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命の期限

 愛斗まなとの母親は、毎日足繁くNICUに通い詰めている。

 愛斗は、生まれてすぐに、いや、いっそ、母親の胎内で亡くなっていてもおかしくない状態だったのだ。

 今生きていることそのものが奇跡のようなものだ。

 一瞬一瞬を大切にしたい母親の気持ちは痛いほどわかる。

 今日の愛斗の担当の黒川が、愛斗の母親に話しかけた。

「そういえば、この前の、牧野先生のお話ってどうなったんですか?何か、新しいお話とかはあったんですか?」

 確かに、牧野先生は小児新生児の医者だから、新しい治療法などについての話があってもいいかもしれない。

「うーん……」と、愛斗の母親は首を傾げた。

「難しいお話だったんですか?」

「それが、わざわざNICUじゃない場所で話した割には大した内容じゃなくて、よっぽど黒川さんとかから聞くお話のほうがためになったくらいで……」

 愛斗の母親は、歯切れが悪そうだ。

『邪な心をもって愛斗のママに接するからダメなのよ』と、俺の腕に抱かれながら紫音が言った。

 邪な心?

『まあ、笹岡にはわからないと思うわ』

 そう言うと、紫音は俺から顔をそむけた。

『ボクもよくわかんない……』と、紫音の視線の先で、愛斗も寂し気な『声』を出した。

『愛斗は、そのままの愛斗で笑っているのが一番いいわ』

『そっかぁ、ボクはボクのままでいいんだね、あ、ママが嬉しいになった!』

 愛斗が微笑むと、愛斗の母親が微笑み、愛斗の笑顔がより輝いた。

 その様子を見ていた黒川も、いつになく優しい笑顔になっている。

 この幸せな時間がいつまでも続いたらいいと思った。


 だが、愛斗に巣くう病魔が、それを許してくれなかった。


 愛斗が急変したのは、その日の昼過ぎだった。

『うわぁぁぁぁぁぁぁ!イヤだイヤだイヤだ!あぁぁぁあぁぁぁ!』

 悲痛な『悲鳴』を上げているのは、愛斗だった。

 医師たちが、必死で心肺蘇生をしている。

『死にたくないよ!死にたくないよ!』

 愛斗の『悲鳴』が俺の心の中に響く中、インターホンの音がした。

 朝にも来ていた母親が、必死の形相で愛斗に駆け寄った。

 父親も、スーツ姿のままで走ってきた。

「愛斗!愛斗!頑張って!ねえ!愛斗!」

『ママ!ママ!ボク、死にたくないよ!死にたくないよ!』

 母親の声は愛斗には届いていないが、母親が来た気配は感じたらしく、愛斗は『悲鳴』を上げながら母親を呼んだ。

「愛斗!お願いだから、死ぬな!」

 母親に比べたら、あまり、お見舞いにこれていない父親は、「もっと愛斗と過ごしたい」と、涙した。

『パパ!パパ!ボク、パパと一緒にいたい!死にたくない!』

 愛斗も、そんな父親の気持ちにも気づいているだろう。

 それでも、『悲鳴』は収まらない。


 必死の心肺蘇生は続いている。

 愛斗の両親は、愛斗と少しでも長くいられるよう、急変時はあらゆる手を尽くしてほしいと言っていた。

 休むことなく心臓マッサージが続き、時折、電気ショックもされている。

 愛斗につながっている点滴からは、心臓を動かすための薬も入っている。

『うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!死にたくないよ!死にたくないよ!イヤだイヤだ!・・・・・・・』

 それでも、愛斗の『悲鳴』は止まない。


 やがて、心肺蘇生をしている医師の中から、纐纈が、若手の医師に蘇生を任せて、出てきた。

『死にたくないよ!死にたくないよ!うわぁぁぁぁぁぁぁ!』

 愛斗の『悲鳴』はおさまっていない。

 両親が、どれほど命を繋いでほしいと願っても、助かる見込みがないと医師が判断すると、再度、両親の意思を確認することがある。

『声』が聞こえない医師には、愛斗の『生きたい』という『想い』は伝わっていない。

 だから、両親に、心肺蘇生の手を止めていいかの判断を委ねるのだ。


『死にたくないよ!いきたいよ!パパ!ママ!』

 愛斗は、『生きたい』と『悲鳴』を上げている。

 それでも、その『声』は両親には届いていない。

 目の前では、心臓マッサージを受けているわが子がいて、けたたましいアラーム音が鳴り続けている。

 纐纈は、愛斗の両親に愛斗の病状と、そして、助かる見込みは少ないという説明をした。


 ここで両親が首を縦に振れば、心肺蘇生の手は止まる。

 そうしたら、愛斗『生きたい』という『願い』は、二度と叶わなくなる。

 纐纈の話を聞き、まず、愛斗の母親が泣き崩れた。

 愛斗の父親は、泣き崩れた奥さんを支えながら、愛斗のほうを見た。

 父親の目の前で、愛斗は電気ショックをされた。

 それでも、アラーム音は、鳴りやまない。

 すぐに医師たちが心臓マッサージを再開した。


『死にたくないよ!死にたくないよ!パパ!ママ!』

 もしも、この時愛斗の父親に『声』が聞こえていたならば、結果は違ったかもしれない。

 だが、愛斗の父親には『声』は聞こえず、目の前の愛斗の命の灯が消えそうであることだけが、誰の目にも明らかだった。

 愛斗の父親は、あふれ出た涙を無ぐうと、奥さんを抱きしめて、そして、纐纈をまっすぐ見た。

「これ以上、愛斗が苦しむのを見ていられないので、もう、いいです」

 その言葉は、心肺蘇生を中断することを意味していた。


 蘇生の手が止まった。


『死にたくないよ!死にたくないよ!ねえ!パパ!ママ!』

 この『悲鳴』も、アラーム音もやがて静かになってしまう。


 誰もが愛斗の死を覚悟した。


 その時だった。


『あら、昼寝しているうちに、何だか大変なことになっているわね』


 不意に目覚めたのは、紫音だった。

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