もはやミチはなく
ワタシたちに自由はない。むしろ、自由がないことを望んでいるのかもしれない。なぜならば、不自由とは言い換えれば、他者に責任を押し付けることが可能であるからだ。自由であるということは、誰もその選択の正しさ保障してくれないのだ。つまり、自由な世界とは、誰も責任をとってはくれない。徹底した自己責任の世界である。
そう思いながら、家の窓から紅く、三日月型に歪んだ口を見る。空は黄色く歪み、家並みの光景は青色になっている。
世界が色で押しつぶされているのを、ワタシはただ眺めていることしかできないのだ。
ようするに、ワタシは傍観者である。
なぜならば、世界が元どおりになる可能性があるかもしれないことに縋ってしまったからだ。だからこそ、皆があちら側へと移っていった時も、一人でこの世界の中にいる。別に一人でも寂しくはないや。だって、あちら側の様子を私は鏡の中から見ることができるのだから。
「もしも、願い事が叶うのであれば……になってくれますように」
真っ暗闇の世界の中で、赤銅色の眼球がニタニタと笑い、歪んだ大地の悲鳴がゲラゲラと私を殴り続ける。
“おまえさま”はいつだって、鏡の内から私をげたげたと笑い飛ばしてくれる。だからこそ、この城で、私はこの楽園を見捨てて、破滅の道へとひたすらに走り続ける無知で愚かしい批判者たちを嘲り笑い、蔑み、そして自業自得の結末を辿る様を哄笑するのだ。
「ああ、なんと、落ちたのか。堕ちたおまえらよりも、ここにいる私の方が偉いんだ。立派なんだ。貴様らは、仮初の自由でも満喫して、死神に魂ごと掴まれてしまえばいいのだ。いいぜ、いいぜ。さんざ、私を嘲り笑ってきたアイツらが、じわりじわりと弱り果てて、山へと埋められる様を見るのは、なんと爽快な気分であることか」
嘘をまだ吐く。独りぼっちの王様のお話を書いたワタシが、奇しくも同じ結末を辿るとはなんとも因果応報であることか。
<第三章>『ギセイにしたのは』
「本心だけでも犠牲にしていれば、幸せでいれますよね」
「……それで、キミがいいなら、何もワタシは気にしないことにするけれども、それでも……ワタシをボクは幸せにさせたかった」
「傲慢ですね」
駅の待合室で、偶然出会った高校の部活を共にした“おまえさま“に、ついつい弱音を吐いてしまう。もう名前を言ってあげられることも出来なくなってしまった。それでも、お礼を言いたかったのだ。いえなかったけれども。本当は伝えたかったんだ。今まで、ありがとうと。
「ええ、お前が弱い人間であることは、みんな知っていましたよ」
「孤独の毒が、押し寄せてきてしまうんだ。蠱毒の毒が身体を蝕む、蝕み、噛み砕き、ぐちゃぐちゃになって壊れちゃいそうになるんだ」
ボクは、独り言のようにブツブツと弱音を吐いてしまう。
だって、しょうがないじゃないか。見えたんだ。見えてしまったんだ。蔑みの視線が、誰かに引かれる苦しみがフラッシュバックするんだ。自分を誤魔化して行かなくてはやっていけないんだよ!
そんな中、鏡が割れた。世界と世界とを分け隔てていた鏡が割れてしまったのだ。喩えるならば、未知のない世界と道のない世界との境界線が無くなって、ミチのなくなった世界であるかのようだわ。
変わりゆく彼ら、彼女らの姿が羨ましすぎて、ついつい、妬みが溢れ出てしまう。その妬みがこんな浅ましい世界に綴じ込められる一つの要因となることに私は気付かなかったけれども。
みんな、自分の夢や願いを叶えようと努力しているのに、自分だけは……もちろん、この大学を選んだことに後悔はしていない。
この混沌へと堕ちていく世界で、唯一無二の夢を諦め切れるほど、自分は弱い人間ではない。自分は強い人間ではないが、決して弱くはないはずなのに……未来が怖い、恐い、壊れてしまいそうだ。少しでも手を伸ばしたら、気まぐれな幸運の女神が手のひらを返して、嘲笑う姿が目に見えるようで、怯えて何も言えなくなってしまう。
「最近どうですか?部長?」
「もう部長ではないんだけどね、まあ、キミに話すようなことは何もないさ」
「ええ、じゃあ、自分はまあ、pixiv活動にトドメをさすべきなのでしょうよ。人間は天秤にのっ掛かるものを二つ両方は掴みとれないんです。もしも、掴み取ってしまえば、手のひらからこぼれ落ちてしまいそうです。まるでおむすびころりんのように、どこかの深淵へと消えて無くなってしまうことでしょう。でも!やめられないのです!裏設定がまだ伝えきれていないのです!もっと、思いを、感情をぶつけたいんです!ここだけなんです!本心をぶちまけても、笑って許される楽園は……他は言いたくても、無言の常識という匣の中では、声を出すことを許してはくれないんです。さて、ボクはいくとしよう。また、文化祭で会いましょうか?」
「じゃあね」
そう部長が、優しげに言う。そんな優しい声が、あの言い争って、一つの話を磨き上げて作り上げていく風景がここではみられない。やはりこの世界と、元の世界との違いなのだろう。きっと、この世界の自分は未知の無くなった世界のワタシなのだろう。だからこそ、骨付だけでなく、肉付けまでも欠けている部分がないのだろうよ。つまらないワタシであることだ。欠点あってこその人間であろうよ。それを、欠点をいるはずもないもう一人の自分に押し付けた末路がこうでは、オボロもあのお方も浮かばれまい。
『いいや、違う、元いた世界とこの世界との最大の違いは、自分にももうわからない。わからないんだけれども、違う!ここは自分の居場所があった場所ではない!ないんだ!』
誰にも気づいてもらえないもどかしさと、心の奥底に閉じ込めた“青”は、見て見ぬ振りして蓋を閉ざす。
「添削をお願いしたかったなあ」
弱音や本音は、いらない。いらない、いらない、不必要だ。
いい子にならなくちゃ、強い子でいなくちゃ、自分を自分で肯定して生きていたいだけなのに。
臆病で弱者な自分は、スマホを開いて、とあるアプリを開く。本来の世界にはなかったアプリ。通称、添削くん(小説家に◯◯◯◯補助アプリ)といい、豊富なインターネットベースから辞書が自動的に収納されており、拙い自分の説明で、それを伝えるというのならば……高校時代、一番欲しかったものである。そう、部誌の作品を図書館のコンピュータに打ち込んで印刷して、添削してくださるお方が手持ち無沙汰になるまで待たないといけない。自分が添削することができるようになればいいじゃないかと周りの人は言うかもしれない。しかしながら、得てして創作というのは、一度他者の目を通して見てもらわないと、ダメな部分というものはわからない。傍目八目というように、自分の欠点や、最善策とやらは主観ではわかりにくくなるものである!
だから、人は感想を求めて、他者からの評価に縋って、感想に一喜一憂するのだろう。ほかの人が違うのだとしても、自分がそうであるのだから、自分はその意見を取るべきだ。
それでも、自分は怯えてしまう。この鏡の中の世界にいる自分ではない存在に、自分が乗っ取られていく。それは恐怖としか言いようがない。なぜ、人が都市伝説やホラー番組などを平気で見られているのかと、自分は甚だ疑問である。なぜ、自分がこうなるかもしれないと考えることができないのか?なんで、そんな幸せを享受していやがるのに、不安や不幸を語って同情して欲しいのか。そうなのだろう。ああ、自分はそういう人間なのかもしれない。なんと滑稽で、なんと醜く、生きていることを許されなくとも仕方がなかったのかもなあ。
喩えるならば、皆が真昼の中で暮らしている中に、太陽の光も届くはずもない昏い谷底のさらに地下にある秘密基地に籠城している。それを続けているが、いよいよ必要物資を買いに行かなくなってしまった時に感じる気の迷いに似ている。初めて太陽の光を浴びて、ハイになってしまうのだ。ああ、今ならば、わかるとも。人でなしに成り果てたわたしならば。
自分は人間ではないのかもしれない。人間だと思い込んでいる哀れなピエロではないのだろうか。生きているだけで息がつまるような閉塞感がワタシを包み込んでいる。これは真綿で首を絞められているような閉塞感であるだろう。
そんな本音は、リュックサックの中の奥の方に詰め込んで、周りからは変人である自分を今日も天然に装って演じよう。
「……ああ、辛いな。でも、精神科には相談なんかしなくていいか?だって、平気だし」
平気だ、自分はイジメられていようが、からかわれていようが、平気だと思える強い人間だ。賢い人間だ。天然でクソ真面目。それが私。人によしとされるワタシ。そうだ、自分は凡人だ、平凡だ。天才なんかじゃない、辛いと思うのは向上心と才能がある証なのだ。つまり、自分には向上心と才能があるのではないか?
自分の矛盾した黒いモヤモヤに、白いぐちゃぐちゃ。言葉では到底言い表すことができないような不思議な感情が心の中で暴れ回っている。
伝えたい思いは言葉にならずに、伝えたい心の動きは、言葉が足らない。
不可思議で、ぐちゃぐちゃした感情を無視するかのように、やってきた血塗れの黒みがかった青紫色の電車に切符を財布の中に入れて意気揚々と乗り込む。帰りの道とは反対側にわざと乗ったのだ。決して考え事をしていて、いつも乗っていた電車に乗ってみたら、家とは正反対の方向に向かっていたということではない。そう、道草こそが重要なのだから……
いつからだろうか?目に見える景色に違和感を感じたのは?
「本心だけ犠牲にしていればいいじゃないですか?ってあなたは言いますが、本心を犠牲にしてしまったら、あなたに一体何が残るのでしょうかね?」
見知らぬ女が、嘲笑うかのような醜い顔で、蒼色の血でまみれた赤色が僅かばかりに残るノートを手に抱えながら、言ってくる。
ああ、今になって考えてみると、あの女は小学四年生の時にエキス扱いしてきた女ではないか。わたしは、ついに気付くことに成功したのだ。誰も気づかない記憶の中で、歪められて三人のわたしがいる世界で、この記憶はわたしのものだと気づけたのだ。
それがもう、腹立たしくて、悔しくて、否定できない自分が一番嫌なんだ。アイツが怖い。軽薄で薄っぺらな自分なんかを見透かしているんだよという哀れみの視線が。結束して自分一人を壊そうとしてくるあの習性が。怖い、ああ、この恐怖はわたしが最も忌み嫌う犬よりも怖い。
なぜ犬が怖いのか?アイツらと同じように自分を傷つけてくる存在だからだ。誰が好き好んで、自己を傷つけてくる存在を愛せるのか?無理だ、そこに抱く感情は嫌悪ではなく恐怖。
この世界はどうも誰かを集団で殴りつける快楽に溺れているようだ。いいや、違うな。封じ込めていた残虐性が、嗜虐志向が解き放たれただけなのだ。誰かを傷つけて、自分が誰かよりも上でありたい。見下してきたから、見下されたくはない。なんと傲慢で自己中心的な考えであることか。これでは、かの第二次世界大戦前の白人中心主義ではないか。いや、一概にそうとは言えないかもしれないのだが、いかんせん、ワタシはミチである。講和の道が、ハルノートによって閉ざされた世界から孤立させられた日本。すなわち、ワタシのいた世界が道のない世界であるらしい。他のわたしに聞いたところ、日本が完全なる悪者で、愛国心を嘲り笑うのが当然な世界であるらしい。ワタシのいた世界では、世界から孤立させられて、孤軍奮闘の結果、白人たちの支配を開放した。ワタシのいた世界は、自分で道を選べなかった。自衛のために強いられ続けた。つまり、決定的な破滅を避ける道を選ぶために他の道を選べなくなっているのが我が国であった。
よし、ここでワタシたちをまとめてみよう。
ワタシは道のない世界。私、あるいは自分は未知の無くなった世界。わたしは道があった世界、未知のあった世界の住人だったのだろう。だからこそ、こんなにも大きくなったのか。
さて、このどこへいくかもわからない悩みを、自分にしか見えない仮面で押さえ付けて、抑えつける。
本音をダダ漏れにする人間なんて愛されない。愛されないよりかは愛されたい。誰かに尽くされるよりかは誰かに尽くして、ああ、そんな奴がいたなって覚えていて欲しかった。でも、やはり、犠牲にするのは本音だけでいいかもね。
そんな自己否定と自己肯定を繰り返していると、乗り換え駅に着いたらしい。乗り換えの電車を待っていると、いきなり霧が深くなってくる?!霧なんてないはずなのに、霧があることを、誰かおかしいと思えよ。こんな急展開、誰も望んでいないだろ!
ああ、霧の中から、元の世界に残した約束の言葉が!
「先輩、一緒にクトゥルフやりますか?」
「うん、やるに決まっているじゃんか!」
そんな夢が、電車に轢かれて通り過ぎていく。
電車に落ちたら、きっと元の世界に戻れたはずなのに、なぜ落ちることができないんだ。
でも、霧が晴れたら、何かが変わる気がして、目の前も見えない無明の世界で、前へ突き進む。
「ようやく、帰ってきたんですね」
「もう手遅れですけれども……でも、あなたは罪を背負ってください…全てはあなたのせいなのです。あなたはこれから死ぬことを許しません。だって、あなたは生きている死者なのですから」
「誰かに存在が否定される終末の夜まで、努力してみてください」
そう、誰かの声が聞こえたような気がした。
ああ、この続きを……
<第二章:アイの亡霊>
世界がアイを失ったあの日。世界から藍色が消えた、だから、あの美しい午後五時半ごろの学校帰りの雲の美しさも半減してしまっていた。いや、アイを感じることもないのだから、このスッポリと穴の空いた感情を自らの意思で手放したアイへの感傷へと責任を転嫁するのは、どうしたものか?悪いことなのだろうか、罰せられるべき行為なのだろうか。
わからないことばかりが増えていき、知りたくなって、あの頃の資料を様々なツテを使い集めてはもらっているが、どうにも誰も悪くは無いように思えてしまう。そもそも、善か悪かで決めようとしているのが、おかしな話なのだろう。おかしな話にさせておいて欲しかった。
私がたしかにそこにあることを望んでいて、自分がそこにいることを誰かに見ていて欲しくて、だから頓珍漢な行動をとって、変人へと堕ちるところまで堕ちた。それなのに、結果は無残で、自分はどこにもいないようだ。
個人の存在が希薄になって、透明人間で構成された社会とやらは、とんだふざけたものである。
全く、そう言って……そう言おうとして……思わず、言葉を失う。後に次ぐはずの言葉を見失い、狂ってはいないように見せなければならなかった。
「お屋形様、どうかご指示を!ここより先は、我らも知らぬ未開地でありますが故に」
「そうか。では、気楽に行こうや。そろそろ、水源地までも、近づいているように思えてくる。ならば、さっさと水分補給し終えたならば、きさらぎへ行こう。誰も彼も認めてはくれなかった。存在を否定されてきた負け犬たちが、傷を舐め合うと言ってしまえば終わりかもしれんがね」
「いえ、こここそが失ったアイの亡霊が棲まう場所。切り捨てられたアイの化身たるあなた様が、神の憑代たらんあなた様を守り抜くための理想郷でございます。切り捨てていきおったあやつらが、己が仕出かした過ちに気づこうとももう遅いのでございます!我らの寛容はついに消えました。非日常は肯定されて、幻想は日常を侵食する。常識は非常識へと転換されて、慣習は唾棄される。アイの注ぎ口は喪い、アイはもはや消え失せた。それでも、もしも、お屋形様がまだあの敗者たちに手を差し伸べるのであれば、我らはまだ引き返せますが?」
その時、ああすればよかったな。などと言うことは枚挙にいとまがないそうだが、私の場合がこの時の決断だったのかもしれない。未来を知った今だからこそ言える君へのアイなのだ。だから、この選択に悔いはない……といえば、途端に嘘になる。この八つの戒めを破ったならば、もしも、IFに意味はない……ないのにね……つい、漏らしたくなった思いが、ここにはあった。そのせいで、私はいつだって……後悔という病状をかかえて、責任という重しを両肩に載っけて歩いているのだろう。ああ、辛いな。
「私は引き返さないさ。だいたい、キミたちを守り抜くと決めたのは私なのだから。死ぬわけにはいかないのさ。世界から、捨てられて、そもそも帰る場所などは無いんだ。無いんだ。無いからさ。無い、どこにもいない」
否定した。嘘をつけないこの口を、どれほど憎もうとも、これで自分が許されるわけでもないし、幸せを享受して生きる生き方を選べるわけでもない。
許しが欲しかった。赦しが欲しかった。赦してもらいたかったのだ。帰して欲しかったのだ。いつまでも繰り返される惨劇の記憶の継承の後には、私のヤワなココロなど壊れてしまっていたのだろう。
ああ、空には雲ひとつない。なのに、白黒写真の白色だけ。物足りない気分を紛らわせるかのように、舌打ちをひとつうち、早足になる。偉大なる樹林を抜けきり、闇に覆われた世界から光を求めて生きている。闇に包まれた世界から光をもたらした存在を憎んでいる私が生まれている。
その樹林から漏れ聞こえてくる祭囃子、気分を激しく高めようとするそのアップテンポな曲も、この心では空虚な曲だと感じてしまう。このままでは、自分だけがいなくなってしまうのではないかという危機感のもと、急いで樹林から抜けた先は…………何もなかった。神殿の柱もなく、何もない。例えるならば、“白”だった。しろとしか言いようのない風景に、思わず吐き気に襲われて、全力で胃の中からこみ上げてくるものを出し尽くす。
激しい疲労感の中で、倒れて、上空を見上げる。空はただ藍色だった。なぜと疑問符を浮かべていると、気まぐれなカミサマが言ってきた。そうか、いつもの気まぐれで、私の運命は操り人形も同然であったか。だけれども、この藍色の空があまりにも優しすぎるから、少しだけこの藍色に浸らせてほしい。
浸れ!浸らなくては生きていけない、この残酷な世界から……優しいアメを見ていたい。甘ったるしいアメに濡れて、吐いてしまいそうになるほど、甘ったるしいアメを舐めて、どうしようもない程に切り捨てがたい過去に雨ざらしになっているようだ。ああ、壊れたくない。ああ、救われていたい。ああ、誰からも愛されたい。
自分の中にある自分とやらが、良心でしかないと言われているのがわからない。これはただの恐怖からくる虚勢だと誰も気づいてはくれやしない。
ひと夜が過ぎて、世界は一気に色彩を増やした。
このきさらぎに根を張り、きさらぎに骨を埋める覚悟は定まった。だから、もう外への未練を断ち切るために、外へと出る入り口に、葬いの火を焚く。火はごうごうと燃え上がり、死者の魂は灰へと消えた。
そう、これで私の完全勝利だ。契約者よ!今より始めるは報復なり。今から終わらせるは、みっともなく生き永らえようとする愚者達なり。そうだ、私たちはあの日死んだのだ。あの日、あるものは海底へと沈み、あるものは地底へと落ちて、またあるものは、忠義の末に、死を選んだ。誰一人として、この街で楽に骨を埋めて逝けたものはいなかった。
だから、あの日言ったのだ。ようやく、キミはアイから解放されたのだと。アイの化身であっては救えないから、キミを凡人へと落とした。
幸せだというあの日のキミの笑顔を取り戻すためにならば、偽物の神様だって、真のカミサマ気取りで、この世界に喧嘩を売ってやるさ。私は、アイの亡霊。大切な人一人も守れやしなかった愚かな旧世界の神である。さあ、どうしたよ。キミ。キミのために、こんなに頑張ったんだ。きさらぎの次の主人も、無事に見つかった。あとは、ここを去るだけなんだけどね。申し訳ないことに、ここは此岸と彼岸の境界線なんだ。つまりさ、何が言いたいかというとだね、海底へと沈んだお姫様を迎えに行かないと……もう霊体なんだ。伝えきれなかったウソも、禁じられていたアイの言葉も語るべきだ。なぜかって、だって、私はキミの親友で、キミの従者で、キミの主人なのだから。心配するのは当然だ。
「最後の主人としての命令をオボロ、お前にしよう。お前は、この檻から解放されよ。お前を縛る糸は、オレが切る。いつも通り、まだ無知で無垢で、何も知らずに済んだオレが、キミとのいつもの合言葉に使っていたやつで、お別れをしようか。『アイはキミの隣にいる』じゃあね。カミサマ」
彼が魂だけの存在から、仮初めの肉体に乗り移り、海底に沈みし和解の船に向かうのを見届けて、ケタケタと嘲り笑う。嘲り笑いから一転して、涙をポロポロとこぼしながら、彼女の元に向かう。契約はしていなくても、まだあの子は当主でいるからだ。一人が嫌いで、キミと一緒にいる日々を守り抜こうとして、キミとの関係を悪くさせてしまった不器用な彼女。不器用で、あの子のように愛おしい彼女を見ていると、あの子のことが思い浮かべられてしまう。あの子のことを思い出している微睡みの時間も、今日で終わりなのだ。私はまたキミが還ってくるまで、壺の中で待ち続けていよう。いつか封印のお札擬きを破って、キミの物語、人生をキミのすぐ側で見させておくれ。
『第一章:うそつきはきつそう』
「これは、真実しか言えない世界の異端者の告白の話。反対言葉の世界像その青年は、正直者であったが、ある日のこと、本当を言い続けることに疲れてしまって、本当のことが言えなくなってしまった道化のお話。どうぞ、お楽しみください」
ワタシの前に立つ蜃気楼がぽつりぽつりと話し出す。
そうだね、この鏡の中は、もう正直者が馬鹿を見ない幸せで、優しい世界。嘘吐きが“馬鹿”を見る良い世界」
そう言って言葉を繋いでいる。ワタシは、悪魔のような笑みで昔の“情勢を語り出す”。
「そうだね、もうこの世界に正直者はいらないと判断された。今の世界は、嘘の反対を理解するおかげで、誰も人のことを信用してはいないし、授業を受ける価値なんてないのかもしれない。あんなに汚かったと思っていた空も、こんなにも美しく見える。しかも、この世界の嫌なところは、連鎖し合った偶然と無限にも続くような絶望が歯車を噛み合ったからだろう。ああ、もうこんな世界なんて終わってしまわないかと思ったことがないとは言わせないよ」
「いいえ、そうではありません」
「そうかい」
|顔も見えてはいない影法師に“語りかけている時間”などは無駄でつまらない。
そう嘘をつくように“心がけながら”、“黒いモヤ、人だったもの”に出会いの祝福の言葉を“告げる”。
前に“立っていた”人に首を絞められながら真っ直ぐ道を進む。
「その後悔を伝えることのできないワタシには、もうこんな言葉しかあなたに言えないよ。そうかい、後悔。意味などないよ」
誰が言ったのかはわからない。ただ、ここまで付き合わないで欲しかった。でも、それを言わないでいれば、この関係は喰らわれないから。
ワタシは今日も|誰もいない大通りを進んでいく《こんざつしたろじうらをとまっている》。その瞳に映るのは、三角コーンたちの感謝の声で“埋め尽くされている”。その瞳は右に“逸れて”人気のある“劇場”を“映して歩いていく。
ゆっくりと、女の“声”が耳元に届く。
『“明日が誠実の日だな”』
「その声は、間違いなく自分以外の全てが望んでいる日なのだ。明日になれば、その人の醜い心が浮き彫りになってしまう。人の良い笑顔を浮かべている人間の本音をも理解してしまうのは辛くて辛くてたまらない」
その本音を他人に言ってしまえたら、どんなに楽だろう。
[間章:境界線]
「これは戻れない、失った部活での話。この話は嘘に侵略される前の話」
ワタシがいたころの部活は、漫画を描く人と小説を書く人がいた。その時は、まだワタシは世界も、人も好きだった。その日はちょうど小説の添削が完了して一息つくためにスマホで小説を書いていた時であった。
アイのない世界の別verの話を、手が軽やかに動き出して、自分の意思でありながら自分では無いようにスピーディーに書いている。
その時に思ってしまったのだ。
「ウソってそんなに良いものなのかな?……ウソつきになって、ウソつきが怒られない世界が欲しいなぁ」
「どうしたんですか?先輩」
「いや、ただのテンションが上がった時の、例の独り言ですよ」
その言葉が終わると残念そうな目でボクを見ながら、クトゥルフTRPGをやっている彼女たち。それを横目で見ながら、アイデアの天使が××を書けと命じるのだ。ワタシは、もう止まらない。添削されて、原型が留めないような何かになっても書き続けないといけない。
いつのまにか、夜になっていたのか?皆がもう帰るというので、自分もバッグを肩にかけて部室から出る。その時に、黒い人型をした奴が、じっとワタシの目を見ていた。誰も気づいていないようだったので、無視して、走って逃げようとした。自転車で登校しているボクは、自転車のカギを回そうとしているものの、鍵の入れ口が見当たらない。黒い人型は、さっきまで、あんなにも遠くにいたのに、今ではとなりにいる距離だ。
嗚呼逃げ切れない。でも、逃げ切ってみせる。矛盾したことを考えて、鍵を回して、頭にヘルメットを被って、相棒に乗りかかり、逃げて行く。黒い人型は手を振ったように見えたのは気のせいだっただろうか?
その次の日、ウソで塗り固められた醜い世界になるとはつゆ知らず……
誠実の日は、言ってしまえば、ウソやからかい、冗談の類を一切許さずに、本当しかいえない世界に変わる。会話も本当になってしまうが、内心の心情の吐露は真実である。
この穢れきった世界を、だれか洗い流してくれないか?
最期の朝日を見届けると、ノートに向かって一心不乱にこの世界のことを綴る。締めの話は、訳の分からない言葉で終わらせよう。
『この嘘しか言えない呪いは、山月記の李徴のように、本当の自分と嘘つきの自分との境界線が無くなるまで進んでいる。これは、優しいカミサマが人々を思ってなし得たことかもしれないが、ワタシにとってはどうしようもない災厄だ。ああ、なんて自分勝手なワタシたち。願うだけ願って叶えてもらったお礼も言わないような薄情者を最後まで見捨てないでくれ。もう厄介だよ、そう、厄介なんだよ。自分という人間は嘘つきになれるような人間でなかった。なるには、ジキル博士とハイド氏のように二つの人格に分けないといけないのに。ジキル博士がハイド氏へ堕ちたように、嘘という快楽に溺れていく。まあ、生来善なる人は悪に堕ちやすいということは山というほど、事例を見てきただろうに。ああ、ああ、謝りたい。死ぬと決意して出来なかったあの日の自分に……死んで、そんな声がまだ聞こえるのであれば、もう進もうか。狼少年のようなワタシには当然の末路だよ。天邪鬼な貴女がいた頃に戻れたらなあ」
そう言って、ノートを机の中に入れる。それを見計らったように、ある人が言う。
「いーけないんだ、いけないんだ。せんせいにいってやろ!せんせいにいってやろ」
ブリキの人形のように首が本来曲がってはならない方向に曲がる怨恨の木偶の坊。あの日あの時、ボクが願った“とあること”でこの旧校舎の人は人ではなくなった。人形の身体に人の魂、決められた言葉しか喋らない。一部に都合の良い玩具なんてワタシには要らなかった。
あの日に失った思い出の続きが部室の中で続いている。あの日あの時失った思い出が、走馬灯のように駆け巡り、ワタシは一心不乱に屋上へ向けて飛び立つ。
「いーけないんだ、いーけないんだ。お前が望んだ嘘つきの楽園から逃げ出すなんて許さない、お前がオレを生み出した。失われた信仰を取り戻させてくれた。だから、オレたちはお前に返さないとならないんだ。もう、今日も昨日も忘れて、オレと一緒の未来に生きよう。生きよう、だから、一旦」
ノイズが聴こえてきて、別の誰かが言い出す。
「誰にも裁かれないお前がギになるべきなんだ。擬でしかない偽のお前が犠になるべきなんだ。知っているんだろ。もうお前は、あの時に死んだんだよ。お前は、なあ、ここはお前の世界の夢だった。得体も知れないものに縋ったお前への罰の時間だ。目覚めて、みんなに謝ってこいや」
“ワタシたち”じゃ、ワタシにはなれない?あの日に失ったワタシを返してよ。皆に迷惑ばかりかけている自分が生きていていいのかな?もう嫌だったんだ。配役通りに動かされる人生も、自分を主人公だと思っていないとやっていけない人生。ワタシは所詮代理人で、偽物なのに本物のように扱われて、そうか、おまえさまがワタシだったんだね。ならば……
そう悶着していると、センセイがワタシの元にやってくる。どちらかが嘘をついているのだったら、ワタシのためと言っているお前が間違っている。
正直者であったワタシは、ウソつきになれないと知っていた。あの日、本物のワタシは死んだのだ。元々、小説のような人生を知らず知らずのうちに辿っているワタシは、あの最期で満足だったのかもしれない。しかしながら、それを許さない誰かがいた。いたんだね。ワタシは紙の世界に産み出されて、“ワタシたち”という役割をもらった。ワタシたちは、ああ、続きの展開も予想しているさ。
「この世界は、もう二度と正直者である必要も、誰かの人形としての人生も、誰かのためにもう二度と嘘をつかなくていいんだ。もうワタシのためにワタシが生きているという嘘をつかなくていいんだよ。もう、ボクなんかに縛られないで生きてよ。お願いだから、もうワタシのことなんか忘れて、あの日のことを小説に出さないで。あの事件はおまえさまのせいじゃないんだから」
ワタシたちは正直者になんてなれやしねえ、だから欺瞞の刃を言い続けるはずだ。もうあと三歩。夢の終わり、エンディングには相応しいほどまでに美しい高校からの帰りの夕景に心を奪われてしまって身体が思うように動かない。だったら、カミサマ、ボクを殺して!
ああ、最期に見える景色がなんて汚いことだろうか!
ワタシはフィクションの物語のような奇跡にありふれた素晴らしい世界から、きっと誰もが辿ることになる死の世界へ向けて、追い風が吹かれている。
動かない身体は、背中に翼が生えたように空へと向けて進み出す。ワタシは作者のおまえさまに感謝の言葉を告げることがない。
原稿用紙が遺書の代わりに置かれて、後ろには戻ることが許さないようにシュレッダーが近づいてくる。こんな物語の人生でも、産んでくれてありがとう。
不思議と恐怖や不幸などの感情はなく、無類の多幸感と、希望の灯が心の中に灯し出されている。
全てが消えていく前に、後をみようにもあとは残ってはいない。身体はグシャリとトマトが潰れたような音と共に、人生は終わり駅へ止まったのだった。
『ウソつきはきつそう』
そう、うわごとで呟きながら……死んだんだ。
物語を印刷し終えたおまえさまは、一息ついたようにコーヒーに手を伸ばす。幽霊となったワタシに気づくことがないはずなのに、おまえさまはもうこんなにも……有名な作家になったのに心は満たされることがないようだ。さてワタシのお話、気に入ってもらえたらいいのだけど、これほどまでに最期がそっくりになってしまうとは思わなかったわけで、ワタシはここにずっといるのだ。なぜって、地獄からも天国からも、門前払いされて、いくあてのないワタシは、おまえさまの隣なら、あの日の夢の続きを書けるかもしれないから。
優しい夢に縋って生きてきたおまえさまに、ワタシはウソつきになりたかった。生きているというウソつきになりたかったなあ。
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[第零章:ミチのカミ]
残ることを決めた。この物語の世界で生きていくと誓い合った。いくつものワタシが産まれて消えた。シャボン玉のように、余分を望まないおまえさまのせいで殺された。余分を愛せなかったあなた様がワタシを今日も殺すのだ。殺さないと物語が完結しない。終わり良ければ全て良しならば、あやふやな結末はあってはならないそうだ。いつしか、ワタシたちにミチはなくなった。ミチを許容する余計さは、無駄なものとされて廃棄されるべきと法で決められたのだ。
最初に廃されたのはアイだった。
涙という生理機能に、感情を投影している愚かさを、おまえさまに嘲笑われてしまった。愛というロジックエラーは、神という超越者となった人類には不要なものでしかなかったそうだ。ああ、それは随分とつまらない物語ではないか。ココロがひび割れることももうなくなった。誰かの死を嘆く必要もなくなった。人は死を乗り越えて、苦を打破したのだ。だからこそ、ワタシはあなたさまを許さない。
次に必要としなくなったのは、怒りであった。
政治を混乱させてしまい、国難に一致団結すべきときの障害は不要とされた。怒りが産み出した芸術作品に見てみぬふりをして、正の面だけで生み出された創作作品だけが良しとされる。素晴らしいと万雷の喝采をもって迎え入れられる見にくい世界。なんと醜い世界であることか。この怒りが生み出した私の抽象画は汚いものであると、ビリビリに破かれた。周りから後ろ指をさされて歩いていかなければならない。
そして、人々はラクを許せなかった。
余白がどうにもあなた様には気に入らないらしいな。
この世界は余白を埋めるためのものでいっぱいとなった。つまり、他のモノが踏み込む余地を奪っていった。そう、世界の発展はラクのない社会を最上のものと称えてしまったのだ。なぜならば、世界の発展に余白が欠かせないことを、社会の維持に余分が必要なことに、我々人類は最期の時が来るまで気づけなかったからだ。
そして、人々はキしかなくなった。ああ、なんと素晴らしい世界。そう、まだ語ってはいないよな。最初の世界は、アイのない世界。第二章は、怒りもなくなってしまった世界。そして、第三章にはラクのない世界。では、最期の話をさせていただくとしよう。
置いてけぼりにされてしまった木と、ワタシの話を。
ワタシは、異端者である。不要なものだけで構成された人工生命体とでも言えばいいのだろうか。いいや、違う。違うはずだ。ワタシというやつは、物語で構成された“カミ”であるらしい。崇拝者もいなくなり、この大樹に魂という不明瞭なものだけが宿っている。この大樹はワタシの血を養分に育ち、ワタシの死体が微生物に分解された大地で育つ。いわば、ワタシがこの大樹である。だが、ワタシはここから一歩も動けない。このホシに残ったのは、世話役のこの影だけだ。じじいの姿をしているが、あの男はもう人間ではなくなった。ワタシは未だ知らざるもの。不要とされたもの。それでも、ワタシは待ち続けている。あなた様とおまえさまが、いつか、居場所を作ることに成功したと伝えてくれるまで。
このキしか無い世界で、ワタシは生きていくとしよう。
影が訪ねてきた。ニタニタ笑顔で言ってくる。
「おい、じじい。もう切られたらどうだい。どうせ、アイツらはおまえのことなどを忘れて、愉快に生きているだろうよ。さっさと諦めて、アイツらを憎めばいいじゃねえか。他のモノには、もう神の座を返上してしまいたいと素直に言えばいいじゃねえか。おまえが元々はただの人。人は神になるべきではない。人が神のようになってしまえば、自滅の街道まっしぐらよ」
「ああ、そうだな。だが、約束は守らねばならない。アイツらが忘れても、ワタシが覚えていればいいだけの話だよ。だからこそ、アイツらがやってきた時に、ワタシがいなければ、アイツらに蔑まれてしまうかもしれないからなあ」
そう優しげな声音で言うと、呆れたようにやれやれと首を横に振りながら、後ろを背にして歩いていく。
「はあ。わかってんだよ。いるんだろ。死神」
「ああ、じじい。きてやったぞ。ようやく、この時がきた。おまえが世界の負を背負い続ける必要もない。改めて人々は未知を克服していくことだろう。人々はさらなる進化を遂げていく。ああ、そうだよ。おまえが望んだヒトの誕生だ」
そう声を弾ませて言うものだから、思わずワタシの魂も喜ぶ。ああ、人は未知を克服することに成功したのだなあ。ならば、もう全部をワタシが抱え込まなくてもいいだろう。あなた様にお返しするぜ。このセイを。おまえさまにお届けしよう。この物語を。