4・息をのむほど美しい男
ティサリアはおそるおそるフォークを伸ばし、まるいカステラの柔らかそうな生地を割って一口食べる。
それはほんのり甘くて、ふんわりしているのにしっとりしていた。
初めての食感に、少女は目を丸くする。
(ふわぁ……)
不思議な味わいに、ティサリアは一瞬で虜になった。
そのまま夢中になって頬張り続けると、生地の真ん中から深みのある黄色いクリームがとろりと現れて、さらなる期待が膨らむ。
わくわくしながら生地と合わせて食べると、先ほどより一段と甘く贅沢な濃厚さが絶妙に口の中に広がった。
思わず至福のため息が漏れる。
(おいしい……! 世界で一番おいしい!!)
心まで軽くしてしまう魔法の味を、ティサリアは今になっても忘れられなかった。
だからこんな風に人違いにあって少し疲れた時は、あの柔らかく甘い食感が無性に恋しくなる。
(でも一体誰が、あのカステラをメイドの子に持たせてくれたんだろう……)
ふわふわカステラ最大の謎は今でも解けず、ティサリアは首をひねりながら夜空を見上げると、ふと耳に意識が向いた。
背後から足音が近づいて来る。
(誰? カル兄が戻って来て……ううん、違う。歩き方の癖というか……癖というよりその歩き方はまるで)
ティサリアはさっと振り返り、息をのんだ。
言葉の通り、息をのむほど美しい男が、こちらをまっすぐ見つめている。
歳は成人前のティサリアと同じくらいか、整った面立ちだが、耳にかかる漆黒の髪と同じ色の瞳が物憂げで、眼差しは凛々しいのに、どきりとするような色気が漂っていた。
しかし詰襟の制服を着た長身はすらりと鋭く、研ぎ澄まされた刃物のような立ち姿には、周囲の気配すら張り詰める静かな迫力が潜んでいる。
(服装からすると、会場の警備兵? だけど、この人……)
見た目の麗しさに騙されるわけにはいかない。
追いかけてきた彼の歩き方にはそつがなく、卓越した武人さながら鍛え抜かれているのは一目瞭然だった。
相手がただの警備兵ではないことに気づいているティサリアにとって、その美貌はかえって得体の知れない存在に映る。
(うん。逃げよう)
あっさり決断したティサリアは、さっと身をひるがえした。
その時、まるで恋人に囁くような甘い響きが耳を撫でる。
「ようやく会えたな」
とろかすような低い声に囚われて、ティサリアはそのまま動けなくなった。
(ようやく会えた?)
かけられた言葉を胸の内で吟味しながらも、すぐ一つの答えにたどり着く。
(あっ、いつもの人違いだ)
こういうことは早めに伝えたほうがいい。
ぱっと向き直り、しかしティサリアは予想もしなかった相手の様子に言葉を失った。