85・はじまりの味
ティサリアは元気よく頷く。
そしてテーブルに置かれたあのカステラを前に再び腰かけると、そばにあるフォークを手に取った。
ティサリアはそばでクレイルドが見守る中、少し緊張しながらも、おそるおそるそのふんわりとした黄色い生地をすくいあげ、一口食べる。
その表情が、次第に硬くなっていく。
それを見てクレイルドが口を開きかけると、頬を赤くしたティサリアの瞳に透明な液体が浮かんだ。
「……おいしい」
かつてティサリアの涙を乾かしてくれたそれは、今は自分を支え続けてくれた懐かしい味として心を震わせてくる。
「あのね、クレイ。小さい頃の私はずっと、みんなの悲しい顔を見ているだけの自分が嫌だったんだ。だけどどうすればいいのかわからなかったの。ふわふわカステラを知るまでは……」
(あれからは私は、自分や周りの人がどうすればあんなに幸せで平穏な気持ちでいられるんだろうって、考えるようになれた)
いつの間にかティサリアから涙は引き、自然と笑顔が浮かんでいた。
「クレイが私を、変えてくれたんだね」
「どうかな。変わることを選んだのはティサリアで、俺が作ったカステラはそのきっかけに過ぎないよ」
「きっかけ……うん。クレイ、あのね……あのっ」
ティサリアは心を決めたように、勢いよく立ち上がる。
そしてクレイルドに向かって片手を伸ばしたりひっこめたり、謎の行動を数回繰り返してから、真っ赤な顔で背を向ける。
クレイルドはしばらく考えを巡らせたが、その意味について何も思い浮かべることは出来なかった。
「ティサリア、今までで一番形容しがたい動きをして……急にどうしたの」
「わ、わかりにくいかもしれないけれど、これは突拍子もない行動ではなくて。私、ずっと考えていたんだよ……クレイの相談について」
「相談?」
「夜会のときじゃなくて、時計塔で教えてくれたこと、私は忘れていないよ。『クレイ』って呼んで欲しいこと、もっと気楽な話し方をして欲しいこと、それに外で手を繋いで歩きたいこと……」
ティサリアは最後の相談を叶えようと、エスコートしてもらうための手を差し出したはいいが勇気が出ず、出してはひっこめた手を自分で握りしめた。
「相談された悩みが解決しないと、クレイも次の相談がしにくいと思って。それに私から誘えば、嫌じゃないってわかってもらえるはずだから。だけどやってみようとしたらなかなか難しくて、謎の動きに……」
「ありがとう、ティサリア。だけどね」
クレイルドは自分に背を向けているティサリアに回り込むと、その顔を覗き込んだ。
「ティサリアから俺に、相談はしてくれないの?」
ティサリアは不思議そうに、目をぱちぱちとさせる。
「……私の、相談?」
「そうだよ。君は俺の……出会った人の願いを叶えてくれるけれど。ティサリアにはどうすればいいのかわからないこととか、誰にも打ち明けられなかったことはないの?」