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心の傷

『何か今日は面白いことがおきそうね!』

 朝からなぜか紫音がご機嫌だ。

『ちょっと、千里眼を使ってみようかしら?』

 ヤバい!最近紫音の調子がよくなってきたと、黒川が機嫌よく言っていたのに、俺が担当の日に呼吸状態が悪くなったら、絶対俺がどやされる!

 俺が首を横に振ると『そう、つまらないわね』と、紫音は不機嫌になった。

 その時、今日の昼に講堂で、病院長の重要な話があると院内放送が入った。

『仕方ないわね、笹岡、アレ、行ってきてよ。それで、私に報告して頂戴』

 俺はうなずいた。

『僕はおむつ変えて!』

 なぜかついでに匠にもこき使われた。


 昼になって、講堂に行くと、入り口のところで、翠先生と鉢合わせた。

「あ、明君、珍しいね、こういうのに来るの」と、翠先生は笑った。

「いや、はい、そうですね」

 まさか、ベビーのお使いできたとは言えずに、俺は、あいまいに返事をした。

 俺たちが席について数分後に、入ってきたのは、昨日話した院長とは別の人物だった。

 あの人だれだ?

 首をかしげる俺に、「副院長だよ」と、翠先生が耳打ちしてくれた。

 病院長からの重要なお話と言っていたはずなのに、なんで副院長が出てきたのだろうか?

 にわかに、会場がどよめき始めた。

 副院長が咳ばらいをすると、会場係らしい男性が「静かに」とアナウンスした。

「皆さん、お忙しい中お集まりいただきありがとうございます」

 そのまま、副院長が話し始めた。

「本日より院長代理の……」

 ん?院長代理?

 どうやら副院長が院長の代理として会見を行っているようだ。

 おそらく聴講に来ている全員が、なぜ副院長が院長代理になっているのかと考えていたと思うが、副院長の声があまり通らないので、皆声を潜めて副院長もとい院長代理の話に集中していた。


 院長代理は、手術中の重大なミスのせいで、帝王切開術後に母子ともに亡くなってしまった一件について、判断を誤った上に隠ぺいをしたとして、三人の医師が責任を取って辞職し、医師免許はく奪になったと伝えた。

 まあ、この内容は院長が伝えるにはかなり酷な内容だから、院長の代わりに副院長が会見したのか。

 だが、それだけで副院長の話は終わらなかった。

 院長が、事件の隠ぺいに関与し、なおかつ、自分の息子を有利な立場にさせるために、一部の診療科で不適切な人事異動を行ったことにも話が及んだ。

 院長は昨日付で辞職し、副院長が、院長選挙が終了するまでの間、院長代理を務めると話した。

「副院長、前回の院長選挙の時に、僕は臨床がやりたいからみんな票を入れないでくれって、頼み込んでたのに、可愛そうに……」と、翠先生が呟いた。


『一件落着したわね』

 俺が会見の内容を言う間もなく、紫音が言った。

 紫音を抱っこしながら黒川が不機嫌に言った。

「紫音ちゃん、さっきから、呼吸状態が落ち着かないんで、気を付けてくださいね」

『しーちゃん、また、せんりがんしてたよ!』

 紫音の隣のベッドの匠が言った。

 紫音が千里眼使わないために俺がわざわざ院長ではなく院長代理の話を聞きに行ったのに!


 それからは、幸いなことに、紫音が千里眼を使うことはなかったため、俺は責められることなく、一日を終えた。

 病院の玄関に向かって歩いていると、「明君!」と明るい声が聞こえた。

 翠先生だ。

「翠先生、こんなに早いの久しぶりじゃないですか?」

「三バカトリオ人事のせいで移動になってた先生たちが戻ってきてね、平和になったのよ!」

 新人の先生たちも、三バカトリオに染まることなく、まともに成長してくれていたしね、と先生は明るく言った。

「それはよかった!」

 そして、翠先生と俺は笑いあった。

 そう、翠先生がクビにされそうになった一件も、翠先生が、一人で大変だった状況も、解決したのだ。


 電車が駅に着くと、翠先生は両ほほをぱんっと叩いた。

「初めて灯里を迎えに行くんだからシャキッとしなきゃね!」

 笑顔を作った翠先生とともに、灯里を迎えに行った。

 灯里は、始めての翠先生のお迎えが嬉しかったのか、翠先生に飛びついた。


 帰宅すると、俺は晩御飯の準備を始めた。

 灯里は、久しぶりに早い時間からいる翠先生と一緒に遊んでいる。

「ママ、今日は未来ちゃん元気?」

 その何気ない一言は、翠先生には酷だった。

「ごめんね、灯里、もう、未来ちゃんいないの」

 翠先生は涙を流し始めた。


 翠先生と未来を追い詰めた三バカトリオはクビになった。

 翠先生と未来を追い詰める原因を作った院長もクビになった。


 それでも、未来はもう、この世にいない。

 それでも、未来はもう、戻ってこない。


 ずっと、笑顔を作って耐えてきた翠先生の目からは涙があふれ続けていた。

「ママが無茶ばかりしてたから、未来ちゃん、いなくなっちゃった」

「パパが、ママを守ってあげられなかったから……」

 俺の目からも涙があふれていた。


 不意に優しい感触が頭をなでた。

「ママ、痛いの痛いの飛んでけ!パパ、痛いの痛いの飛んでけ!」

 灯里が翠先生と俺の頭をなでながら、言った。

「痛いの痛いの飛んでいけ!飛んでいけ!」

 灯里の目からも涙が溢れてきた。

「何で、何で飛んでいかないの?ママもパパもずっとえーんえーんって泣いてるの?」

 灯里はそれでもなお、翠先生の頭をなでて、俺の頭をなでた。

「痛いの痛いのとんでいけ!ママからも、パパからも、飛んでいけ!」

 翠先生が、灯里を抱きしめた。

「灯里、もう、痛いの飛んでったよ、ありがとう!」


 灯里の優しさが、翠先生と、俺を悲しみの淵から救い出してくれた。

「パパも……!」

「パパ、ガスつけっぱなし!」

「あ!」


 俺も、灯里にハグしようとしたが、作りかけの晩御飯に阻まれた。

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