危険な『想い』
ゴールデンウィークが始まった。
俺は、土日祝日は休みなので、毎日、家事をしたり、灯里と荘太を有希ちゃんのもとへ連れて行ったり、育休時代のような生活をしていた。
「有希ちゃんのところに、子供たちだけ置いていくのは申し訳ないから、何か手伝おうか?」と、有希ちゃんに聞くと、「大丈夫です」と笑顔で断られた。
手伝いができないとなると、俺じゃあ、英語は見てあげられないしな……。
と、思いつつ、灯里の教材くらいはわかるかもしれない、と、俺は灯里の課題を見た。
訳が分からない英語が並んでいて、思わず拒絶反応で俺は倒れた。
「明おじさん、倒れるほど英語が苦手なら、おうちに帰っててもらっていいですよ」と、倒れた俺にびっくりしている灯里を抱きしめながら荘太がどや顔で言った。
……荘太め!
有希ちゃんも要領をつかんでおり、最近では俺に料理を習うことも少なくなっていたので、子供たちを置いて、俺が買い物に行ったり、家で残っている家事をこなしたりすることはよくあった。
あのころと違うのは、翠先生がほぼ休みなく出勤しているということだ。
最近ではひどいときは、病院に泊まり込んでくる日まであった。
俺にできることは、翠先生がいつでもくつろげるように準備しておくことだけだった。
二日ほど病院に泊まり込んでいた翠先生は、帰宅すると、倒れるように眠った。
それから数時間後、寝室からガタガタと音がしたかと思うと、翠先生が寝室から駆け出してきた。
「翠先生、ご飯は?」
「ごめん、それどころじゃないの!三バカトリオがやらかしてるって電話がかかってきたから!私が行かなきゃ!」
『ママは私が助けるから!』
翠先生のお腹の中で、未来が言った。
翠先生にお弁当を届けに行こうかとも思ったが、有希ちゃんとの約束の時間になったので、俺は、荘太と灯里を迎えに行った。
灯里は、帰宅するなり家を見まわした。
翠先生がいるかもしれないと思ったようだが、翠先生がいないことに気づくと、荘太と遊んでいた。
夜になり、灯里は俺に寝かしつけられることを拒否して、荘太と一緒に眠っていた。
俺が一人で不貞腐れながら片づけをしていると、荘太がやってきた。
「笹岡、何か手伝うか?」
「大丈夫、あとこれだけで終わるから」と、俺は顔を上げた。
その時、つけっぱなしにしていたテレビの画面に見たことがあるような顔が映っていた。
その人が座っているところに「コメンテーター 船木氏」と書かれていた。
確か、船木って子が入院していた気がする。
「確か、この人、奥さんと子供が死んだのは病院のせいだって昔騒いでたな」と、荘太に言われて俺は思い出した。
そうだ。確か、ものすごく小さく生まれた子だった。
不意に俺は、思ったことを聞いた。
「何で、荘太は、あんなにいつも冷静なのに、超低出生体重児で生まれたんだ?」
単なる、素朴な疑問だった。
「そうだな、俺の本能も出るべきじゃないって感じてた。それでも俺は、ママを助けなきゃって思ったんだ」
その時、俺の脳裏に、『私がママを助けるから!』といつも未来が言っていたことがよぎった。
「あの時、俺は、あの場所から出たら、ママを助けることができるって、そう思って……笹岡?」
荘太が俺の顔を見て驚いた顔をした。
その時、俺には、『私、ママを助けたい!助ける!』という病院にいるはずの未来の『声』が聞こえていた。
「ダメだ、ダメだ、未来!」
「笹岡?」
次の瞬間……。
『いやぁぁぁぁぁぁっっっっっ!』
未来の『悲鳴』が聞こえ始めた。
いつの間にか出ていた涙をぬぐって俺は荘太に「すまん、灯里を頼む」と言うと出かけた。
俺が間に合ったら、もしかしたら未来の『悲鳴』は止むかもしれない。
『いやぁぁぁぁぁぁぁっっっ!死にたくないよ!死にたくないよ!ママ!パパ!』
間に合え!
間に合え!
『死にたくないよ!助けて!助けて!私、ママを助けたいのに!何で?何で?』
俺は病院へと急いだ。
『いやぁぁぁぁぁ!やだぁぁぁぁぁぁ!!死にたくない!死にたくない!』
未来、今、パパが助けるから!まだ死ぬな!
『ママ!パパ!大好きだよ…………ママ……助けてあげられなくて、ごめんね……』
未来の『悲鳴』が消えた。
俺がたどり着く前に、未来の命は尽きてしまった。
俺は、翠先生のもとへと向かった。
「明君、明君、どうしよう!未来が……未来が……!」
翠先生は泣いていた。
俺も、泣きながら、翠先生を抱きしめた。
俺たちの未来は、既に翠先生のお腹の中にはいなかった。
「俺がもっと早く、未来の危険に気づいてたら……」
「ううん、私が無茶ばっかしてたから……」
「あのぉ、こんなところでいちゃつかれると邪魔なんですけど」と、ふてぶてしい態度で、三人の医者が俺たちの脇を通って出ていった。
医者たちは、通りすがりに、「そういえば、さっきの妊婦さん、翠先生の到着が遅かったせいで亡くなったんですけど」と、さらにふてぶてしく言って去っていった。
患者さんが亡くなったというのに、あの態度はないだろう!
普段鈍いと言われる俺でも、あれが、三ダメトリオだなと気づいたほどのダメ人間っぽさがあふれていた。
俺には翠先生を抱きしめながら、奴らを睨むことしかできなかった。
未来ちゃんを、殺してしまいました……。
そんでもって大事なところで名前間違えてました……。