11 エリノア、王宮へ向かう
「…………」
夕方。
エリノアの自宅。そこでは奇妙な様子のエリノアの姿が見られた。
居間のテーブルの上にこんもり積まれた洗濯物。その前に座って、洗いあがった己のブラウスを摘み上げたまま――ぼんやりして数十秒ごとにハッとして頭を振る。そして慌てて洗濯物をたたみかけ――いつの間にか再びぼんやりしている……
もう帰宅してからずっとその繰り返し。
そんな娘の背後には聖剣テオティルがキョトンとして主人を見ているし、グレンはニヤついた顔でそれを見ていた。姉は、そんなグレンがこっそり膝に登ってきても気がつかない始末で……
同じテーブルに着き洗濯物をたたんでいたブラッドリーはため息のあと、姉を見る。
「……姉さん、そろそろやめないと首を痛めるよ……」
「……え……? な、何が?」
言ってやるもぽかんとする姉。
どうやら自分が延々首を振ってぼんやりしていたことにまったく気がついてないらしい。
……そんな状態でも、きちんと洗濯物だけはたためているところが姉らしかった。
ブラッドリーはやれやれと思いながら真顔のまま言った。
「……そんなに驚いたの? リードに好きって言われたの」
途端、ぎゃっという短い声と重なって、ふぁ……と、大量の布が舞う。
「エリノア様!?」
急にテーブルの上の洗濯物にダイブした主人に聖剣が慌てている。
「なぜ今たたんだばかりの洗濯物に突っ込むんですか!?」
「………………ぅん、ちょ……ちょっとね……精神の慣れないところにグイッと一発攻撃が刺さった気がして……」
「……もぉお……姉上ったら! せっかく寝てたのにぃ……」
急に立ち上がられて膝から放り出されたグレンが、やめて下さいようと苦情を漏らしている。が……洗濯物だらけのテーブルに突っ伏したエリノアは言い返さない。卓の上で赤い顔でぶるぶるしながら、ぐちゃぐちゃになった洗濯物を握りしめている。
「姉さん」
ブラッドリーが握り締められて皺になりそうな姉のシャツをその手から取り上げる。と、その弟の冷静さによけい恥ずかしくなったらしいエリノアがワッと嘆く。
「だ……だって……いま……それどころ……? いつ聖剣持ち出したかどで王国兵に捕らえられるかも分からない時に……そ、そんな……惚れた腫れたって……」
「何言ってるの、姉さんの恋愛事情はこの家の最重要課題だよ。王国兵なんか蹴散らせばすむ」
冷酷な顔で物騒なことを言い出した主人にグレンが黄色い悲鳴を上げている。
「(無視)あのリードが姉さんに告白するなんて相当頑張ったんだよ!? 王国兵がどうとか聖剣がどうとか言ってる場合?」
「………………」
「ちゃんと考えて、リードのことを」
「……あ、のね、でもね、ブラッド……姉さん明日王宮に仕事に行かないといけないのよ? も、もちろんリードのことは私なりに考えるけど……」
エリノアは洗濯物の中から身を起こし弟の顔を見る。
「……」
その顔が必死すぎて、赤らんだ丸い額も、滲む汗も可愛いくてしょうがなかったが、ブラッドリーは真顔を貫いた。
ここは、せっかく頑張ったリードのためにも姉にしっかり考えてもらわなければならない。
しかし対するエリノアも必死だ。
明日はエリノアが“隠れ”勇者になってから初の出勤日だ。
そのことを考え始めたエリノアは、今度は顔からみるみる血の気の引いていきぶるぶる背中を震わせ始めた。
「ブラッド……姉さん嘘つくの苦手なのよ……明日速攻で聖剣持ち逃げ犯だってバレたらどうしたらいいの……!?」
そんなことになれば、恋がどうとか愛がなんだとか言ってられなくなるではないか。
まさか牢獄の中から愛を叫ぶわけにもいくまい。そんなことしたら相手にだって迷惑がかかる。
「私が捕まればルーシー姉さん達にも迷惑がかかるし、それにブレア様にだってきっとご迷惑が……」
「……」
へにゃりと眉尻を下げた姉がそんなことを言い出して……ブラッドリーがその名にピクリと反応を見せる。エリノアはしくしくと嘆く。
「ブラッドリー……姉さん明日が無事に終わらないと他のこと考えられないのよぉおおっ」
「…………とにかくしっかりして。そんなにぽろぽろ子供みたいに泣かれると……姉さんのために王宮丸ごと消してあげたくなるよ」
「やめて」
真顔で言うブラッドリーにエリノアは速攻で目を剥いた。
恐ろしくて一瞬で涙が引っ込んでしまったらしいその怪奇顔に、やれやれとブラッドリー。
「だいたい……勇者が牢獄になんて入れられるわけないじゃないか、そもそも聖剣は勇者のものなんでしょう? ……せいぜい貴賓室に軟禁だね」
どっちもあんまり変わらないわよ! と姉は嘆き叫んだ。
――そうして次の朝。
まだ薄暗い家の戸口で、エリノアは紙のように真っ白な顔でブラッドリーを振り返る。
うっすら照らされる蒼白の笑みがどことなく不気味だ。
「……じゃ……姉さん行ってくるわね……お願いだから……テオティルのことよろしくね……テオ、追いかけて来たら駄目だからね……? 家でしっかりコーネリアさんのお手伝いしてるのよ?」
生気のない顔で言う姉に、ブラッドリーはため息をつく。
隣では、魔物の手伝いをしろと言われた聖剣が不安そうに姉の顔を見守っていた。
「エリノア様……やっぱり私も一緒に……」
「駄目。部外者立ち入り禁止よ」
「じゃあまた剣の形に……」
「もっと駄目よ!」
エリノアは……シャーっと猫のように殺気立――たかと思うと。
もうここに長居しては駄目だと思ったか。
さまざまな不安や心配を振り切るように、身を翻し、ダッ……! と……悲壮な顔で自宅を飛び出して行った……
「! エリノア様!」
「あ、こけた」
「…………」
遠く(の何もないところ)で景気よく転んだ姉を、ブラッドリーも聖剣もハラハラと見ている。(※グレン、地面の上で転げまわって笑っている)
エリノアは、弟と聖剣(+見知らずの町民たち)に見守られながら、しばし地面でぷるぷる痛みに耐えていたが……再びキッと前を見据えると――再び、ダッと駆け出して行った。
はーやれやれとグレン。
「あの可愛らしい運動神経ゼロ感はなんとかなりませんかね……困りますねぇ、からかいたくてたまらんです!」
「…………」
しっぽを震わせながらけらけら笑う黒猫。それを壮絶に睨む魔王。……は、遠ざかって行く姉の後姿を見つめながら静かに配下を呼んだ。
「ヴォルフガング」
すると、するりと白い身体が足元に現れて。
「は」
「……今日はお前が姉さんについて行って。あの様子じゃ……王宮でもきっといろいろ失敗する」
ため息混じりに、だがそう断言すると、頷いた白犬はムフーッと鼻息荒く夜明けの街へと飛び出して行った。昨日、王の不興を買った魔物は汚名を雪がんと俄然張り切っている。と、うぉおおおお……! と、駆けて行く犬を、黒猫が不満そうに見ていた。
「えー……姉上の見張り(ストーカー)ならわたくしめがー! あやつは昨日朝姉上にセクハラ働いたじゃありませんかぁ!」
「……お前は姉さんが失敗したら絶対喜ぶだろう……!?」
そして絶対に助けないだろうと睨まれたグレンは、バレてる! と王の足元でけらけら笑う。
そんな配下を呆れたように睨みながら、ブラッドリーは問う。
「それより……メイナードの様子は?」
「老将殿ですか? 相変わらず森のほうで休眠状態ですよ、聖なる大木の近くで力を振るったもので疲れたんだそうで。眷属同士引きが強かったみたいですね、通常運転になるにはもうしばらくかかりそうです」
配下の言葉に、ブラッドリーは、そうと呟いて、メイナードによく休むようにと言付けた。
見ると隣で姉の見送りをしていた聖剣の姿がない。
どうやら――姉の姿がなくなると、さっさと家の中に入って彼女に言われた通りコーネリアグレースに指示を仰ぎに行ったらしい。家の中からあれやこれやと家の手伝いを言いつける女豹婦人の声が聞こえていて。ブラッドリーは、従順なことだとため息をついた。
「……私が聖剣と同居とは。我が家は魔界よりも混沌としているな……」
それもこれも……敵を受け入れるのも、変わらず人の町で暮らすのも、すべては姉と共にあるため。
聖剣の存在も、近づくとやはりどこかで身体に緊張が走るが、精神的な面で言えば不思議とそこまで悪い気はしていない。
……やや姉と聖剣の距離が近いのは気になるが、精神レベルでいえば幼児と変わらないし、何よりいざという時、姉を守る存在があることは正直ありがたい。グレンのような魔物はエリノアを裏切る可能性があるが、聖剣はきっと淡々と姉を守ることだろう。
「……まあ……多少は目をつぶるしかないか……」
エリノアのために。
……なんてことない、反抗期どころか、少しも姉離れできていない魔王なのである。
お読みいただきありがとうございます。
…都合により細かいチェックは後ほど。
いつも誤字報告助かっております!ありがとうございます!




