その男、牡羊座につき【Dパート】
(『刹那の見切り』だと? 中二病ってヤツかよ!)
心中で悪態を吐く。隼一の知る限り皇大附属にこの荒業を身に着けた者は誰一人いない。
そもそも必要がない。ハイスペックなポテンシャルがあれば『守備の名手』の称号など、普通に練習しているだけで手に入るのだから。
「――ンなら!」
隼一は最大出力の弾丸ライナーを利治のへその辺りを目掛けて放つ。
パッシ――――――――ン!
「ひゃあ~っ、ははは、ビリビリくるねぇ!」
痛烈な一打を捕球しても利治は楽しそうだ。
対戦相手にボールへの恐怖心というものが微塵もない事を悟った隼一は、長期戦の覚悟を決めた。
● ● ●
それからどれくらい時間が経った事だろう。
辺りは薄暗くなり、打球も見えにくくなっていた。
物珍しいイベントに当初はちらほらいたギャラリーも、今はもう誰一人いない。対決継続中の両雄はスタミナを大きく消耗し合い、お互い肩で息をしていた。
「ヘバッてきたんじゃないのか? かなりギリギリだったじゃないか、今のは」
体力ゲージの残りが、ガード上からの削り1回分あるかないかといった状態の利治は、完璧なスタートを切っても打球に追いつくのが精いっぱいになっていた。
「そっちこそ、打球にキレがなくなってきたよ! 何日練習をサボってたの?」
利治に比べればまだまだゲージに余裕のある隼一であったが、素手のノッカーは手の豆を潰し、微妙なコントロールがつかなくなってきていた。
(あんにゃろう、強がっていられんのもここまでだ!)
隼一は利治の左後方、守備範囲外ギリギリに落ちるフライを打ち上げたつもりだった。
――が、完全に打ち損じ、ボールは想定落下地点よりも左に大きく逸れた。
「ああ、悪りぃ――」
隼一は言葉を次につなぐ前に失った。
その網膜に飛び込んできたのは全力疾走でボールを追う利治の姿。捕れるはずのない一打、そして利治の前に立ちはだかる鉄棒。
「バカ、追うな!」
バットを放り捨て、利治の元へ猛ダッシュする隼一。駆け寄ったところでどうにもならない事はわかっていた。わかっていたが全身の体細胞は動きを止めない。
鉄棒のバーと激突かと思われた瞬間、
バッ!
バーの下を飛び抜ける利治。そして――
パシッ!
見事、ダイビングキャッチ! ――だが、
ズザザザーーーッ、ドガッ!
右脇腹から着地、そのままの勢いで大きく滑り、ブロッグ塀と激突した。
「お、おいっ!」
血相変えて駆け寄る隼一。
「えへへ、捕ったどー。‥‥なんてね」
利治は泥だらけの顔で微笑むと、グローブの先端にギリギリ入った軟球を掲げた。
「そんな事より怪我は!? どっか、痛むとこはないか!?」
「大丈夫だって。こんなの日常茶飯事だしね」
「日常茶飯事って、お前、どんな日常だよ? ――ったく‥‥」
ゆっくりと上半身を起こす利治に、安堵の吐息を吐く隼一。
(こんなメチャクチャなヤツ見たのは初めてだ)
今までいろんなバケモノ選手を見てきた隼一は、野球で驚く事はそうそうないと思っていた。それがこれである。ふと、自分の頬肉が持ち上がっている事に気付く。
「野球ってさ、面白いよね」
隼一の鼓膜に届いたのはシンプルな言葉だった。
「――まあな」
「ならさ、一緒にやろうよ」
正直、フィールドに立ちたい。自分の中の常識を覆す、利治のデタラメなまでに鉄壁の守りも魅力的だ。出来る事なら、この男と一緒に試合をしたい。
だが、どうしても吹っ切れない何かがあった。
「なあ、何でそんなに頑張ってるんだ? 公立はインターミドルに出られないんだぞ?」
「そんなの、出られるようにすればいいだけの話だよ」
「おい、そんな簡単に‥‥」
『出来る訳がない』、その言葉は目の前の小さな身体が呑み込ませた。この男は努力だけであの荒業を身に着けたのだ。
そして、不可能だと決め込んでいたものをぶち壊したその力は、自身の中で岩のように凝り固まっていた全ての諦めと常識をぐらつかせた。
「仮に出られたとしてだ。マジで勝てると思ってんのか? 相手は野球をする為に生まれてきたようなヤツらなんだぞ?」
「勝てるよ」
躊躇というものを微塵も感じさせないまでの即答。
(言い切りやがったよ、こいつは)
強気もここまでくると一級品、心地よく聞こえる。
「すげぇ自信だな」
「牡羊座だからね」
「――は? 何だよ、それ?」
予想だにしなかった答えに、思わず半笑いで聞き返した。
「君がどうして公立に来たのかは知らない。
だけど、もし野球をまだ諦めてないんだったら僕たちに力を貸して欲しい。
――君の力が必要なんだ」
最強の殺し文句だった。
そして目の前に突き出される利治と鉄弥の右拳。
この物語の日本では生まれた時の遺伝子検査で職業の選択肢が決められる。何か優れた才能の因子を持っていれば、それを伸ばす為の教育を国から無償で受けられる。
しかし、そこから漏れた者は、テストでいい点を取り、少しでも偏差値の高い学校に入る事が勝ち組ルートへの第一歩とされていた。その風潮の中にあって公立校で部活をやろうという者は、貴重な時間をドブに捨てている愚か者と言えた。
隼一もその事は百も承知だ。――百も承知だが、
(こいつとならやれる!)
確信にも似た直感!
そして自分の中の血流が躍るような昂揚感!
もうその感情を止める事は出来ない!
「――ったく、しょうがねぇな」
落日の中でコツンと三つの拳がぶつかった。
「さあ、僕らの祭を始めようじゃないか!」
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