32・呼んでます
(そうだ。私はクレイの笑った顔が好きなんだ)
彼の笑顔を見るたび、思い出すたび、固まった心も和らいでしまうように幸せな気持ちになる。
「『私は──』の続き、何なの?」
「えっ! あの、それはつまり……私はあなたの笑顔がふわふわカステラみたいだと気づいて」
「ふわふわカステラ……」
そのまま黙り込むクレイルドに、ティサリアも恥ずかしくなってくる。
「すみません。我ながら食い意地が張っていると思いました。ですが、私の心の辞書の中で『ふわふわカステラ』という単語は最大級の前向きな意味を持つんです。決してふざけているわけではなく……」
「うん。わかってるよ」
口調がいつものクレイルドらしく戻ってきた気がして、そっと視線を向けた。
微笑むクレイルドの穏やかな瞳に、頬を染めて見つめるティサリアが映っている。
「ティサリア、ありがとう。元気がでた」
「は、はい。元気が一番です。よかったです。嬉しいです」
ティサリアはしどろもどろに返すと目を逸らす。
(どうしよう。クレイの笑顔が弱点だって気づいた直後なのに、反則な笑顔がすぐ目の前に……しかもずっとこっちを見てるし、あわわ、胸がどきどきしてきた……)
高鳴る鼓動を抑えようと息を整えるが、先ほどからクレイルドの視線を感じて、なかなか収まらない。
「ティサリア」
「は、はい」
「俺のことを、もうクレイと呼んではくれないの?」
いつになく甘く囁かれて、早鐘のように打ち付ける心臓がさらに跳ね上がる。
「なっ……何ですか、いきなり」
「いきなりではないよ。さっきはそう呼んでくれたのに、また戻っているから」
「そうでしたか……? すみません、無遠慮な物言いで」
「呼んでよ」
「……よ、呼んでます」
「さっきだけじゃなくて、普段から」
「ですから、呼んでます……」
クレイルドが妙な顔をして覗き込んでくる。
引き下がれなくなり、ティサリアは熱い頬を隠すようにうつむくと、自信なさげにぼそぼそと呟いた。
「いつもそう呼んでます。本当です。……心の中では」
沈黙が落ちる。
「す、すみません。恐れ多いことはわかっているんです。ですが、その、そう呼ぶとクレイは……あっ、クレイルド王子は、いつもにこっと笑ってくれるので。喜んでくれるような気がして。つい心の中だけで、こっそりと……」
再び沈黙が落ちる。
反応があれば、まだ気持ちも楽になるのだが。
「何か言ってください。この際、呆れるでも、気味悪がるでもいいので」
おそるおそる見ると、クレイルドが見たこともないほど動揺した様子で顔を背けた。
その頬が赤い。