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第6話 そして氷塊は溶ける

「女性をからかって楽しむなんて悪趣味だわ」


 連休が明けた月曜日のお昼休みを狙って、わたしは、柿崎さんに抗議の電話をかけました。


 これを理由にお寿司の誘いも断わるつもりです。体調もなんとなく重いし。


『申し訳ありませんでした。本当に信じるとは思わなくて。坂田一男の名前くらい聞いたことがあるだろうと思って、調子に乗ってしまいました。大原さんが私の言うことを素直に聞いてくれていたので引っ込みがつかなくなったんです。お宅まで送り届ける前に訂正しておくべきでした』


「他人に話していたら恥をかくところだったじゃないですか」


 他人にばかにされるよりも、本当は家族に蔑まれることのほうがつらいのですが、そんなことは言えません。


 だから、じわりじわりと真綿で首を絞めるように責めたてます。ゆっくりと。だけど、力を込めて。


 こういうときは、相手の出方に意識を集中し、呼吸を整え、けして急がないことが大切なのです。


「大体、柿崎さんの職場で、その仕事に関係していることなんですよ。素人に嘘の説明をするなんて、県民をばかにするにもほどがあるわ」


『本当に申し訳ありません。全面的に私に非があります』


「そうですよね。柿崎さんは誠実な人だと思っていましたが、今回のことで見損ないました。後援会のことがあっても、もう今までどおりのお付き合いはできません。毎週火曜日の打合せもこれからは書類のやりとりだけで済ませましょう」


『大原さんのお怒りはごもっともです。罪滅ぼしに、私に何かできることはありませんか?』


「あら、何をしていただけるのかしら?」


『たとえば、後援会の仕事は今後いっさい私が引き受けるとか……』


「えっ」


 言葉が止まりました。そんなつもりはないのです。責任を取るなんて。


 でも何て言ったらいいのか。わたしの口は半開きになったまま時間だけが過ぎていきます。やがて。


『そうですね。そのくらいのことを私はしでかしてしまったわけですから。それとも、足りませんか?』


「そんな。そういうつもりじゃ……」


 そうじゃないの! けれど言葉が出てこない。あともう少し、あともう少しでちゃんと答えが出るのに。スマホを握る指に力がこもります。そういうことじゃなくて。わたしはただ……


 でもこれ以上柿崎さんを困らせても……


 散々悩んで、悩んで、まるでロダンの「考える人」のように。


『ですが……』


 そのとき、自分の中にストンと落ちるものを感じました。少しずつですが、気分が晴れていきます。


「わかりました。じゃあ、これでおしまい。きちんと謝罪してくれたことだし、これ以上はもう言いません」


『それでは私の気持ちがおさまりません。いかがでしょうか。お詫びに明日の夕方、以前にお話したお寿司屋にでも?』


「それは…」と言いよどみます。何か言わなきゃいけないことがあったはずです。けれど、まるで汚れがシャワーで洗い流せていないようなもどかしさの中、その何かを思い出すことができません。しかたなく、わたしは「わかりました」と返事をしてしまいました。


『よかった。大原さんに不愉快な思いをさせたままでは終われませんからね』


「これきりですよ」


 そう言って電話を切った瞬間、お寿司の誘いを断るはずだったことを思い出しました。それが、昼間ではなく夕方に会うことになっています。


 これは夫に相談する案件よね?


 でも、お寿司屋さんに誘われたいきさつをなんて説明するの? それに和食レストランに行ったことは? あと、深夜にトイレ借りたこととか。


 ……うん。今回はお酒を飲まない! お寿司だし、食事会を1時間程度で終わって帰るなら問題なし。


 あの人だって夕飯に何を食べたか報告したことなんて一度もないんだし。


 そんな理由で自分を納得させ、迷いを拭き取った紙もろとも水で勢いよく流します。


 ジャー


 少し軽くなった体調と爽快な気持ちで、わたしは便座から立ち上がりました。


 さぁ、明日着ていく服を選ばなくちゃ。


 ❑❑❑❑


『女性をからかって楽しむなんて悪趣味だわ』と、大原さんから苦情の電話が入りました。


 坂田画伯のことだとすぐに思い当たりましたが、あの絵の前に飾られたプレートには画伯の経歴と功績が刻まれています。その横には画伯の晩年の写真も。


 長い間、絵の前に立っていたはずなのに、それにすら気づかなかったなんて、残念にもほどがあります。


 しかしながら、その残念なオツムに嘘を吹き込んだのは私です。大原さんを責めることはできません。「申し訳ありませんでした」と謝罪します。


 帰りに渡したパンフレットは、坂田一男画伯を特集したものでしたが、それに目をとおすことすらしないまま、ごみ箱に放り込んだのでしょう。きちんと、家に送り届けるまでに訂正しておくべきでした。


 忸怩じくじたる思いでいると、「他人に話していたら恥をかくところだったじゃないですか」と責めてきます。


 私の職場に関することで嘘の説明をするのは県民をばかにしてるとか。


 ふざけるな。大原さんこそ、美術館や県が文化事業に取り組む姿勢をばかにしてるでしょうという言葉を、ぐっと飲み込みました。


 短気に反論していい結果になったことなど一度もありませんから。


 正論は、時として、県民の理不尽な声に引き下がるしかないのです。


 大原さんは『誠実な人だと思っていましたが見損ないました』とか、『打合せは書類のやりとりだけで』とか、もう言いたい放題です。


 そんな人格否定までしなくてもいいのでは、と思いながら、後援会の仕事は今後一切私が引き受けることを提案します。


 そもそもが私の思い込みと先走った結果がもたらした打合せです。これ以上の関わりは持たないほうがお互いのためでしょう。


 面倒くさい気持ちに蓋をして「それとも、足りませんか?」と言うと、その投げやりな言い方が気に入らなかったのか、「わかりました。じゃあ、これでおしまい」と交渉の打ち切りを宣言しました。


 危ない予感がします。クレームを上司にねじ込まれたり、県知事宛てに投書されるのは、ただでさえ明るくない公務員人生に決定的な一撃を加えることでしょう。


 幹部職員となるべく採用され、若いときは政策関連事務や官公署調整事務にたずさわる部署を回って経験を積んできました。そのため、私は県民サービスに直接関わる仕事をしたことがありません。


 そんな人間が学芸部門に回されたことは、幹部候補からはずされたことを意味します。


 今となっては、厄介者、お荷物、不良債権でしかありません。私の価値は窓口に飾る花よりも軽いのです。


 遠方に飛ばせる理由が見つかれば、人事はそれに飛びつくでしょう。


 ですが、入院中の妻を抱えている身としては、この土地を離れたり、収入が途絶えることだけはなんとしても避けなければなりません。しかたなく、大原さんを懐柔します。


「それでは私の気持ちがおさまりません。いかがでしょうか。お詫びに明日の夕方、以前にお話したお寿司屋にでも?」


『わかりました』という言葉に安堵の吐息をもらし、「よかった」と、「大原さんに不愉快な思いをさせたままでは終われませんからね」と、本音を吐いて、大原さんが電話を切るのを待って通話ボタンを切りました。


 後に残ったのは、妻への罪悪感。


 そして、大酒飲みの人妻の手練手管にしてやられたという敗北感だけでした。


 ❑❑❑❑


 翌日、華寿司で待っていると、大原さんが店内に入って来ました。Aラインのワンピースが胸の大きさを主張しています。


 私はカウンターに座ったまま合図をすることも忘れて見とれてしまいました。


 中学時代の先輩の店主が、「ハル、やるなぁ」と囁きました。


「どこで見つけたんだ?」


「やめてくださいよ。そんな関係じゃないんです。それより、あの人の前でハルって呼ばないでほしいんですが」


「なんで?」


「事情があるんです。今日は柿崎冬彦でお願いします」


「なんだ? 兄貴の名前を使ってナンパでもしたのか?」


「違うよ。でも今日の俺は柿崎春樹じゃない。頼みます。このとおり」


 手を合わせて拝むと、店主はやれやれとかぶりを振りながら、「いいのか」と「兄貴はこのことを知ってるのか」と心配してくれます。


 おそらく、店主は、2年前、妻が倒れたときに見せた兄の理解不能な行動のことを言っているのでしょう。


 穏やかな性格で、凡庸そのものといった兄ですが、私が妻を見舞っているときに、病室に飛び込んできて、ものすごい勢いで「何をやってるんだっ! 帰るぞっ!」と力ずくで引きずり出されたことがあったのです。


 さすがに殴られたりはしませんでしたが、初めて兄が激昂した姿を目の当たりにし、しばらくは兄の目を見ることすらできませんでした。


 あのとき、兄がなぜあのような行動を取ったのか、義姉やこの店主から説明を受けましたが、どうしても理解することができませんでした。


 結局、兄が自分の非を認めて私に謝罪してその件は終わったはずです。店主は「ばれたらただじゃ済まないんじゃないか」と私の身を案じてくれますが、心配し過ぎでしょう。


「大丈夫。兄貴も承知していることだから」


 剣道部後援会の関係者だからねと、拡大解釈をした答えで店主の不安を払拭します。


 やがて、私に気づいた大原さんがカウンターに近づいてきて「柿崎さん、昨日は言い過ぎました」と、頭を下げました。


 私も立ち上がり、「いえ、私こそ悪ふざけが過ぎました」と謝罪して隣の席を勧め、「特上を二つ」と店主に注文します。


 さて、握りを待つ間に、今後について話し合いをしておかなければなりません。


「電話でもお話したとおり、今後いっさいの後援会の仕事は私が引き受けることにします。大原さんは月1回の連絡会だけ出席することでどうでしょう。もちろん、懇親会は私が引き受けますから」


 本来そうあるべきだった形に戻そうと話を進めます。しかし。


「あら、今日ご馳走していただくことで、悪ふざけの謝罪はおしまいでしょ? わたしは子供達の仕事を投げ出すつもりはありませんから」


 さらに、もくろみが外れてあ然とする私に。


「それに、今日は6月の県大会の打合せなんですよね? 資料はお持ちなんでしょ。わたし、いつまでに確認すればいいのかしら」


 と、大原さん、後援会活動にやる気満々です。仕方なく、幹事長から預かったばかりの有志作成の計画表を封筒ごと渡して「今週中にお願いできますか」と、話のつじつまを合わせました。


「わかりました」


 了承の声が虚しく聞こえます。自分が作り出した状況とはいえ、一体私は何をしているのでしょうか。


 そんな陰鬱な気分に、大原さんが「元気がありませんね」と笑います。


 全く、誰のせいだ、と思いながらも、その仕草、微笑む目元、体のライン、ほんのり漂う女性の甘い香りをひそかに楽しみます。


 悪くない。


 結局のところ、私は、大原さんのころころ変わっていく表情に、この時間を大切にしたいと思ってしまうのです。


 ❑❑❑❑


 お寿司をご馳走になった翌々日の木曜日、わたしは柿崎さんに迎えに来てもらって、車で郷土資料館に向かっています。


 柿崎さんの運転する車に乗るのは二度目ですが、慎重で先を急がないハンドルさばきとアクセルコントロールに温厚な性格が感じられて穏やかな気分になります。


 助手席から眺める景色が市街から田舎道に変わっていくのが、少し不安ではありますが……


 間違いないわよね。この道で。


 わたし、どこかに連れて行かれて乱暴されたりしないよね? 家に帰れるよね?


 どうしてこうなった? なんで興味も関心もない郷土資料館にわたしは行こうとしてるの?


 一昨日のお寿司屋さんでの会話がすべての原因でした。


 柿崎さんはこちらが恐縮するくらいに平謝りをしてきました。ですが、わたしの間抜けさ加減を指摘したのが夫だったということが、プライドに深い傷痕きずあとを残しています。


 お寿司をご馳走していただくことで終わりにしようとは思いましたが、感情が簡単に許すなと叫んでいます。


 それを柿崎さんのせいにするのは間違っているという理性の声は小さすぎて、わたしの心の大勢を占めるには至っていません。


 それで、つい、柿崎さんの地味な仕事のことを話題にしてしまいました。


 有名な絵が展示されていないとか、館内は広いのにベンチが少ないとか、だだっ広い吹き抜けのエントランスホールで展示するには彫像が小さすぎるとか、美術館のトイレなのに普通だったとか、喫茶室の壁のモダンアートは展示物じゃないのに目を引いたとか、のどが渇いたのに自販機が置いてないとか。


「ゆっくりコーヒーでも飲みながら作品を眺められたらいいのに。喫茶室の壁を取り壊すとか、エントランスホールにテーブルを並べるとかできないの?」


 わたしが一生懸命に悪口を並べているのに、柿崎さんは微笑みを絶やしません。


 むしろ、来場者を増やすために企画したイベントがこけた話をして私を笑わせるのです。


「大学のサークルに依頼して、あのエントランスホールで弦楽四重奏の演奏会を開いたこともあるんですよ。それが呼び水になって文化サークル活動の場として提供できるのではないかと期待したんです。予想どおり多数の来場者にめぐまれ、演奏会は好評だったんですが、後が続かない。聞いてみると、建物の構造が原因で音響がよくない。音楽向きではないからもうしない。聴衆も他学のサークル仲間だし、美術館で開く意味がないと。それで音楽会は無期延期です。次に声をかけたのは高校の演劇部でした……」


 わたしはいつの間にかふんふんと聞いていました。


「私が担当しているもう一つの文化事業が郷土資料館なんです。これも来場者が増えなくて困ってるんです」


「じゃあ、わたしが行ってあげようかしら」


「大して面白いところじゃありませんよ」


「いいえ、ぜひ行ってみたいわ。行って柿崎さんの仕事ぶりを笑ってあげる」


 こうしてわたしは車中にいるのです。あの日のわたし、どうかしてたのね。


 ❑❑❑❑


 平日の午前中という時間帯のせいなのか、郷土資料館に来場者は一人もいません。


「あらあら、ここも来場者が激減しているのかしら? 閉館対象にされなきゃいいけど。一度閉鎖したら二度と再開できないかもしれないわね。でも、そうなったらこの県は郷土の伝統文化を伝えていくことに価値を認めないことになるのかしらね。柿崎さん?」


 わたしの嫌味に柿崎さんはにっこり笑うと「そうですね」と肯定しました。けれど。


「郷土の伝統文化だけでなく、私達の先祖が何を考えてここに集落を作ったのか、どうやって暮らしてきたのか。


 それを学校で教えることはないけれど、今の時代に至るまで連綿れんめんと受け継がれてきた文化がこの地に確かに存在したのです。それは名も無き先祖達がこの地で生きた証です。


 大原さんは歴史の授業で戦争のことばかり教わることを不思議に思ったことはありませんか?


 この国が教える歴史は戦争の歴史です。テレビや映画が描くドラマは戦争で歴史に名前を残した者ばかりです。


 私達は学校の授業で知った英雄の行動にわくわくし、戦争の悲惨さに心を痛め、平和の尊さに気づきます。そしてダイナミックな展開に歴史の大きな流れを感じます。


 でも、それと同じ時代にこの地で名前を残すことなく生きていた私達の先祖の暮らしが無意味だったと誰が言えるでしょうか?


 歴史の教科書は権力者の名前や行動を太文字でしるし、それを覚えることを強制します。私達の先祖のつつましく、明日の食べ物にも困るような生活のことを書いた文献は残っていません。


 けれど、その時代、私達の先祖は、天下統一とか維新とかに関係なく、生きるためにこの地を開拓して豊かな暮らしを築こうとした。


 私はそこに人類史の普遍的な価値があると思うんですよ。


 郷土資料館に収められている私達の文化、歴史が高校や大学の入試に出ることはありません。


 けれど、歴史を人類の争いの面から学ぶのではなく、地に足をつけた暮らしの中から生まれたささやかな喜び、それを文化と呼ぶのなら、それをこの地で先祖から託された私達が子供達に伝えていく、それもまた、ひとつの歴史を学ぶ姿勢だと思うのです。


 郷土資料館はそのために、今までもそしてこれからもここにあるのです。


 この地に生きる者だけが知ることを許された特別な歴史を密かにたくわえ、そして積み重ねてね」


 やっと終わったようです。わたしはとうに聞いていなかったので、作り笑いで答えます。


 ……やばい。スイッチが入っちゃった? この人、好きだよね。こういうの。歴史がどうとか。


 うん。わたしも好きですよ、歴史。福山の竜馬とか。ギター弾けるし、格好いいし。


 柿崎さんの言ってることよくわからないけど、とりあえず笑っとけ、わたし。


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