1009年12月14日 ソラス南 「不帰の森」1
「クマ、どう?臭う?」
少女が、20歩ほど先を歩く、その名の通り熊のような姿の獣に呼びかける。
クマは振り返ってひと声吠える。
苛立ち、怯え、警戒。
クマがこんな声を出すのは、いちばん嫌いな臭いを見つけたとき。
たぶん、人間。
嫌だね、森のこんな奥にまで人間が入ってくるなんて。
よし、東に移動しよう。
いいね、ポン?」
少女は、振り返って後ろからのそのそ付いてくる子犬ほどの大きさの獣に話しかける。
毛足の長い茶色の体に、黒い平たい顔。
垂れた耳、ふさふさの尻尾。
黒曜石のようなつややかな黒の奥に緑の光をたたえた瞳が、静かにこちらに意思を伝えてくる。
どうでもいい、任せる、と。
「ふふ。ポンはいつもそうだね。
よし、いこう。
日が暮れる前にいい寝床を探さないと。」
少女はクマの背中に跨ると、首元の長い毛を掴み手綱代わりにする。
クマは少女を乗せたまま風のように走り出す。
その後ろからポンが走り出した・・・
と思ったら、あっという間にクマと少女を抜き去ってずっと先に行ってしまった。
「ポンはほんと、風みたいだね。
・・・クマ、大丈夫だよ。
ポンの臭いを辿ってゆっくりいこう。」
昼なお暗い森の中。
冬の入口の張り詰めた空気を揺らしながら、少女を乗せた獣が走る。
コルテス島の森の中に住んでいた少女が二匹の獣を連れて橋を渡ったのは二年前。
為政者が変わってしばらくして、重税に耐えかねた住民達がやたらと森に入って来るようになったので、居心地が悪くなったのだ。
ひとりと二頭で、橋を渡り乾いた草原を横切って辿り着いたのがこの森。
東西を海に挟まれつつも広く深く温暖で、コルテスに居るような魔物も居ない。
今日のように時々人間が入ってくることはあっても、変に居着いたりやたらと木を切ったりすることも無い。
いつものようにかち合わないように逃げて、出ていくのを待てば良い。
ひとしきり走ったところで、ふわっと、少しだけ生ぬるい空気が少女の頬をなでたと思ったら、いきなり森が途切れた。
森の東端。
海沿いは塩で木が育ちにくいので、この辺りからは低い潅木と草しか生えていないのだ。
そこで、ポンが立ち止まっている。
その視線の先には、数人の人間が立っていた。
徒歩。兵というよりは、将。
魔法使いらしい怪しげなのも居る。
「やられたー。臭いは囮かー。」
少女が緊張感のない声を出しながら天を仰ぎ、大きな獣の背から降りる。
クマは人間達を警戒して低く唸る。
対照的に、ポンはじっと人間達を見つめている。
人間達の中のひとり、銀鎧の女が一歩前にでる。
その瞬間、つむじ風のようにポンが動く。
銀鎧の女を除いた人間たち全員が身構える。
ポンは一瞬で銀鎧の目の前まで移動して、飛び上がる。
銀鎧は驚いた様子もなく、左腕を出してポンを乗せた。
ポンは、腕に乗せてもらったまま暫し銀鎧の顔を見つめたと思ったら、ひょいと飛び降り興味を失ったように少女の脇に戻った。
銀鎧は少し微笑んだ後少女に向き直って、慇懃な表情をつくってから言った。
「魔獣使いのコニさんですね。突然お伺いした上に、騙し討ちのような事をした非礼、お許し下さい。
・・・あなたの力をお借りしたくて参りました。」
少女は、わざと皆に聞こえるように舌打ちをする。
「絶っっっ対に嫌。
どうせあんたらが借りたいのは、あたしじゃなくてこの子達の力でしょ。ふざけんな。
・・・あと魔獣使いって呼ぶな。ポンはあたしに服従してる訳じゃないんだから。」