53・緋色の翼竜
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(これが、ヴァルドラ……)
険しい山脈の深い洞をねぐらとしている、緋色の翼竜に向き合ったとき、ティサリアは戦慄した。
鮮やかに燃え上がるような竜鱗の美しさはもちろん、ティサリアの知る身近な竜より二回りほど大きな巨体、触れずとも伝わる凍てつく魔力の波動、なにより孤高の威厳がそこにある。
堅牢な竜燐に覆われた身は傷など負う隙すら感じられなかったが、常闇のように黒々としている長い尾が、幼い頃の怪我によって二股に裂けていた。
しかしそれは弱者の傷跡というよりも不屈の証のように、異様な迫力に満ちている。
『弱き人の子よ、去れ』
会話が通じると知ってか知らずか、低い思念がティサリアを鋭く刺す。
竜は基本的に、自ら立ち去ることはない。
ティサリアはヴァルドラもそうであることを感じ、抱き続けていた疑念が確信に変わった。
「はじめまして!」
あらゆる生物が畏怖する竜のすみかに、場違いとも思えるほど能天気な「はじめまして!」が反響する。
『……聞こえなかったのか、人の子よ。哀れにもこの僻地へ迷い込んだのなら、一度は見逃す。早々に去れ』
「迷ったわけではありません。私はあなたを探して来ました、お会いできて嬉しいです!」
謎の来訪者に対し、緋竜から硬質な警戒がみなぎる。
迷い込むならともかく、竜のねぐらにやってくる命知らずな生き物は、今までに出会ったことすらないのだろう。
『鎧兜を身にまとえど、中身は所詮弱き人よ。その脆弱な身でどうやってここを探し当てた?』
「とっても魔力探索が上手な、かわいい女の子の竜に連れてきてもらいました!」
『しかしお前はひとりのようだ』
「そうなんです。あなたの魔力の強さにあてられて、その子の飛行が一瞬だけ不安定になってしまったんです。私も油断していて、うっかり落竜してはぐれてしまいました。幸い低空飛行だったので、なんとか山肌に着地はできたのですが、斜面が思ったより急で……。ころころ転がっているうちに、あなたのねぐらに落ちていました。早速会えたので、考えようによってはラッキーですが!」
緋竜は黙っている。
しかしこちらを見る顔つきが先ほどとは違うと、ティサリアは緊張を解かずに観察を続けた。
(私から目を逸らさない……興味を持たれている。呆れられているような気もするけれど、それは悪くない。警戒が解けている証拠だから。でもまだ足りない。目的を果たすには、もう少し踏み込みたい……)
こうしている間にも自分を探しているリンのことは気になっているが、「一度は見逃す」と言われたままの状態で引き下がれば、二度目の訪問はあり得ない。
(そうだ、まずはあれから話そう)
ティサリアはするべき手順を慎重に選んだ結果、こうなった。