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第18話 そして軋轢は蠢く


【まえがき】


いずみ「こんにちは。『BIRDIE WING-Golf 柿崎s' Story』へようこそ」


柿崎「春アニメ開始週間とはいえ、柿崎という文字の不自然さにあ然とするよ。この作品は『柿崎氏は真実の愛を抜け駆ける』第18話『そして軋轢あつれきうごめく』です」


いずみ「へ、ようこそ。司会担当の大原いずみと」


柿崎「クレーム担当の柿崎洋一郎です」


いずみ「いやいや、街角に女性が立つとか賭けゴルフというアダルトな展開にガンプラを放りこむというあ然とした展開に比べればね」


柿崎「制作がBNP、シリーズ構成と脚本が黒田洋介氏という段階で、あり得る話だった」


いずみ「()()()()ビルドファイターズ」


柿崎「ガンダムね」


いずみ「今期のガンダム作品?」


柿崎「ではないと思いたい」


いずみ「そのうち、アムロとかシャアが出てきたりして」


柿崎「それは……否定できない」


いずみ「そして、言うんだ。ファーッ! って。カミーユが」


柿崎「……ゴルフだからな。だけど、このくだり、読者があ然だぞ」


いずみ「今日はこの後、午前8時に第19話を投稿します。それでは……おやすみなさい」


柿崎「挨拶も、あ然だった」


 暑い!


 まだ薄暗い部屋の中で目を覚ましたとき、わたしは畳の上に腕と足を投げ出していました。


 隣には、裸の夫。


 敷布団から落ちているのは、わたしに布団を譲ってくれたからでしょう。


 額に浮かぶ汗から、昨夜、化粧を落とさずに寝てしまったことを思い出し、シャワーを浴びにいくことにします。


 昨夜は気づきませんでしたが、敷布団にかかっているシーツはよれよれで、いつ洗ったのかわかりません。中央にできている染みは昨夜の痕跡かもしれませんが。


 いずれにしても、裸で寝るには衛生的に問題のある環境です。


 こんなところで何か月も生活していたなんて、夫が不憫でなりません。


 せめて、美味しい朝食を食べさせてあげなければと、急いで洗面用具を入れたポーチをつかみます。


 いつもなら夫を起こして一緒にお風呂に入るところですが、ここの浴室は狭くて二人は無理。


 シャワーを全開にしてもけして強いとはいえない水流で、汗を洗い流します。


 それから、クレンジングフォームをワンプッシュ。メイクを落とし、洗顔と化粧水の役割を果たすすぐれものは、旅のお供として今日も大活躍です。


 泡で顔を洗って、気分もリフレッシュ、といきたいところですが。


 狭い浴室が気分を落ち込ませます。鏡がないのは、もしかして発注ミス? シャワーが弱いのは水まわりに問題が?


 夫からは世帯用の「家」と聞かされていましたが、どう見ても家というよりは「部屋」。


 キッチンは狭いし、間取りも少ない。


 一人で暮らすならともかく、家族では難しいというか、無理。


 それに、壁や天井からの圧迫感は、わたしを鎖で縛りつけ、閉じ込められた想像をしてしまいます。


 子供達だって、いくら家族同士といっても、パーソナルスペースが取りにくく、プライバシーが筒抜けのこの部屋に住むのは嫌がるでしょう。


 セックスなんて、もってのほか。


 それでも、妻として、母として、家族を壊さないためにどうすればいいのか、考えずにはいられません。


 夫から向けられた疑惑を簡単に解消する方法があることを、わたしは知っているから。


 それは、わたしがここで暮らすこと。


 一緒に暮らしていれば、夫が柿崎さんを意識することもなくなります。毎晩添い寝をするだけですべては解決するのでしょう。


 ホテルデートの出費はかさみますが。


 一人でいるから余計なことを考えるのよ。あなたも、わたしも。


 ただ、転校や生活の大幅なレベルダウンにわたしと子供達が堪えられるかどうか。


 こちらで暮らすとなったらあの家も処分せざるを得ません。だけど、こんな狭い部屋にうちにある家具を持ってくるなんて、到底不可能。多くの大切な思い出も処分することになるのでしょう。


 だからこそ、この最後の切り札は大切に残しておきたいのです。


 だけど、今、家族には夫が知らない大問題が生じています。


 それは、いずみと柿崎君の関係。


 うちとは比べるべくもない水圧の弱さを不満に思いながら、今はまだ夫に言えない悩みをほどいていきます。


 中学生がセックスをするなんて、親として見過ごすことはできません。


 4月から、いいえ、新学期からあの子だけでもこちらに来させられないかしら。


 父親の面倒を見るという名目で、東京の学校に転校させて、なんとか柿崎君と離すことはできないだろうかと。せめて、高校生になって卒業するまでの間だけでも。


 ですが、それが簡単でないことはあの子の態度からはっきりしています。


 いずみの声が今も耳に残っています。


『もし、赤ちゃんができてたら、あたしは産みたい!』


 まだ14年しか生きていないのに、あんなにも思い詰めていたなんて。


 それが一生に一度の恋なのだとしても、早すぎる。いいえ、おさなすぎます。


 ましてや相手も中学生。責任とか考えてもいないでしょう。


 本当にいずみのことを大切に思ってくれているのなら、子供を養ってもいけないのに、セックスなんてできるはずがありません。


 いずれ親同士で話し合うにしても、別れさせる以外に選択肢はなく、その結果、傷つくのはいずみ一人だけ。


 あのエロ猿は、いずみのことをただの経験値に置き換えて、別の女の子に声をかけるのでしょう。


 これは、本来なら夫に相談しなければならない重大事件。


 なのに、わたしと柿崎さんのことで頭が一杯になっている夫にはどうしても言い出せません。いずみが柿崎さんの甥とセックスをしているなんて。


 せめて、いずみと柿崎君のことを話すときは、わたしと柿崎さんのことが誤解だったと信じてくれてからにしたいのです。


 そうでなければ、家族がばらばらになりそうな気がしてなりません。


 けれど、夫は疑いを深めるばかり。わたしの夫に言えない悩みもまた深まるばかりなのです。


 シャワーを止め、タオルに身を包んで夫を起こします。


 昨夜のさがしでこの部屋に食材がないことはわかっています。買物をしようにも、夫に連れて行ってもらわなければ店の場所すらわかりません。


 疲れているのを起こすのはかわいそうとは思いますが、体調次第ではすぐにでも臨戦態勢に入る人です。同情は禁物。


「おはようございます。あなた、起きて。朝よ」


 ❑❑❑❑


 妻に案内をわれて、散歩がてらスーパーへと向かいます。


 途中でコインランドリーに洗濯物を放り込むと、両手が空いた私に腕を絡ませてきました。妻が地元ではできない解放感に浸っているのがわかります。


 カートを押しながら食材を選ぶ妻を待つ、かつては、いや、ほんの半年前まで苦痛でしかなかったことが、今はこんなに楽しいとは。


 ただ、私は炊飯器を持っていません。朝は定食屋、昼は社員食堂、夜は弁当屋と調理不要の生活を送ってきましたから。


 だから、家には、米はおろか、お茶やコーヒーすらありません。


 家で飲むのは缶ビール。


 たまに作る料理はうどん。うどん玉をゆでて、粉スープを溶かし、刻んだネギと天かすを入れて完成。どんぶりは使わず、鍋から直接いただく。


 とかく都会に仕事で来ている一人暮らしに、保存する食料は向いていないのです。


 それを説明すると、目を見開いてかわいそうな目で私を見る妻。


 いや、結構楽しくやってるよ?


 土鍋でご飯を炊く方法を店の中で説明し始めたのを押しとどめて、米売り場から離れます。


 ご飯、食べたいときに百円程度で買えるんだけど。


 研いだ後、夏場は30分、冬場は1時間水にひたすとか、中火で15分、蒸らしで10分なんて情報、要らないんだけど。


 その間におかずを作ればいいなんて、食べに行ったほうが早いし、後片付けもしなくていいんだけど。


 結局、妻が選んだ食材は食パンと卵に牛乳、バター、スティックシュガー。それにベーコンとトマト、レタス、オレンジジュース。


 どうやら朝食は、フレンチトーストとBLTサンド、オレンジジュースに落ち着いたようです。


 その辺の喫茶店に行けば出してくれるんだけど、なんてことは言いません。


 私の好みの味や量の調整は妻のほうがよくわかっていますから。


 ❑❑❑❑


 夫とコインランドリーに寄って、洗濯物を乾燥機にかけて部屋に戻りました。


 後で取りに来るって言うけど、盗まれることを心配しないでいいのかな?


 わたしが暮らす町では、昼間なら家にいるとき鍵なんてかけません。ですが、東京では、昼夜を問わず、人がいようがいまいが鍵をかけるのが当たり前。


 防犯意識のアンバランスに戸惑ってしまいます。


 部屋に戻り、わたしが作った朝食を夫は喜んで食べていましたが、片付けや掃除を終えるとすることもなくなります。


 話す内容はどうしても柿崎さんのこと。


 ちょうどいい機会だからと、次の金曜日の午後6時に華寿司で柿崎さんから説明したいと言われたことを話しました。


「もう会うこともないって、言ってなかった?」


「あなたに疑われたままなのが嫌なんでしょ」


「どうして?」


「あなたが納得してないみたいだったからよ」


「俺が納得したかどうかなんて関係ないだろ?夫だとは言ってないんだし。……まさか?」


「わたしだって言ってないわよ。でも、大島っていう変な人が、あなたに告げ口をするかもしれないって思ったのかもね。奥さん、浮気してますよって」


「浮気してるの?」


「してないわよ! ばかじゃないのっ!」


「俺には会う理由はないんだけどな」


「わたしにはあるわ。あなた、柿崎さんのことをずっと疑ってるけど、後援会の集まりで、変な人がわたしに馴れ馴れしい態度で近づいてきたから、柿崎さんが寄せつけないようにしてくれただけなのよ。で、どうするの?」


「君は?」


「わたしも誘われたわ。でも、あなたが行かないのなら断っておくけど」


「そうだな。行くよ。決着はつけておかなくちゃな。この間の話は中途半端に終わったし。……ただ、これで最後だ。俺としては君と柿崎が結ばれてもしょうがないと思ってる。だから、離婚届に俺の名前を書いておくよ。あとは君がサインして提出できるようにね」


「わたしは離婚なんかしないわよ」


「そうは言うけど、俺はもうあの町には帰らないよ。だけど、君には守ってくれる人が必要だ。それが今までは俺だったのが、これからは柿崎に代わるだけのことじゃないか。柿崎に守ってもらえよ。後援会のときのように」


「あなたに何を言っても無駄なのかしらね?」


「俺があの町に帰れなくなった原因は君と柿崎が男女の仲だという噂だ。それが事実かどうかなんて今更意味がない。それに、火のないところに煙は立たないとはよく言ったと、俺はこの間思ったよ。俺から見てもお似合いのカップルだった」


「なら、どうしてわたしを抱いたの?」


「悔しいからに決まってるだろ! このまま妻を寝取られて何もできずに黙っているなんてできなかったからだ。せめて、君が柿崎と次に会ったときに、俺の女だとあかしを残して見せつけたかったからだ」


「……あなた。まさか、わたしの体に何かしたわけじゃないでしょうね?」


「君のお尻に、油性マジックで俺の名前を書いた。しばらくは消えない」


「ふぅん」


「驚かないの?」


「別にいいわよ。それで気が済むのなら好きなところに書きなさい。わたしは別に困らないから」


「柿崎に見られても?」


「柿崎さんが見ることは一生ないわね。どうするの? 書きたいのなら今すぐ脱ぐけど?」


「ごめん。嘘だ。そんなことはしてない。だけど、……今夜、いいかな?」


「ばか」


 本当にばかなんだから。


 その日の夕方、いずみから電話がありました。


『お母さん、お金、置いていかなかったでしょ。食べるものもなくて、あたし、困ってるんだけどっ!』


「ごめん! 明日、キャッシュカードを郵送するからっ!」


 寝そべったわたしの裸にいたずら書きをしていた夫が、股の間からいぶかしげな顔で見ています。


「貸して」と夫がわたしからスマホを取り上げて「お父さんだ。いずみ、お母さんがこっちに来たせいで迷惑かけたな。お金は今からすぐに速達で送るから」と手際よく返事をしています。


 やがて、わたしにスマホを返すと「郵便局に行くぞ」と、パンツを履きながら言いました。呆れた目をして。でも。


 そんな目で見たって説得力なんかないんだからねっ!


 ❑❑❑❑


 夫の部屋には4泊して帰りました。


 東京駅で夫に見送られて新幹線に乗ったとき、自分がとんでもないことになっていることに気づきました。


 もし、事故で病院に運ばれても、服を脱げないじゃないっ!


 体中、服で隠れているところは、胸やお尻までいやらしい落書きだらけで、毛まで剃られて、まるで変態女みたいになってるしっ!


 夫が描いているのを、お互いに楽しんでいた時点でもう手遅れだったけど。


 それでも祈るのは夫の無事。


 どうか病気や怪我をしませんように。事故や事件に巻き込まれませんように。病院で一人苦しい思いをしませんように。


 だって、夫の体にもわたしの落書きが描いてあるから。


 特に剃毛したところ、わたし、なんで自分の名前なんか書いちゃったかなぁ。誰かに見られたらわたしが変態みたいじゃないっ!


 ❑❑❑❑


「いずみー!」


 玄関からうちの娘の名前を呼ぶ声が聞こえました。


 いずみがいそいそと出迎えてリビングに連れてきたのは、エロ猿。もとい、……いや、やっぱりエロ猿。


「おはようございます」と挨拶はするものの、どこかぎこちなく、わたしの一睨みにびびっています。


 東京から帰ってきた翌日、朝食を終えて片付けをして、娘が夏期講習に出かける直前のことでした。


 どういうこと?


 問いただそうと娘に説明を求めようとすると、「あたし、準備してくるから」と逃げ出しました。


 リビングには、柿崎君、もとい、エロ猿とわたしの二人きり。


 まさか、誰もいないこの家で、合宿? 夏期講習? という名のセックスざんまいだったんじゃないでしょうね!


 夫との関係修復に気を取られ、娘が男を家に引き入れることの可能性に思いが至らなかった迂闊うかつさを悔やみます。


 これは、確認が必要ね。


「柿崎君、おはようございます。いずみは今から夏期講習なんだけど、何か用でも?」


「僕も同じ塾で夏期講習なんです。えっと、今日はいずみさんを迎えに来ました。その、一緒に行かないかって」


「あら、エスコートしてくれるのね。ありがとう。しばらく留守をしてたから心配してたんだけど、あの子、ちゃんと夏期講習に行ってた?」


「はい。毎日迎えに来てましたから」


 えっ? 毎日?


「……あらあら、お疲れ様。いずみはもう少し時間がかかるみたいだから、コーヒーでもどう?」と手のひらでソファに誘います。


「そんな。お構いなく」


「いいのよ。ちょうど今、淹れてたところなの」と、座ったエロ猿の前にコーヒーを置きました。


「……いただきます」


「あの子、夏期講習ではどんな様子? うちではちっとも話してくれなくて」


「きちんとノートを取ってますし、全部のコマに出席してましたよ。もう、僕が教えてもらうくらいで」


 はっ? 全部? 一緒だったの?


「……あら、仲がいいのね。席はお隣同士だったのかしら」


「席は自由ですが、いつも一緒に行ってるので、たまたま隣になるというか……」


 なるほど~。


「そうなの? 柿崎君、成績がいいって聞いてるから夏期講習なんかじゃ物足りないでしょ?」


「いえいえ、うちの担任、数学が専門なのに、授業がなかなか進まなくて」


「それは困ったわね。授業が遅れると受験に差し障りがあるものね」


「そうなんですよ。でも、まあ、うちのクラスの連中が授業中に騒いでるのが元々の原因ですから」


「齋藤先生、厳しそうだけど」


「それで、いつも怒ってます。ひっとぉーって」


「ひっとぉ? ……あら、コーヒー、もう一杯いかが?」


「ありがとうございます。いただきます。いつも思うんですけど、このうちのコーヒーって美味しいですね」


 いつも?


「そうかしら?」


「いずみさんが淹れてくれたのも美味しかったけど、お母さんのコーヒーも美味しいです」


 そ~なんだ〜。


「お世辞でも嬉しいわ。で、齋藤先生、どんなふうに怒るの?」


「まず、チョークを投げつけてきます。で、次に、こう、人差し指で撃つような感じで、ひっとぉーって!」


「ふふふっ」


「だから、あだ名はヒットマンです。学校の最強生物って言われてます」


 わたしが笑っていると、いずみが声をかけてきました。


「ようちゃん、いい?」


「あっ! じゃあ、僕はこれで。コーヒー、ごちそうさまでしたっ!」


 二人して仲良く出かけて行くのを見ながら、わたしは心の中で叫びました。


 いずみっ! アウトォーッ!


 ❑❑❑❑


 大原さんと約束した日になりました。


 私は華寿司のカウンターで、大原さんが大島を連れてくるのを待っています。


 店主が心配そうに見ていますが、取り越し苦労です。大島は暴力を振るうようなやつではありません。


 むしろ、相手を罠にかけ、弱みをつかんだらそこを徹底的についてくる、あるいは、相手の言葉尻をとらえてさり気なく変容させ、事実をねじ曲げてくる、そして、言質げんちをとって追い詰めてくる、そんな狡猾な男です。


 大原さんが浮気した証拠を示すこともなく、ただ決めつけるだけ。


 本来なら、大島が追及したいのなら、まずは証拠を提示すべきなのに。


 大原さんの幸せを望むとか、大原さんの決断を応援するとか、言葉巧みに味方をするふりをしていますが、その実、大原さんの意思など完全に無視しているのです。


 大原さんを見守りたいという言葉は、彼女を束縛したい、自分の支配下に置いてその人生を思うままにしたいという意味にしか取れません。


 本当に他人なのか? いや、仮に実の兄だったとしても。


 まさにストーカー。正真正銘、筋金入りのストーカーです。


 正直言って、勝てる気がしません。それでも、戦いを挑んだのは、何も言い返せずに負けたことを認めたくなかったから。


 約束の時間まで、あと5分。


 店主の淹れてくれたお茶には、茶柱が2本。縁起の良さが背中を押してくれることを信じて、あいつが来るのを待ちます。


 ❑❑❑❑


「ちょっと、どういうことよっ!」


 突然の夫からの電話に驚いて怒鳴り返しました。


 もうすぐ約束の時間だというのに、遅れるというのです。今、駅に着いたばかりだと。


『しかたないだろ。こっちと違って東京発の新幹線は10分置きに発着があるんだ。間に合うと思って乗ったんだよ』


「どのくらい遅れるの?」


『15分か、20分。ああ、今からタクシーに乗る。電話、切るぞ』


「わかった。待ってるから」


 スマホをしまって華寿司の引き戸を開けました。カウンターに柿崎さんが座っているのが見えます。


 わたしに気がついて片手を上げました。


「ごめんなさい。大島さんは遅れるみたいなの」


「そうですか。まあ、いいですよ。とりあえず、こちらへどうぞ」


 そう言って案内されたのは、別室の円卓の席。正しくは、Cの文字のようなドーナツ一部が欠けたテーブル。


「食事は話し合いの後でいいですよね」と言いながら、わたしを端の席に案内し、自分はもう一方の端に座りました。


 やがてお茶が運ばれてくると、女性店員に「後から一人来たら、こちらに案内してください」と指示を出した後、わたしを見ながら。


「できるなら、大島さんと話す前に、大原さんからお聞きしたいと思っていたことがあるんです」


 と、あらたまったように切り出しました。


「あの男、大島さんは、大原さんの亡くなったお姉さんのご主人ということでしたが、本当ですか?」


「……本当も何も、大島さんが言ったとおりですけど?」


「ふぅん。それにしては、あまりにも干渉が過ぎるような気がして」


「……お世話になってるのは事実だし」


「どういう?」


「それは……ちょっと」


 本当は夫だから、とは言えません。


「お金とか?」


「まあ、それも」


「大原さんの旧姓は……大島というんじゃありませんか?」


「えっ?」


「すいません。踏み込んだことを聞いてしまって」


「いいえ。でも、違いますけど」


「大島さんのことを、大原さんはお兄さんだと紹介しましたよね。大島さんは義理の兄だって言ってましたけど、本当は、実のお兄さんなんじゃありませんか?」


「……どうして?」


「雰囲気というか、お互いの馴れ親しんでいる感じですかね。実の兄妹(きょうだい)としか思えない気安さ、遠慮のなさというものを感じたんですよ」


「柿崎さん? これは世間話のつもりなの? それとも何か意味があって?」


「いいえ。大島さんと話す前に確認しておこうと思っただけなんです。大原さんがこれからどうしたいのかを」


「わたしがどうしたいか?」


「そうです。大原さんが大島さんとの関係をどうしたいのか。離れたいのか、このままの関係を続けたいのか」


「……えぇっと。今日は、柿崎さんとわたしが後援会で噂されているような関係ではないってことを大島さんに説明してくれるんじゃ?」


「もちろん、そのつもりです。ですが、大原さんには、もはや戸籍上のつながりだけなのかもしれないけど、ご主人がいらっしゃいますよね。


 ならば、先日の大島さんの言葉は、赤の他人が言っていいことじゃないはずです。今日の話だって、赤の他人にしたところで意味はない。


 大原さん、本当のことを聞かせてください。大原さんと大島は赤の他人というわけではないんでしょう?」


「……それは」


「わかりました。やっぱりそうだったんですね。じゃあ、それを前提にお聞きします。大島から離れたいのか、このままでいいのか」


「わたし、離れるなんて」


「そうですか」とため息をつくと、お茶を一口すすって。


「まあ、愛の形は人それぞれですからね」


 と、得心がいったような顔を向けてきました。


「けれど、これだけは言わせてください。ストーカーはどこまでいってもストーカーです。


 根底にあるのは自分のものにしたい、自分の思いどおりにしたいというわがままな欲望だけ。だから、思いどおりにいかないときは、言葉でいたぶったり、暴力を振るったりする。しつけとか、教育なんてきれいごとを並べてね。


 間違いを起こさない人なんていないけど、ストーカーはそこにつけこんでくる。お前が悪いって。そのうち、ストーカーの言うことさえ聞いていれば責められたり、殴られたりしないことで安心するようになる。


 やがては、もしかしたら、自分が悪かったのかもしれない、この人の言うことを聞いていれば間違いないのかもしれないと思うようになってくる。


 大原さん。


 私は、そうやって大原さんがあのストーカーに洗脳されているのではないことを願っています」

 

「なんか、面白いことを言ってますね」


 そう言って夫が、いえ、大島さんが、やっぱり、夫。が入ってきました。


「ストーカーって、私のことですか? もしかして」


「一般論ですよ。それより、ドアはノックするためにあるって知りませんか?」


「これは失礼。ノックはしたんですよ。立派なドアで音が小さかったのかな? それとも柿崎さんが話すのに夢中で気づかなかったのかな? ねぇ」


 と、案内をしてきた女性店員に同意を求めています。


 女性店員はなんと言っていいかわからない顔で、わたしに助けを求めるような目を向けています。


「ずいぶんな態度ですね。今日はお招きした私がご馳走しようと思っているのに」


「もてなしは不要です。でも、里美にご馳走してくれるというなら、ありがとうございます。話が終わったら私は帰りますから」


「そうですか。でも、立ち話で済むことでもありませんし、どうぞ、お座りください」


「じゃあ、遠慮なく」そう言って座ると、わたしのほうを向いて。


「やあ、里美。久しぶりだな。今夜は旦那はいないのか? 一人寝は寂しいだろ? 俺が温めてやろうか?」


 わたしがあわあわと、女性店員が顔を真っ赤にしていると、柿崎さんが。


「そんな言い方、大原さんに失礼でしょうっ!」


「そんなことより、柿崎さん。先日、里美とはもう会わないとお聞きしたように思いますが?」


「大原さんは友人ですからね。困っているのに助けないわけにはいきません」


「友人? ただの?」


「ただの友人ですよ。先日も言いましたよね」


「そうでしたね。もう会わないって言ったときに」


 二人の剣幕に、女性店員は恐れをなしたのか、わたしに呼び鈴を示してそっと出ていきました。


「それは、私の言葉が信用できないということですか。まあ、いいでしょう。別に大島さんに信じていただく必要なんてありませんからね。義理の兄かどうか知らないけれど、所詮は他人じゃないですか」


「心配するのに他人かどうか関係あるんですか? 柿崎さんも他人だけど里美を心配してますよね」


「心配? 私は信用って言ったんですよ。ごまかさないでください」


「ごまかす? 現に柿崎さんは里美のことを心配している。違いますか?」


「私が言いたいのは、これからお話することを大島さんが信用するのかってことですよ。信用できないのなら、これ以上お話しても意味がない。時間の無駄です。お引き取りください」


「柿崎さんにかけられた疑いを晴らすということではなかったんですか?」


「そのつもりでしたが、よく考えたらなんの関係もない大島さんに話すことではありませんでした。すみません。ご足労いただきましたが、用はありません。お帰りいただいて結構です。


 ……それとも、疑問は後で聞くとして、とりあえず私の言い分だけでも聞いていただけますか?」


 わたしとしては、もう帰りたい。


 なんか、予定と違うし。柿崎さんも夫もテーブルの隅のわたしを無視して二人で話してるし。わたしのことなのに。


「……いいでしょう」


「確かに、私は後援会の打ち合わせと称して大原さんと食事をしました。


 その打ち合わせにしても、私が一人で処理すれば必要のなかったことです。調子に乗って、美術館や郷土資料館、カラオケに行ったこともあります。それをデートだと言われれば、そうかもしれません。でもそうではないかもしれない。要は見方次第でしょ?


 こんなに素敵な女性なんです。下心とまでは言わなくても、誰もが仲良くしたいと思うに決まってるじゃありませんか。


 それから、私の家に大原さんが来たというのも事実です。一度目は懇親会の帰り道、吐き気がするというのでトイレをお貸ししました。二度目は、その礼としてあまりのトイレの汚さに掃除をしていただいただけです。三度目は、打ち合わせのためです。そのときに食事を作っていただいたのを人に見られたんでしょうね。


 そのために大原さんにはご迷惑をかけることになりました。先日、大島さんがあの人達にはっきりと言ってくれなければ、噂が一人歩きしたまま、私ではどうしようもなかったでしょう」


 そして、お茶を一口飲むと。


「ですが、それだけのこと。私と大原さんがラブホテルから出てきたとか、真っ赤な嘘ですよ。そういう関係ではないんです。おわかりいただけたでしょうか」


「あくまで、ただの友人だと?」


「そうです。……今まではね」


 えっ?


「どういうことですか?」と夫。


「私にとって、大原さんは大切な友人です。だけど、大島さん。あなたはそうじゃないでしょう。あなたと大原さんは体の関係がある。違いますか?」


 違いません。


「ああ、いや、返事は不要です。私は大原さんの不貞を問いただす立場にはありませんからね。その権利があるのは大原さんのご主人だけ」


 不貞ではないけれど。


「もちろん、仮に、この先、私と大原さんの仲が深まって、ラブホテルに行こうと、セックスしようと、それを咎めることができるのも大原さんのご主人だけ」


 それ、ないから。


「つまり、大島さん、あなたはまったく関係のないことに首を突っ込んでいる。私と大原さんの関係を疑うのは結構ですが、その前にあなたと大原さんの関係がご主人に、義弟おとうとさんに知られたときの言い訳でも考えておいたほうがいいんじゃないですか」


 ごめんなさい。本当は夫なんです。


「それに、大島さんが原因で大原さんが離婚することになったら、ご両親はなんて思うんでしょうね。二人のお嬢さんを不幸にした男に対して」


 しばらく黙っていた夫でしたが、やがて。


「このテーブル、真ん中に職人さんが立って寿司を握る、プライベートカウンターですかね」


「……店主とは知り合いで、今日は特別に」


「デートでこんな気配りをされたら女性は嬉しいでしょうね」


「そうかもしれませんね。ですが」


「柿崎さんは、里美のことをただの友人だと言いましたね。でも、里美はどうだったんでしょうか。私は里美のことを知っています。美術館や郷土資料館に関心がないことも、美味しい食事やお酒が好きで、今日のような特別扱いに心が揺れることも」


「……それは」


「いや、いいんですよ。それは柿崎さんが悪いんじゃないから。


 ただ、こう思うことはできませんか。


 世辞にけた遊び人が何も知らない人妻をたぶらかして一夜の慰めにする。


 幸い、夫は単身赴任中。時間がどうにでもなる専業主婦だからいつでも呼び出せる。秘密の逢引きにスリルと背徳感を覚え込ませ、ちょっとしたアバンチュールを楽しむ。


 相手は人妻、いずれは夫のところへ戻るだろう。けれど、それは後腐れのない関係でもある。だって、不倫がバレて困るのは人妻の方だから。


 妊娠したって平気。黙ったまま夫の子として育てるか、堕ろすかは女の好きにすればいい。


 だけど、そのために唯一守らなければならないことがある。それは、人妻の家庭を壊さないこと。


 そのためなら、全力で否定する。嘘をつくのは当たり前。こんなことをしてる時間なんてもったいない。次の人妻を口説く時間がなくなる。


 あ〜あ、このストーカー、早く諦めないかな。まったく面倒くさい奴につかまってしまった」


「「なんてことを言う」」

「のよっ!」「んですかっ!」


「誤解しないでくださいね。あくまで一般論です」と、夫は柿崎さんを見ながら。


 わたしのことは無視ですかっ?


「とても、そうには聞こえませんが!」


 そう。柿崎さん、もっと言ってやってください!


「柿崎さん。落ち着いてください。あなたがそうだと言ってるわけじゃない。ただ、私が義兄あにとして、最悪のケースを心配していることも理解してほしいんです。


 打ち合わせという口実で、食事をしてお酒を飲んだりデートをして、それでも友人だと。だけど、柿崎さんの友人という言葉にはセックスフレンドも含まれていませんか?」


「違いますっ!」「違うわっ!」


「里美? 私と柿崎さんの話に割り込まないでくれるかな」


「何言ってるのよ。冗談じゃないわよ」


 迷惑そうな顔をしていますが、本当に冗談じゃありません。セックスフレンドなんてありえないし。


そもそも、それって友人なの?


「大原さん。ご主人は単身赴任だったんですか? 別居ではなく?」


 いきなり振られて言葉に詰まります。


「えっ? ええ。まあ」


 別居してるなんて言ったかしら?


「おや? そんなことも知らずに? 里美は柿崎さんに別居だなんて嘘ついてたんだぁ。なるほどねぇ。柿崎さん、そうなんですか?」


 夫がわたしを見ながら勝ち誇ったように言ってきます。あなた、柿崎さんに話してるんじゃないの? こっち向かないでよ。


「単身赴任……そうだったかもしれませんね。すみません。私の勘違いでした。そう、確かに単身赴任でしたね」


「おや? そうなんですか? 本当に? いや、しかし、これは申し訳ないことをしました。うん。柿崎さんは悪くない。


 遊ばれたのは柿崎さんの方だったんですね。いや、大変失礼しました。これまでのこと、謝罪させてください。私の勘違いでご迷惑をかけました。……ですが」


「それなら、もう里美には会わないでいただきたい。


 里美が柿崎さんと遊びのセックスをしたのだとしても、あとは家族の問題。義弟おとうとに知らせることはしません。


 そもそも、私だって……里美と関係したことは一度や二度ではありませんから」


「大島さん。……やっぱり」


「こういうの、なんて言うんですかね。穴兄弟? 私が先だから、私が兄ですかね。どうですか。これから3人でホテルに行きませんか? 私が里美に仕込んだ技を披露させますよ」


 本気なのっ? 本気でそんなこと考えてるの? いえ、だけど、この人なら……ありえる?


「いや、それは」


「もう味わった後でしたか」


「なんてこと言うのよっ! やめてよっ!」


 もし、柿崎さんがそうしましょうなんて言ったらどうするのよっ! わたしはいやだからねっ! 行くなら二人で行ってよ!


「大島さん、さすがに大原さんに失礼ですよ」


「里美、もうこうなった以上、柿崎さんには本当のことを言うしかない。俺と君は本当は実の兄妹きょうだいで、親に隠れてセックスをしていたのがバレて俺が養子に出され、君はあいつと結婚させられた。でも、俺達は忘れられずに今もあいつに隠れて会っている。秘密を知った柿崎さんは今日から俺達の仲間だ」


 夫がとんでもないことを言い出しました。どこまで本気なのか、何を言ってるのか、もう、わたしには理解できません。こんなこと言って大丈夫なの? いえ、大丈夫なはずがないじゃないっ!


「本当にやめてよ! なに言ってんのよっ!」


 このバカっ! 大嘘つきっ!


「大島さん。大変な秘密をお持ちのようですが、私が大原さんと関係したことはありません。ただ、一度だけですが、大原さんを……」


 何を言い出すのっ!


「柿崎さん! やめてくださいっ!」と慌てて止めに入ります。


「……抱きしめた」


「「えっ?」」


「い、と思ったことがあったような」


「思っただけですか?」と夫。「……はい」と柿崎さん。口を開けたままのわたし。


「セックスは?」


「してません。というか、ホテルに誘いたいと思ったことはありましたが、機会がなくて……」


「本当に?」


「どう思おうと自由ですよ」


「まるでセックスしたみたいに聞こえますけどね」


「そうですか?」


 二人で仲良く、わたしを置き去りにして盛り上がっています。


「一度、里美を抱いてみませんか?」


「そんな、いまさら……ああ、ラブホテルで見られたというのは、誘おうとして前を通ったところだったんでしょうね。でも、大原さんは……」


 けれど、これ以上は無理っ!


「柿崎さんっ! もう、やめてっ! やめてくださいっ!」


「里美。今、大切なところなんだ。やめるのは君の方だ。……柿崎さん、里美のキスは私が仕込んだんですよ。脳天までズギュンときますよ」


「それは素敵ですね」


「柿崎さん、本当にやめてくださいっ! 二人とも、もういいかげんにしてっ!」


 二人でラブホテルに行って、キスでもセックスでもすればいいのよっ!


 うぶな柿崎さんをあなたが仕込めばいいじゃないっ! わたしにしたことと同じことを柿崎さんにすればいいのよっ! もう、わたしを責めないでよっ!


「ですが」


 と、柿崎さんが顔を上げて夫のことを悲しそうに見ました。


「仮に、私と大原さんが一夜のあやまちを犯したからといって、それがどうだというのですか?


 あなたは、これからも大原さんと一緒の時間を過ごしていけるじゃないですか。


 その笑顔を、泣いた顔を、怒った顔を、そして寝顔を見続けることができるじゃないですか。最愛の人からたったそれだけのことが貰えない男がここにいるというのに。


 いいですか。本当に大切なのは、一緒に生きるということ。


 ともに時間を過ごして、その喜びも悲しみも、怒りでさえもわかち合って、同じ感情を、同じ思い出を、同じ未来を作っていくことなんです。


 その覚悟、それが人生を選ぶということだとなぜわからない。


 本当は簡単なことなのに。


 手を取る、それだけでいいのだから。


 大原さんはあなたに手を伸ばしている。あなたはどうする? あなたに向けて伸ばされた手をあなたは振り払うのか。拒絶するのか。


 世間の目とか、倫理とか、体裁とか、そんなもののために?


 誰かを愛するということは、その人を自分よりも大切にしたいということだ。


 自分の、たった一度きりの人生をかけて、その人のことを思い続けたい。


 そんな願い、祈りがあるから、人はともに歩いていける。


 そこに、おのれ大事の身勝手さ、あるいは相手からの見返りを期待する打算など微塵もない。


 だけど、それには覚悟が要る。


 人から後ろ指をさされようと、世間からなんと言われようと、ただ一人の愛する人を守り抜く覚悟だ。


 その覚悟がないのなら、大島さん、あんたこそ、大原さんの前から消えてほしい。


 去ってほしい。忘れてほしい。関わらないでほしい!


 それに、大切な思いなら、ここにもある。たとえ、声が届かなくても、言葉がわからなくても、手を繋ぐことすら許しがいるのだとしても、確かなものがここにある。


 すべてをかけても、人生を投げうっても手に入れたい、伝えたい、わかってほしい、そんな、おのれに素直な気持ちを、身勝手にも吐き出したこの感情、あんたならどう受け止める?


 私のこの言葉、妄言だと聞き流すもいいだろう。言い返すもいいだろう。


 だがな。


 あんたが覚悟を決めることができなかったそのときは、この言葉を生涯忘れることはできなくなるぞ。


 これからの人生、寒い夜、一人で過ごす夜、何か大切なことを伝えようとした夜、あんたは一人きりだと、隣に誰もいないことに気づくんだ。


 そうして、私の言葉を思い出すんだ。


 死ぬ間際まぎわまで、ずっと、後悔しながらなっ!」


 何かに取り憑かれたように柿崎さんが一気に吐き出した感情に、わたしも夫も身じろぎひとつできません。


 重苦しい沈黙だけがこの部屋を支配しています。


 テーブルに置いたこぶしを握りしめて、椅子に背をもたれ、目を宙に向けて口を引き結んでいる柿崎さんが何を見ているのか、何を考えているのか、もうわたしにはわかりません。


 そんな静寂を破って、のそりと夫が立ち上がりました。


「……柿崎さん、里美に美味い寿司でも食べさせてやってください」


 そう言って一人で出ていきます。


 慌てて立ち上がったわたしに、柿崎さんが「……その先は地獄ですよ」と、弱々しくつぶやきました。


 もはや、お寿司を食べる気分ではありません。


 なので。


「さようなら。お元気で」


 それだけ言って、夫の後を追いました。


 柿崎さんの言葉の意味もその重さも理解できないまま。



【あとがき】


いずみ「皆さま、おはようございます。第18話『そして軋轢あつれきうごめく』を読んでいただきありがとうございます」


啓太「このあとがきは、作者に代わって副音声ふうに僕達でお送りします。


いずみ「とうとう始まりました2丁目。『これで勝ったと思うなよ〜!』の名セリフで一世を風靡したシャミ子ちゃんの物語」


啓太「シャミ子?」


いずみ「人間名は吉田優子。まぞくとしての活動名はシャドウミストレス優子。縮めてシャミ子。『魔族』じゃないよ。『まぞく』だよ」


啓太「それは、名セリフでいいの? 勝ったら使わないよね」


いずみ「今回は、ほのぼの回。個人事業主が果し状を書いて、まぞくと魔法少女がデートして、廃墟で牛肉すき焼きを食べたお話」


啓太「デートが戦争を意味するアニメの4期も始まったけど、そういう展開?」


いずみ「戦わないよ? 公園で猫を抱いたり、アニメイトでガチャやったり、髪留めをプレゼントしてお金がなくなりバイトを考えてた。あと尻尾の動きがかわいい。むしろ、尻尾が主人公! セリフがなくても感情が伝わる。これぞアニメ!」


啓太「コクコク。ごめんなさい。何を言ってるか、マジでわからない」


いずみ「そのセリフを劇中でキャラが言うアニメ。なんだ、わかってんじゃん」


啓太「全然わからない」


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