仕事納めの悲劇
気になる展開になるときは、まとめて投稿しよう作戦、その1です。
お久しぶりでここから読み始めた方、大正解です。
今日で仕事納めだというのに、朝からNICUには何だか不穏な空気が流れていた。
『纐纈だけでなく、高ちゃんまでいないなんて、今日私は何を楽しみに生きたらいいの?』
梛子の嘆きの内容から察するに、高林君が急に休みになったのだろう。
高林君は昨日は普通に元気そうだったのに、どうかしたのだろうか?
ちなみに、最近体調が良くなってきた梛子は、昨日ベッドの位置が移動して、大好きな愛斗とも、イケメン認定したとっしーとも離れてしまっている。
そして、高林君の急な休みに伴って、もう一つ問題が生じている。
「ちょっと堀江さん、これ何?」
「日比さん!何やってるの?」
「これ、誰がやったの?」
「笹岡君!どいて!」
イケメン不在のNICUでは、荒ぶる冴木主任に対して打つ手がないのだ。
『サエキのおばちゃん、うるさーい!』
今までとは違い、冴木主任の声がよく聞こえる位置に配置替えとなってしまった梛子の機嫌も悪化している。
『こんな日に、笹岡が担当なんて、最悪よ!』
俺も、これほど梛子を取り囲むコンディションが悪い日に、梛子の担当なんて……。
「ちょっと!笹岡君、ボーッとしてないで仕事しなさい!」
しかもこの位置は機嫌の悪い冴木主任からもよく見えてしまう。
明日から休みだというのに、何だか先が思いやられる一日の始まりだ。
『笹岡、早くおむつ変えてよ!あと、サエキのおばちゃんどかしてよ!全然安眠できないんでだけど!』
「ちょっと、笹岡君、そっちより先にこれやってって言ったでしょう?まったく、人の話を聞いているの?」
『サエキのおばちゃんうるさーい!私のおむつが何よりも優先よ!』
朝からずっと、冴木主任には何でか目をつけられて、ずっと文句を言われ、冴木主任の声がうるさくて眠れない梛子からも常に悪態をつかれていた。
梛子は、重症児のスペースから移動になったとはいえ、まだ、急変のリスクはあるから、気を付けるようにと、黒川から強めに言われていた。
おそらく、以前の急変の時のように、過度な興奮状態にならないようにする必要はあるので、なるべく梛子の『声』を優先したいところなのだが、梛子の『声』を優先すれば、冴木さんが俺にねちねち怒ってきて、冴木主任の声に反応して梛子の機嫌が悪くなるし、冴木主任の用事を優先すれば、冴木さんの機嫌は良いものの、梛子の機嫌は悪くなる。
どうあがいても梛子の機嫌が悪くなるうえに、だいたいずっと冴木主任がうるさいので、梛子の安眠が妨害されてしまうため、梛子のコンディションは最悪だ。
そんな調子で午前中をなんとか過ごしていると、「冴木さん、先に昼休憩に行ってください」と、黒川がやってきた。
もうそんな時間か、と、時計を見ると、確かにすでに12時を回っていた。
確かに腹が減ったな。
「あ、笹岡さんは今日は残りで」
「え?」
「まあ、行きたいなら行ってもかまいませんけど、代わりに私が残るんで」
そう言ったのは堀江だ。
そう言われて、俺は考えた。
これから一時間残っていれば、その時間は冴木主任がいない平和な時間だ。お腹はすくが。
今、昼休憩に行ってしまうと、戻ったらすぐさま、冴木主任と梛子の板挟みだ。
「堀江様、先に行ってください」
俺は、自分の腹の虫よりも心の安寧を取った。
冴木主任がいなくなると、ほどなくして梛子は眠りについた。
俺は、堀江が担当していたとっしーのところに様子を見に行った。
ついでに、とっしーの近くにいる、美来やきよしの様子も見る。
美来もきよしもぐっすり眠っている。
「美来ちゃんも、きよし君も今日は調子いいですよ」
俺が視に来たことに気づいてか、黒川が言った。
いつもなら、自分の担当以外のところに行くと、もれなく持ち場に戻るよう言われるのだが、今日の黒川は穏やかだ。
「今日はどうかしたのか?黒川?」と、思わず聞くと、「今日の午前中は大変だったと思うのでサービスです」と、きっぱりと言われた。
確かに午前中はずっと、冴木主任に目をつけられて、大変だった。
「いつもは、冴木さんせき止めるポジションは高林君なんですけど、急に休みだったもんだから、笹岡さんでは代わりにはならなかったけど、せき止める効果はあったみたいで助かりました」
どうやら、俺は、急遽高林君の代役で冴木主任の対応係になっていたようだ。
高林君は、いつもあんなに大変な思いをしていたんだな……。
『あれ?今日の担当笹岡じゃないでしょ?』
そんなとき、不意に美来が目を覚ました。
『闇のプリンセスよ!目覚めたのか?』
そして、何故だかわからないがとっしーも目覚めた。
まあ、そろそろミルクの時間だしな。
とっしーが、起きてすぐに泣きだす様子がなかったので、俺は一応梛子の様子を見に行った。
梛子は、あまりにぐずったので、先にミルクを飲ませていたためか、それとも、さっきまでの睡眠不足が原因なのか、爆睡だった。
『ミルク飲みたい!』
『ぼ……俺様にもミルク!』
『ボクも……』
美来がミルクを要求して泣きだすと、それにつられるように、とっしーもミルクを要求して泣き出した。
ついでにきよしもミルクを要求しているが、きよしはまだ挿管中なので、泣いても声は聞こえない。
できる女の黒川は、きよしの変化にもばっちり気づいていて、まず、きよしのミルクを胃管につなぎ、その後、美来にミルクを飲ませ始めた。
ついでに、「笹岡さん、としくんのミルクは堀江さんが準備してたので、そこにありますよ」と、俺にも指図するのを忘れない。
『ふはははは、闇の力がみなぎってくるぜ』
ミルクに、そんな効能があるのかわからないが、とっしーには闇の力がみなぎってきているようだ。
『なあ、闇のプリンセスもそう思うだろう?』
『え?別に?』
とっしーの隣のベッドでミルクを飲みながらの、美来の反応は冷ややかだ。
『ボクもよくわかんない……』
『きよしは黙ってろよ!』
『あ、なんか、ごめん』
『いちいち謝るのやめなさいよね!』
『え?なんか、ごめん』
ミルクを飲み終わったとっしーは、眠るかと思いきやまだごそついていた。
『とっしー、寝ないの?』
『きよしは黙ってろよ!』
『あ、ごめん、おやすみ』
きよしは、とっしーに謝ると、あっさりと寝た。
美来はこちらを向いていないので、起きているか寝ているかわからない。
梛子は相変わらず爆睡だ。
せめて冴木主任がいない今だけは、しっかり眠ってほしいものだ。
『フッフッフ、俺様の右目の魔眼がうずくぜ』
とっしーが不意に言った。
魔眼って、紫音の千里眼みたいなものだろうか?
そうしたら、魔眼を使うと、呼吸が止まりそうになったり、心臓が止まりそうになったりするのだろうか?
そう思って、恐る恐るモニターを見たが、とっしーは、呼吸も脈も正常だった。
魔眼はもしかすると、千里眼の、呼吸が止まらないすごいやつなのだろうか?
だが、とっしーが、何かを見たような『発言』は、ない。
とっしーを見てみると、なにやら左目に手をやっている。
あれ?魔眼は右目では?
もしかして、魔眼云々は置いといて、本当に目の調子が悪いのか?
調子が悪いのであれば、今日で仕事納めで、よほどの緊急時以外ではなかなか眼科の受診は難しくなってしまうので、今日中に眼科に診てもらった方がいいだろう。
「とし君、左目の調子が悪いのか?眼科に診てもらうか?」
『いや、全然、魔眼とかうずかないし、調子悪くないし!』
そう言ったとっしーは、左目から手をずらして、何事もなかったかのように装っていた。
『そ、そそ、それよりも、何だか、大いなる闇の気配がするような気がするぞ』
とっしーがそう言うが早いか、どこかから『悲鳴』が聞こえてきた。
この『悲鳴』、聞き覚えがある。
……これは、荘太の『悲鳴』?