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侍女なのに…聖剣を抜いてしまった!  作者: あきのみどり
一章 見習い侍女編
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8 気配と軽やかな逃亡

 ブレアはその聖剣に憧れ以上の感情を抱いている。



 子供の頃は多くの少年たちと同様に、ブレアも女神の聖剣の伝説には単純に憧れていて、いつかあの剣が抜けるような強い武人になりたいとずっと願っていた。

 父が語る建国の祖、魔王を倒したという勇者の勇敢な伝説も、

 母が語る春の女神の慈愛に満ちた伝説も、聞くたびに心躍る物語だった。

 兄弟たちと並んでその話を聞きながら、将来誰がそれを抜くかで盛り上がったり、その聖剣がどんな素晴らしい姿をしているのだろうと想いを馳せたものだった。

 ブレアの想像ではいつもそれは無骨な鋭い姿をしており、優しい王太子の想像では、美しい装飾で飾られた見事な一振りということになっていた。

 弟たちの中には、巨大な両手持ちの大剣なのではと言う者もあって。あの聖剣の柄の大きさはそんなじゃないとか、でも大木は大きいから分からないだのとか、幼稚な言い合いを延々と繰り返しては大喧嘩になったものだった。

 そうしていつも仔犬がじゃれるように、取っ組み合いの喧嘩をしていて……


 ブレアはそれを思い出すたびに、懐かしくて──胸の奥底が小さく痛む。

 その中には今はもう、王族の務めとして遠征地にいる弟や、次期王座を巡り対立してしまっている王子たちもいる。

 それも自分たち王族兄弟の宿命としては仕方のないこと。

 そうは分かっていながらも、職務や修練の合間には、つい聖殿に来てしまうのだ。


 ──どうか、兄上──王太子が聖剣を抜いて下さいますよう。

 

 いつだってそう女神に向けて祈る。

 もしそれが叶えば、王太子は女神と民心という大きな後ろ盾を得て、立場は今よりももっと堅固になるだろう。権力闘争の為に、弟を影で唆すような貴族連中も、きっと勢いを失うに違いない。

 歴史上では──王座を巡る対立の中で、命を落とす王族というものは決して珍しいものではなかった。

 中には兄弟で命を狙いあったという前例もあり、ブレアの父である現国王もまた、兄弟間の争いの中で弟を亡くしている。

 その時の空しさと悲しさを、父は時折ぽつりと漏らしては遠い目をする。そんな時、偉大な国王の背は、とても苦しげで弱々しくすら見えるのだった。息子としてはそれが堪らない。

 父の負担が少しでも軽くなるよう、ブレアは王子として己にできる努力はやってきた。

 しかし……聖剣の伝説は努力でどうこうなる問題ではない。


 だからどうか、とブレアは日々春の女神に祈りを積む。

 父の抱える将来への恐れ──己の息子たちが、再び自分たちのように争い、命を奪い合うのではという危惧が、少しでも軽くなるように。

 無邪気だった弟が、優しい兄を憎しみの目で見るようなことがもうないように。

 王宮に血が流れることがなきように。

 

 王太子が、どうか聖剣を得ますようにと──────……






「っ!!」


 ブレアはその剣身が振り下ろされるさまを見て息を吞む。


 ───渾身の力を振り絞って──

 娘は女神の大木目掛けて聖剣を──突き立てた。


 その行動にブレアは驚き、止めようと娘の肩をつかんだが──遅かった。

 ブレアが華奢な肩を引いた時には、聖剣は大木の中に半分ほどが突き刺さって──……

 いや。突き刺さったという表現は些か相応しくない。

 聖剣は音もなく、抵抗もなく、滑らかに……まるで粘度のある水の中に、ゆっくりと落とされたかのような動きで、木肌のうちに沈みこんでいくのである。神秘的な光景にブレアは言葉もない。

 その光景は、目の前に見える清らかな剣が、明らかに人智を超えた存在であることを示すかのようで──ブレアは一瞬ぞわりと肌が粟立つような気がした。

 驚愕と畏怖を映す瞳に見守られながら、聖剣は、そうして完全に大木の中に還っていったのだった……


「…………」


 たった今目撃した出来事に、ブレアは呆然と肩で息をする。

 聖剣が抜けることを待ち望んでいたブレアにとって、それはとんでもない出来事だった。

 

 と、不意に己が肩をつかんでいる娘の荒い息づかいが耳に届き、彼は我に返る。


「お前っ──」


 しかしブレアが娘の肩を引き、口を開きかけた──その刹那……

 奇妙なことが起こった。


「っ!?」


 周囲の木々が異様にざわめき立ち、ブレアたちの元に、音にはならぬ殺気のようなものがじわじわと忍びよった。まるで空気が何かに汚染されていくようだった。

 いち早くそのことに気がついたブレアが身構える。彼はとっさに大木と己の背との間に娘を挟み、そのまま無言で周囲に鋭い視線を走らせた。が、目に映る範囲には何者の姿もない。


「……これは、いったい……」


 ブレアは周囲を睨んだまま呟く。濃厚な異臭のような気配が身にまとわりついて、息苦しい。


「……っ」


 ──そんなブレアの耳にうろたえたような声が届く。


「──殿下? あの……大丈夫ですか? どうかなさいました?」


 その声の軽さにブレアは驚いた。

 振り返ると娘がキョトンとした顔をしている。

 突然背の後ろに隠された娘は周囲の異変にはまったく気がつかぬのか、ブレアの緊張した面持ちに怪訝な表情を浮かべている。


(感じていない……? なんと鈍い……)


 勇者たるはずの娘の様子にブレアは小さな失望を感じる。

 何故これが分からぬのだと。

 それは、何者かが聖剣に対する憎しみを垂れ流しているような気配だった。暗く、物騒で、危うい……

 空気はどんよりと重苦しいものと化していて、その蝕むような圧に思わずブレアが顔を顰める。

 娘を連れてその場を離れようとするも──身体が重くて、思うように足が動かない。人よりも武に優れているという自負があるだけに、己の身が思い通りに働かないことが信じられなかった。


「っ……」

「……殿下?」


 それでも──娘はキョトンとしたままだった。

 急に身動きをしなくなった王子の背に、いったい何が起こっているのだろうと不安そうな視線をよせている。


 と、そんな娘が不意に、ハッとした。

 どうやら……自分が今、王子の前からさっさと消えたほうがいい状況に置かれていたことを思い出したらしい。

 娘は、えーと、と呟いてから、言った。


「……殿下、ご気分でもお悪いなら、わたくしめ主治医でも呼んできましょうか……?」


 そうして驚いたことに、娘はそーっとブレアの背の後ろから抜け出して。そして恐る恐るブレアの顔を覗きこむ。どうやら──気配同様、ブレアの身を押しつぶすようなその圧を、娘は一つも感じていないらしい。平然と自分の後ろから抜け出て行った娘にブレアは愕然とする。

 娘はしばしブレアの顔色を見ていたが、段々その息が上がってくるのを見止めると、これはいけないと眉を顰めているようだった。

 

「殿下、本当にお加減悪そうです。ここでお待ち下さい、すぐ先生に来てもらいますね」


 娘はそう言うと、傍に置いてあったホウキをつかんで身を翻す。

 それは明らかについでにこの場から退散しようという意思の透けて見えるものだった。が、ブレアの手足は重く、娘を追うことは叶わなかった。


「な、なんなんだ……くそっ」


 離れていく娘の姿に、ブレアは身体に渾身の力をこめる。だが、それでも足は数歩動かすのがやっとだった。


 だというのに──


 黒髪の娘は──スカートの裾を翻し、その空気の中を易々と駆けてみせる。

 軽快に舞う後ろ姿にブレアは一瞬目を奪われた──


 娘が途中、思い出したように振り返る。「殿下、動いちゃ駄目ですよ! 主治医が来るまで横になっていらして下さい!」と、娘は大声で叫び、ブレアに向けて大きく手を振った。

 ……一応本当に彼を案じる気持ちは持ち合わせているらしい……

 

「……おい!? 待て、勇者!!」


 ブレアが叫ぶ。──と、遠くのほうでボキッという音がした。恐らく……多分……いや間違いなくホウキだな、とブレアは察する。“勇者”という呼び方に動揺したか、苛立ちでもしたのか。娘が思わず折ったのだろう。

 ……あの気性なら、後者だな……

 緊迫した状況下にもかかわらず、ブレアは苦しい息の下そう思い、思わず苦笑をもらしてしまう。


 ──と、──その次の瞬間のことだった。

 その、ボキッと鈍い音が聞こえた直後、ブレアが苦笑を零した瞬間に、周囲の危うい気配がさっと散る。


「っ!?」 


 まるで怯えた動物が逃げていくかのようだった。


「……っ」


 気配が去って、その圧を押し返さんと力をこめていた身体が均衡を失い崩れ落ちる。ブレアは地面に片膝を突いた。

 その間にも、空気はすっと澄んで行き──……

 次に青年が顔を上げた時、場は既に静けさを取り戻していた。

 ブレアは呆気にとられる。

 風に揺れる大木の梢、遠くに聞こえる雑音。何もかもが、平然としていて、普段となんら変わらない。


 ──なんだったんだ、今の、気配は──……


 そうしてブレアは周囲の気配をもう一度探る。しかし、剣吞な空気はもうどこにも感じられなかった。まるで白昼から、夢を見ていたかのようだ。

 ブレアは一瞬呆然とした感覚に陥りかけるが──すぐさま己を正気に引き戻す。

 彼は大木の聖剣に素早く駆けよると、真っ先にその無事を確かめた。

 木肌から突き出た剣の褐色の柄。

 つい今しがた彼らの前にその神秘的な姿を現したばかりの聖剣は、まるで何事もなかったかのようにそこに収まっている。

 見る限り、それはずっとブレアが見守ってきた聖剣の様子となんら変わりないように見えた。

 そして不思議なことに……娘の手で考え無しに大木につきたてられたように見えた聖剣は、寸分違わず以前と同じ場所に戻っていた……


「…………」


 ブレアは、ふと無言で聖剣に手を添えてみる。細工の美しい柄を握り、力をこめてみる。

 だがそれは以前と同じ。固く、軋む音すらも聞かせてはくれなかった。


「……やはり、抜けぬか……」


 頑なに沈黙しブレアの前に剣身を晒すことを拒む聖剣に、男はもう一度、娘の消えていった方向を見つめた。

 抜けた聖剣、そして奇怪な気配。そして恐らくそれを収めたメイド服の女……


「あの者は、いったい……」


 ──探し出さなければ。

 ブレアは王宮に駆け戻る。




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