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運命

 ゴールデンウィークが明けたが、俺たちを取り囲む空気は澱んだままだった。

 未来はもう、この世にいない。

 翠先生は、いつものように始発で出かけて行った。

 俺は、灯里と一緒に保育園に向かった。

 灯里も、俺たちが元気がないからか、あまり元気がない。

 保育園に灯里を預けると、その足で俺は職場に向かった。


 今日は、いつもと違って、俺が入ってきても、紫音が騒ぐことはなかった。

 そんな日に限って、俺は紫音の担当だった。

 今日はそんなに俺の手は神々しくないらしいんだが、いいのだろうか?

『今日は灯里様のオーラが、少し陰っていると思ったら、そういうことなのね』と、俺が近づくと、紫音が納得したように言った。

 どういうことだろうか?

『その日が来てしまったのでしょう?』と、言うと、紫音は『ここまで未来の『悲鳴』が聞こえていたわ』と付け加えた。

 もしかしたら、紫音は、未来が死ぬことを予期していたのだろうか?

 だったらなぜ、それを教えてくれなかったのだろうか?

『そうね、未来が死ぬ運命にあることには気づいていたわ』

 紫音は、たまに人の心を読むから俺が何も話さなくても、伝わってしまう。

『ねえ、笹岡、もし私が、それを教えたとして、笹岡には、翠先生を止められた?』

 紫音に言われて、俺は固まった。

 俺は、このまま翠先生が無茶ばかりしていたら、未来が危ないかもしれないと思っていたのに、翠先生も、未来も止めることができなかった。

『知らなくて止められなかったよりも、知っていて止められないほうがよほど後悔するわ』

 そして、紫音はこう続けた。

『笹岡がここに来た時には、既に運命の歯車は、未来が死ぬ方向に回っていたのよ』

 そう言うと、紫音は、俺から顔を背けて眠り始めた。


 紫音が眠り始めたし、紫音の朝の処置はすべて終了したので、俺は、隣の匠の処置に向かおうとした。

「笹岡さん、手が空いてたら、ちょっと手伝ってもらっていいですか?」

 奥から日比が俺を呼んだ。

 日比の担当は一番重症のベビーが入っているベッドだ。

 そう、未来の命と引き換えに、生まれてきたベビーのベッドだった。

『ママ!ママはどこ?』

 確か、母親は、この子が生まれた日に亡くなったと聞いた。

 いつもの紫音のノリだと、さらりと亡くなったと言ってしまいそうなものだが、まだ、このベビーには知らされていないようだ。

『ママ?ねえ、ママ!どこなの?』

 アラーム音が鳴り始めた。

 そして……。


『ママのいない世界にボクなんかいらない!』


 ベビーがそう言うとともに、『悲鳴』が聞こえ始めた。


『うわぁぁぁぁぁぁ!ボクなんか、ボクなんか、いらない!いらない!』

 生きたいと願う悲鳴よりも、いらない、と嘆く悲鳴のほうがずっと悲しいものだ。

 俺を押しのけて、小児科医が駆け込んできた。


『いらない!イラナイ!イラナイイラナイ!うわぁぁぁぁぁ!あぁぁぁぁぁぁぁ!』


『イラナイ!』という『悲鳴』が部屋中を埋め尽くしているようだった。


 悲しい『悲鳴』も、アラーム音も鳴りやまなかった。


 そして、そのまま、名もなきベビーは息を引き取った。


 翠先生が、未来の命を懸けて助けた命は、どちらも助からなかった。



『ねえ、紫音ちゃん』

 不意に健人が紫音に『声』をかけた。

『何かしら?』

『僕の時みたいに、ママが守護霊でいてくれるって言ったら、あの子、助かったんじゃないの?』

『あの子のママは、守護霊になっていなかったのよ』そう言うと、紫音は少し顔をしかめた。

『自分の息子も黄泉の国に連れて行こうとしていたのよ』と、紫音は付け加えると、『私、嘘はつけないのよ』と言った。

『それに、あの子はそういう運命だったのよ……』

『そっか、紫音ちゃんは運命が見えるけど、変えることが出来ないんだね』と、匠が言った。

『まあ、そうね』と、紫音が言うと、『じゃあ、大したことないじゃないか!』と佐藤ベビーが言った。

 佐藤ベビーは、先日入院してから、ずっと、アンチ紫音のようだ。

『そうなるわね』と言った紫音は、『本気出したら変えられるかもしれないけど、今の体でやると心臓が止まる気がするのよね』と、ボソッと言った。

 俺が担当の日に本気を出すのはやめておいてほしいものだ。


 その日の仕事を終えて、俺は少し沈んだ気持ちで帰路に着いた。

 未来の命と引き換えに、翠先生が助けた命は、どちらも助からなかったのだ。

 それなら何のために、未来は……。

 ぐるぐると、そんなことを考えていた。


 いつものように、灯里を迎えに行って、一緒に帰宅した。

 珍しく、翠先生が、早く帰ってきた。

「ママ!おかえり!」と、灯里が翠先生を迎えに行った。

 翠先生は、一人で食卓に着いた。

 すでに晩御飯を終えた灯里は、リビングで絵本を読んでいた。


「ねえ、明君」

 翠先生に呼ばれて、皿洗いがひと段落した俺は、翠先生の前に腰掛けた。


「私、クビになるかもしれない」

 俺が座った瞬間に、翠先生から衝撃の発言が飛び出した。

「なんで、翠先生が?ていうか、翠先生もいなくなったら、産婦人科ヤバいじゃないですか?」

「三ダメトリオの一人が、院長の息子なのよ」

 院長は、翠先生に、すべての責任を押し付けて、辞めさせる気らしい。

 翠先生の発言も、翠先生を慕うスタッフの発言ももみ消されたという。

 当時の状況を知る看護師たちも、軒並み自宅謹慎させられているらしい。

「もうね、辞めるの一択しか残されていない状況なのよ」

 翠先生はそう言って、俯いた。

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