第一話
森の中、鹿が下草を食んでいる。
そこから40メートルほど離れた草むらには、じっと気配を殺し、まんじりともせず立ち膝の姿勢で弓矢を構えて鹿を狙っている男がいる。
年の頃は30半ば頃だろうか。
鹿がふいに下草から顔を上げた。
その瞬間、雷光のような速度で放たれた矢が鹿の眉間を見事に貫き、「どうっ」と音立てて鹿は倒れ伏した。
男は鹿に歩み寄り「悪いな。」と呟き、慣れた手つきで持っていたロープで鹿を縛り、手頃な木の枝を使って吊るし上げ血抜きを始めた。
血抜きが終わり、解体作業を始め、少し時が経った頃、男の背後から
「あっ!いたいた!隊長探しましたよ!」
と声がした。
男が声のした方へ振り返ると、そこには、まだあどけなさが少し残る金髪の男が走り寄ってくるところであった。
隊長と呼ばれた男は
「何だよバリー。俺は今日は休みだぞ。」
と答えた。
「隊長それどころじゃありませんよ。貴族の子息が殺されたんですよ!それもスラム街で!」
「はぁ。何だって貴族様がスラム街なんかにいたんだよ。」
「それを捜査するのが我々の仕事じゃないですか。とりあえず隊長の休暇はおしまいです!これから隊舎に一緒に行ってもらいますよ!」
「わかったよ。あ〜あ。折角、久しぶりの休みで狩りを満喫してたのによ〜。仕方ねぇ、鹿肉は隊に持ち帰ってみんなに食わせるか。バリー、隊舎に行くぞ。」
「はい!」
この隊長と呼ばれた男は、皇帝直轄機動衛士隊通称「猟犬」と呼ばれる犯罪捜査機関の隊長レイ・ハウンドである。
この頃、大陸の半分以上を領土とするレアトス帝国では、凶悪犯罪が多発し、皇帝直轄地のみでしか捜査活動ができない衛士隊では対応し切れずにいた。
そこで皇帝は、直轄地のみではなく、各貴族の領土内でも犯罪捜査を行うことができる、独自の捜査権を持った捜査機関である皇帝直轄機動衛士隊を創設したのだった。
レイが隊舎に出勤すると
「隊長。休暇でしたのに申し訳ありません。」
と金髪碧眼の綺麗な顔立ちをした30歳位の男、「猟犬」の副隊長ユリウス・オルポートが頭を下げた。
「まぁしょうがねえだろ。で、状況はどうなんだ?」
「はい。被害者は子爵家の次男で名前はゲオルグ・ハンス、死因は頸動脈を切られた事による失血死。」
「ハンス家って言えばあの成金貴族じゃねぇか?」
「そうです。あのハンス家の次男坊です。何かと黒い噂が絶たない家ですね。」
「死亡推定は?」
「検視の結果から、昨日の午後9時頃とのことです。」
「成程ねぇ。こりぁ一筋縄でいかねぇかもなぁ。」
「私もそんな予感がします。」
「まぁとりあえずは基本的なところからだな。アルテアを呼んでくれ。」
「了解!」
数分後
「コンコン」
と隊長室のドアをノックする音が響き渡る。
「入れ。」
「失礼します。」
声とともに隊長室に入ってきたのは銀髪が美しい青い目のスレンダーな美女であった。
名前はアルテア・モンテ、「猟犬」の小隊長である。
「隊長、折角の休み残念でしたね〜。私と一緒に飲みに行かないからバチが当たったんですよきっと。」
「お前と飲みに行ってたら、今日は二日酔いで使いもんにならなかったろうよ。」
「そんな事ありませんよ。私が優しく介抱してあげますよ。」
「そりゃ魅力的な提案だが、そろそろ本題だ。アルテア、例の事件は知っているな?」
「はい。貴族のドラ息子がスラム街で殺された事件ですね?」
「そのとおりだ。死亡推定は昨日の夜9時頃だ。そこを念頭に現場周辺の聞き込みと被害者の交友関係、噂話、いい話も悪い話も一切合切あらってきてくれ。」
「了解!」
「俺はとりあえず被害者の家族と会ってくるかな。」