。
日本赤軍の事件もだいぶ風化したとはいえやはり探索者に対する忌避感は根強いものがある。
そのため小ダンジョン絡みの事件でもない限り自衛隊の駐屯地から出ることも無く、しかも年の半分は北海道の本拠地で過ごすことになる。
(自衛隊の内部情報でも欲しいのでしょうか?)
だとしたら余計に意味が解らない。清美に取り入るよりも自分から防衛大学に進んだ方が速いからだ。
宮古の側近ということで極秘情報でも得ようとしている可能性もあるがそれにしても無理があるだろう、清美が貴族で須藤は平民だ。
清美が極秘情報を話している場所に居る確率、須藤に話す確率、いったい幾つゼロが付くかも見当がつかない確率だ。
「あの……」(須藤)
「ん~~?」(清美)
「あの!」(須藤)
「ほえ!?」(清美)
「……何か用でしょうか?」
さすがに凝視し過ぎたようだ。
「あ~~……え~と、上腕二頭筋と広背筋見てました」
「なるほど、了解です」
納得して須藤は作業に戻っていく。
「納得しちゃうんだ……」(清美)
キャンプ設営が大分終わったころ、急に暗くなる。まるで電気のスイッチをOFFにしたように唐突にだ。
「うわっ!? なにこれ?」
「急に暗くなったぞ!」
驚きと共にそらを見上げると空全体が暗くなっていた。月も星も見えない。
「月は無いのにそこそこの明るさはあるな」(加藤)
「そうだな、一応見えるけどやっぱり灯りはほしいな」(黒田)
「そうっすね、ゲームではどうでした?」(陽子)
「覚えてないな……」(黒田)
「まじまじ空見たこと無いしな」(加藤)
「なーは猫耳カチューシャあったからにゃ」(ミーナ)
「明るさはこんなもんですネー」(メリッサ)
「とりあえず設営が終わっていてよかったにゃん」(ミーナ)
「忙していたのは、これがあるからですか」(千鶴)
小町無双の夕飯が終わったあとは、風呂の時間である。
風呂用に建てられたテントにはそこそこの大きさの浴槽が設置されている。かなりの設備だがダンジョンが出来てから既に70年以上経過しているのだ、浄水器の進化と共に風呂釜も強化され強化ビニールプールによる風呂釜も開発されている。
ただし大量の水が必要であり、軽量化されたとはいえ給湯器はそこそこの重さがあるのでやはり贅沢品だろう。さすがに全員一緒に入るわけにはいかないので貴族から順番に入っていく。
「はぁ~……やっと開放されました」(雛乃)
雛乃以外のリーダーは大公様に公爵様だ、南雲家の庇護があるとはいえ男爵の雛乃が「お風呂の時間なのでお先に失礼しま~す」などと言えるわけがない。
宮古、時雨、先生、探索者センター職員との打ち合わせが長引き随分遅くなってしまった。とっくに皆の風呂の時間は終わっている。
「……お邪魔します」(雛乃)
「いらっしゃ~い」(???)
雛乃が風呂場に入ると遅い時間に関わらず先客がいた。白い髪をまとめ上げタオルを頭に鼻歌を歌っている。その姿は非常に美しくまるで現実味が無い。
(凄い綺麗な人……あれ、こんな人いたっけ? もしかして一般の探索者!?)(雛乃)
体験キャンプがある日の4層は基本的に貸し切り状態だ、それでも一般人が間違って入ってしまったという報告はゼロではない。
「♪~」(???)
「あ……あの!」(雛乃)
「なんだい?」(???)
「え、えっと、ここはダンジョン学園の女湯でして」
「知ってるよ」
「そ、その一般の方には出て行っていただけると……」
「何をいっているんだい、『女車掌はチンチン電車バックで連結発射オーライ』先輩。それとも発射オーライするかい?」
いきなり湯舟から立ち上がり裸体を惜しげもなくさらしながら手をワキワキしながら迫る白雪。
「え? えぇ!? ぴゃぁぁぁぁぁぁ!!」
時は少し戻り、ここは加藤、黒田のテント。
「あ、しまった」(黒田)
「どうした?」(加藤)
「説明は後だ、行くぞ。急げ!」(黒田)
「ちょっ、どうした!?」(加藤)
加藤達が自分のテントを抜け出すと同時に悲鳴が響く。
「なんだ!?」(五十嵐)
「させるかぁぁぁぁ!!」(黒田)
女風呂に駆ける五十嵐をタックルで無理やり止める黒田、加藤。
「「うぉぉぉぉ!!」」(加藤、黒田)
「はなせぇぇぇぇ!!」(五十嵐)
「いかせねぇぇぇぇ!!」(加藤)
「何故止める!?」(五十嵐)
「貴様こそ何故行こうとする!?」(黒田)
「悲鳴が聞こえなかったのか!?」(五十嵐)
「そこが女湯でもか!?」(黒田)
「知るか! とにかく助けに行かなければ!…………え?」(五十嵐)
「そうか、ついに正体を現したな」(黒田)
「おまえがそんな奴だったとはな……」(加藤)
「えっと、ごめん、もう一回言ってくれる?」(五十嵐)
「させるかぁぁぁぁ!!」(黒田)
「いや、そこじゃなくて」(五十嵐)
「おっす! おら五十嵐、趣味は覗きと盗撮さ」(加藤)
「言ってない!」(五十嵐)
そんな押し問答をしていると悲鳴を聞きつけた人達がわらわらとテントから出てくる。
「何事だ!?」(宮古)
「五十嵐が覗きに行こうとしたのを止めてました」(黒田)
「あ”?」(宮古)
「ち、違います、誤解です! 女湯から悲鳴が聞こえたので見に行こうとしていました」(五十嵐)
「ほう? 女湯と知りながらと」(時雨)
「ああ、しまった! いえ、そうではなくて、女湯とは知らなくて」(五十嵐)
「最初に言っていたことと違うな?」(宮古)
勘ぐる宮古達をなんとかしどろもどろに説明する五十嵐、とはいえ悲鳴は皆も聞こえているので何かあったのは確かだ。
セーフルームなのでモンスターが襲撃したとは考えられない、さらにダンジョンには虫やねずみといった小動物もいない。
「おかしいな、もう入浴時間は終わったはずだが……」
「えっ!? じゃぁいったい誰が……」
そのとき、闇に人魂が浮き上がる、ゆらゆらと揺れながらこちらに近づいてくる。それは闇だった、真っ黒な染みとも言うべきそれが薄暗い中揺ら揺らと人魂をゆらしながらこちらに近づいてくる。
「「「うわぁぁぁぁぁ!」」」
「なんだい? 人を見るなり叫び声を上げるなんて」
「白雪か?」
「イイエ、私は闇の性霊、あ、性は性別の性ね。人は私のことを『ボクっ子は奥をかき回されるのが好き、18センチが僕を蹂躙するまで』と呼ぶよ」
「やっぱり白雪じゃないか!」
遅れて雛乃も出てきて、悲鳴をあげてしまったことを謝罪してなんとか事はおさまった。なお、人魂に見えたのはランタンの火だった。何故こんなものが荷物に入っているかは謎だ。
黒田によるとどうやらラッキー スケベ イベントで、午前中の行軍を規定時間より早く終わらせると発生、覗くを選択すると今日のイベントで知り合った貴族女性の下着姿を拝めるイベントのようだ。
代わりに好感度ははだだ下がりし、マイナススタートになるが。それでも選ぶ人は絶えないようである。覗かないを選択すると好感度がわずかに上がるもよう。
…………………………
「蒔苗、大丈夫だったか? 何か変わったことはあったか? 夕飯はちゃんと食べたか?」
(大丈夫だよ、もーお兄ちゃんは心配性なんだから)
「そうか、とにかく何かあったらすぐ電話するんだぞ、こんなキャンプなんか抜け出してすぐに駆け付けるからな」
(クラスのみんなに迷惑かけちゃだめでしょ。それじゃ切るからね、おやすみなさい)
「ああ、おやすみ」
「嵐山さん」
「どうだった? F組の連中は?」(嵐山)
「やっぱり差は歴然ですね、称号スキルを使う奴すらいませんでした。そちっはどうでした?」
「こっちも同じようなもんだ、剣の振り方すらままならねぇ」(嵐山)
「勝手に動かないでくださいよ」
「解ってるよ、5月まで『待て』だろ」
「ならいいです」
…………………………
5時。明け方であるが、空は白じむことなく夜と同じ薄暗さだ。7時になると照明が照いたかの如く急に明るくなる。
宮古が起きてテントから出てくると、まだ暗い時間であるにも関わらず既に何人かの人影が見える。同時に味噌汁の臭いも漂ってくる。
「おはよう、早いな」(宮古)
「おう」(美々)
「おはようございます」(須藤)
「おはよう」(小町)
さすがにキャンプ場を回るわけにはいかないのでランニングはしないが、美々の異様な朝練に宮古も(住之江)も驚いていた。
その後朝食を済ませ、キャンプの撤収をし、何事もなく最後のセーフルームへと到達した。
3箇所目では特に何もせずにすぐに4層最初のセーフルームに転移し、全てのグループが揃うのを待つ。既に職員や探索者センター職員は集まっているようだ。
2年を代表して宮古が締め挨拶を行う。
「皆御苦労だった、「百聞は一見にしかず」「言うは易し行うは難し」という言葉がある通り、聞くのと実際に体験するのでは大きく違うことがわかったと思う。去年経験した私達であっても新しい発見があったくらいだ」(宮古)
「初めて経験した新入生諸君はさらなる発見が見られたことであろう。それが今後の糧になれば幸いだ。以上を持って締めの言葉とさせてもらう」(宮古)
その後久しぶりに見た学園校長が自身の体験談を踏まえた話をして無事キャンプイベントは終了した。
皆が解散し、帰る中瑠璃子は1人美々の前に居た。侍女も付けていない。
「ちょ、ちょっといいかしら……」(瑠璃子)
「なんじゃ?」(美々)
自然と動悸が速くなる、呼吸も速くなりそうになるのを必死に防ぐ。
(一言でも間違えれば殺される……)
行き過ぎな考えだが公爵の護衛を躊躇なく手に掛けるような人間だ。だが、失敗するわけにはいかない。
『母親に黙っていてほしい』という瑠璃子の願いを聞くために侍女頭に要求された内容は2つ、家紋入りの銃を返してもらうこと、他人に言いふらさないという言質を取ること。
「ちょっと2人で話したいのだけれど……」(瑠璃子)
「かまわんぞ」(美々)
振り返った顔は嫌な奴を見るとわけでも、弱い人間を見下すわけでもない普通の表情だ。殺気も感じられない、ちょっと知り合いに話しかけられた程度の顔だ。
まだまだ未熟な瑠璃子ではそこから何も感じ取れないが、少なくとも瑠璃子の顔を蹴り飛ばした時のような雰囲気が無いのは判った。
「お姉さま」
「楓はここで待っておれ」
「はい……」
第一関門はクリア……2度と近づくなと言われたが、瑠璃子は対象外なのか、何が何でも守れというほど狭量では無いのか。
ともかく邪険にされたわけでは無い、だがまだまだこれからだ、意識を必死に捕まえて離さないように耐えて臨む。
侍女頭は信濃の祖母であり、信濃の実力を知る数少ない人間の1人である。今回のことはなんとなく予見していた。
無論ここまでの状態になることを正確に見抜いていたわけではなく、信濃を簡単にやれるような人間がいるとも思ってもいなかった。
ただ、今の瑠璃子の性格ではそれが災いして失敗をするであろうことは判っていた。だが、こんなことで挫けるようであれば西城の子は名乗れない。
とりあえず信濃達を殺した存在は後で調べるとして、最も優先すべきは現状を回復させることだ。まずは信濃をしかりつけ反省させる。
瑠璃子様に付ければ護衛としての自覚も目覚めてくれるとおもったのだが、主人の言う事を聞くばかりでは、それは護衛ではない。
鉄拳制裁もしたいところだが衰弱中の探索者を殴れば血しぶきと化すだろう。
それと共に、瑠璃子には課題を課す。銃の回収だ、これだけはなんとかせねば問題になる。
伯爵など爵位が低ければまだ言い訳が出来るが、公爵家の家紋が入っている銃が出回っている等と知られれば大問題だ。当事者として護衛の主として責任を取ってもらうしかない……失敗した暁には……。
だが、課題を課せられた瑠璃子にはその手段が思いつかなかった。
どこをどう考えてもまったく良い考えの浮かばなかった瑠璃子が取った最後の手段。
夜中、破廉恥であることは重々承知しながらも侍女を連れて皆川達のテントを訪れ、寝ていた彼等を無理やり起こして対策を考えたのである。
とはいえ、皆川達も前世含めて美々と付き合いがあるわけではない。
多少なりとも行動から伺い知れる美々の性格からして、1人で話をつけに行けばなんとかなるのではないかという、危険な賭けとも言えない方法だった。
「そ、その……銃を返して欲しいの」(瑠璃子)
「こいつか?」(美々)
銃を懐から取り出す。デザートイーグルが基本なためかなり大きい銃であるはずなのに全く隠し持っているように見えない見事な隠蔽術だ。
「ほれ」(美々)
あっさりと渡された。銃を出したときの瑠璃子の視線が家紋に注がれていたのでなんとなく事情は察した。美々も進んで厄介事に首を突っ込む五十嵐のような性格でもない。
「えっと……いいの?」(瑠璃子)
「あれば使う程度のものじゃからの」(美々)
(……使ったことあるの??)
疑問よりも、まるで瑠璃子の決死の覚悟を嘲笑うかのようにあっさりと返された銃を呆然と見つめる。
「あ、あの……私達の勝負の事誰にも言わないで欲しいの、それとももう話しちゃったかしら……」(瑠璃子)
「ウサギを狩ったことを自慢する獅子などおるまい」(美々)
その一言を放ち美々は去っていった。
屈辱的な言葉のはずだが、瑠璃子には安堵の感情の方が大きかった……
だが、気を抜けない。まだ人目があるここで崩れ落ちれば事が露見する。駆けつける侍女と共に家に帰るまで背筋を伸ばし続ける闘いが続く……
■辟易とする:
元々は中国の「史記」から「辟」は避ける、「易」は変えるという意味で、道を避けて変えることで元々は相手を恐れて立ち退くという意味。それが日本で「尻込みする」、「嫌気がさす」という意味に変化した。




