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ラブロマンスは突然に……

「ママ、あのね!……」

 翠先生と手を繋いで上機嫌に歩く灯里あかり

 いつもならわずかばかりにでも手を繋いでおこうとしていたが、今日からはその必要はない。

 灯里と手を繋いでいないからと言って、呼吸を止めながら千里眼をするベビーはもう退院したのだから。

「明君、聞いてた?」

「え?あ、聞いてなかったです」

「今日から、灯里の保育園に新しいお友達が来るんだって」

「そうかぁ、仲良くできるといいな」

「うん!おすすめの絵本とか教えてもらうんだ!」

「あれ?灯里、前にママが買った絵本は?」

 そういえば、先月くらいに、翠先生が、絵本を棚買いしてたな。

「え?全部読んじゃったよ?」

 え?結構な量だったのに?

「お気に入りのご本は何回か読んでるけど、もう、一通り読んじゃった」

「そうなんだ!また今度買ってくるね!」

 翠先生が驚いた様子で言った。

「ところで、お気に入りのご本はどういうのなの?」

「えっとね……」

 灯里は恥ずかしそうに俯くと、翠先生にだけ耳打ちした。

「そうなんだぁ、灯里は女の子だなぁ!」

 翠先生は、その内容を俺に伝えることなく、嬉しそうに、灯里と笑いあっている。

 俺をよそに、二人が笑いあっていると、曲がり角のところで、誰かが駆け出してきて、灯里とぶつかった。

「痛!」

「灯里、大丈夫?」

 ぶつかった衝撃で倒れそうになった灯里をとっさに翠先生が抱きかかえた。

「痛ってぇな……」と、言いながら灯里にぶつかってきた男の子が立ち上がって灯里を見た瞬間、呆然としてその場に立ちすくんだ。

「おい、急に飛び出して来たら危ないだろ!」

 男の父親らしき男性が、飛び出してきた男の子ではなく、灯里に向かって怒り始めた。

「ぶつかってきたのはそっちでしょう?」

 言い返したのは、灯里ではなく、後ろから現れた沙綾さあやちゃんだった。

「沙綾はしっかりばっちり見ていたのだから!」

 自慢げにそういう沙綾ちゃんは、何故か指さしている手と反対の手にパンを持っていた。

「それにしても、曲がり角で運命の彼氏とごっつんこは沙綾がやりたかったのに!何で灯里がぶつかってるのよ!」

 そして、明後日の方向の怒りを灯里にぶつけてきた。

「え?沙綾ちゃん、意味わかんないよ?」

「だって、灯里は、もう、彼氏がいるんだから、運命の彼氏とごっつんこしなくてもいいじゃない!」

「え?彼氏?」

 灯里にぶつかってきた男の子が、呆然とした様子で、沙綾ちゃんに尋ねると、「そうよ!灯里には、荘ちゃんって言うイケメンの彼氏がいるんだからね!」と、沙綾ちゃんは自慢げに言った。

 そして、沙綾ちゃんは「イケメンだったら、沙綾の彼氏にしてあげようかと思ったけど、あなた、あんまりイケメンじゃないからこちらから願い下げだわ」と、男の子に言い放つと、悠々と保育園の門に向かっていった。

 一部始終をはらはらとしながら見守っていた保育園の先生が、沙綾ちゃんに苦笑いしながら、「沙綾ちゃん、パンは食べてから入ろうね」と言っていた。

 沙綾ちゃんに続いて灯里も保育園のほうへと歩いて行った。

「おい、宗助そうすけ、グズグズするな、行くぞ」

 灯里にぶつかってきた男の子の父親がそう言うと、宗助、と呼ばれた男の子は父親の前を通り過ぎて、母親と手を繋いだ。

「今日からお世話になります。青木です」

 翠先生は、男の子の両親の顔と名前にピンと来たのか、俺の方をチラチラと見た。

「翠先生、どうしたんですか?」

「ううん、何でもない」

 翠先生は、瞬間、うなだれたが、思い直したように顔を上げると、「さ、行こうか」と歩き出した。

 俺も翠先生について歩き始めた。

 歩き始めた俺たちの脇を一台の車が通っていった。

 さっきの青木さんの横顔が見えた。

「明君、育休に入る前のベビーちゃんたちは覚えてる?」

 走り去る車の方を見ていた翠先生は、俺のほうに向きなおって聞いた。

「……え?」

 育休前……。

 しばらく思案したのち、俺は「元輝とか……?」と、ポツリと言った。

「そっかぁ、そう言う感じかぁ」

 それを聞いた翠先生がそう言って一人で納得したころ、俺たちは駅に着いた。

 そして、翠先生はそれ以上俺に何も聞いてくることはなかった。


 俺たちが電車に乗った時に、一緒に乗ってきた女子高生たちが、俺の方をチラチラ見ながら「イケメンだよね」とキャッキャとはしゃいでいた。

 え?俺?イケメン?

 こみあげてくる笑いをかみしめながら、翠先生の方を見ると、翠先生はきょとんとした顔をした。

 え?翠先生、俺、イケメンって言われてるのに、良くも悪くも反応なしですか?と思っていると、翠先生の向こう側に背の高い男性がいるのが見えた。

「あ、笹岡、いたのか、おはよう」

 その声に、女子高生たちが「声もイケメン!」と、小声ではしゃぐのを見て、イケメンと言われていたのは俺ではなく、その向こう側にいた人物だったことを悟った。

「おはよう……ございます」

「あら!纐纈先生、おはようございます!」

 翠先生も背後の人物に気づいて挨拶した。

 電車で会った流れで、俺と翠先生は纐纈と一緒に歩いていた。

「そういえば、纐纈、昨日何か聞きたいことがあるとか何とか言ってなかったか?」

 不意に昨日のことを思い出した俺は、纐纈に話しかけた。

「明君!昨日のことは思い出せるのね!」と、俺の発言にすかさず翠先生が反応した。

 翠先生、俺、まだボケてないですよ!

「ああ、別に、大した用事じゃない」と、纐纈は冷たく言い放つと、「昨日生まれた子の様子が気になるので」と、先に歩いて行ってしまった。


『キャー!昨日のイケメンだわ!運命の出会いだわ!』

 NICUに到着した俺は、纐纈が様子を見に行ったベビーが誰なのか、すぐに想像がついた。

 そういえば、昨日翠先生のところに行ったときに、イケメン好きなベビーが生まれそうになってたな。

 ちなみに、纐纈は、梛子なこの運命の出会いではなく、ただの主治医だぞ。

「呼吸状態が落ち着かないか?」

 急にイケメンスイッチが入って落ち着かなくなった梛子の挿管の具合を見ようと、纐纈が梛子の顎を持ち上げた。

『キャー!!顎クイよー!』

 梛子の別のスイッチが入った音がした。

『梛子ちゃん、アゴクイって何?』

 梛子の隣のベッドの愛斗まなとが聞いた。

『顎クイってのはね、顎をくいっとするキュンキュンすることを言うのよ!』

『ごめん、全然わかんない……』

『愛斗はイケメンだから許すわ!』

 伝わっていなくても、イケメンなら許すらしい。

『梛子ちゃん、ボクもアゴクイよくわかんない』

 そこに割って入ってきたのは、俺の息子のきよしだ。

「明君、お弁当もらうの忘れてた!」

 そして、もちろん、翠先生も一緒だ。

『はぁ?きよしは察しなさいよ!ブサメンなんだから!』

 そんなきよしは生まれてもいないのにブサメンと決めつけられているし、理不尽に怒られていた。

『あ、なんかごめん』

 そして、何故かあやまっている。

『きよしくん、この前紫音ちゃんにもごめんしてたね』

 そんなきよしの『声』を聞いた愛斗が爽やかに言った。

『うん、何か、オーラが弱いって怒られた』

 何か、つまらない言いがかりつけられて怒られてる!

『きよし!私と愛斗くんとの『おしゃべり』の時間を邪魔しないでよ!』

 そして、またしても怒られたきよしは『ごめん』と、梛子ちゃんに謝っていて。

『きよしくん、頼りがいないね』

『きよしくんは、ないわぁ』

 NICUの女児たちから総スカンだった。

 俺の息子に、ロマンスが訪れる日は来るのだろうかと心配になった瞬間だった。 

 題名がアレな割に、誰にもロマンスが起こらないというまさかの展開。

 しばらくの間、カタツムリもびっくりペースになりそうです。

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