46 銀色の髪
――多少――巻きこまれる者がいても別に構わないとダスディンは思った。
たった一人。その唯一の者さえ無事ならば。
そしておそらくその唯一の者は、今、強い女神の加護を得て、このくらいの攻撃なら痛くも痒くもないだろう。
彼女は気がついていないようだが、女神の印を授けられたその身体は、高位の聖職者を軽くしのぐ聖の力に満ちている。
ダスディンは薄く笑う。
――女神よ、感謝する。その加護のおかげで姉は大丈夫だ。
――だから、
――多少の破壊はかまうまい。
ダスディンの目は、ビクトリアを見据える。
すると怯えに顔を歪めた女の手が、姉の両腕を鷲づかみにし盾にするのが見えた。それを見てなおさらに呪わしく、身のうちに炎が渦巻いた。
父と家を失わせ、見下した言葉でなぶり、頬を傷つけておきながら、今度はその身に守られようというのか。
なんと愚か。
すべての刃の軌道を曲げ、姉をよけて目的を遂げるくらいのことは容易いことだ。
従順な薄く小さな刃たちは、彼が手を上げると、怯えきったビクトリアの身に狙いをつける。
数多の切っ先が己を貫かんとする恐怖に、側室はもはや意識を保っていられなかったらしい。
床に崩れ落ちた女に、ああこれじゃあ姉を侮辱したことを後悔させることができないな、とダスディンが笑う。
まあいいか、と思った。少し刃を受ければ、痛みでとてものんきに寝ていることなどできなくなるだろう。
ダスディンは、手を振り下ろす。
凶刃は無慈悲に風を切った。
――その最中。
一人、何者かが場に飛びこんで来たように見えた。だが――それは走る刃と、刃が軌道に残していく黒煙に紛れ、ダスディンにはそれが誰なのかは見えなかった――……
そして
刃の群れは、個々が複雑な軌道を描き、ビクトリアの身体に飛び込んで行く。
鋭利な先端が、彼女のドレスに、腕に、肩に、足に、皮膚に触れるという時。
あと一呼吸――
切っ先と白い肌との境には、もはや髪の毛一本ほどの隙間しかないという――、刹那。
闇色の剣が――……
音を立てて――
割れた。
「……!」
途端、場に白い閃光が円のように広がった。
ダスディンがそれに片眉を持ち上げた瞬間、その前に唐突にメイナードが姿を現した。
老将がゆったりとした袖に包まれた両手を顔の前で合わせると。その周囲には黒い葉に覆われた幻のような壁が生まれ、彼と、王、それから配下の二人を包みこんだ。
居合わせた多くの者が怯え瞳を閉じていた中で、老将の作り出した防御壁の内側にいた、王の冷酷な目と、彼のしもべたちだけがそれを見ていた。
ダスディンの凶悪な切っ先が人々に降り注ぐ寸前。それは光に触れると、ビクトリアに突き立てられようとしたものから連鎖して、次々に砕け散って行った。
砕けた刃は耳障りな轟音を立て、塵と化し、煙のように消えていく。
「……」
メイナードが腕を解くと、黒き葉が散るように壁は消えていった。
彼に聖の力から守られたダスディンは、人々が気を失い見通しのよくなった場所で、無言で姉を見る。
ビクトリアに盾にされていた姉は、いつの間にか男の腕の中にいた。
轟音に身をすくめるエリノアを抱くのは――ブレアだ。
その腕の中、姉の手の甲が眩く光っている。
女神の紋章。
同じ輝きがキラキラと光の粒となり、広い廊下の中に煌いていた。
輝きに満たされた空間で、人々は誰も彼もが気を失いぐったりと倒れている。側室も、貴族も使用人も衛兵も。皆、同じように床に転がっている。
エリノアを庇ったブレアも、ヴォルフガングがその背に庇っていたルーシーも力なく目を閉じていた。
ダスディンは、己がビクトリアを仕留めそこねたことを知った。
だが、今は、彼女を相手にしている場合ではないと分かっていた。
倒れ、折り重なる人々の中に、一人、様子のおかしな者が立っている。
視線をやると、にこりと微笑み返される。
白いゆったりとした官服。
優しげで美しい顔。整った眉の下には、金のような、だいだい色のような、あでやかにグラデーションする瞳が並ぶ。
肌は際立って白く、腰の下まで伸びる髪は水晶のような銀色。彼が身動きすると、その隙間に虹色の光がきらめく。
圧倒的な清廉な美だった。
その者は、男のものの官服を着ていたが、中性的で性別というものがまるで感じられない。
背はそこそこある。しかし一見では、幼いのか、そうでないのかがつかみにくい顔をしていた。
ダスディンはそれを見て、眉間を苦々しくよせ、己が怒りすぎたことを思い知る。
彼の前で老将が笑った。
「ほ、ほ、ほ、何やら……やっかいなものが出てきましたな」
「……」
“彼”がキョロっと視線を動かすと、グレンとヴォルフガングが警戒したように王の前に立った。と、同時に、震える声が聞こえた。
「ど、どうなったの……?」
エリノアが、ブレアの腕の中から顔をあげていた。
恐々とまわりを見まわそうとして、自分を庇った青年がぐったりしているのに気がつき泣きそうな顔をする。そして、涙をぐっと抑え、その手がブレアの首の脈に触れた時。
その――揺れる緑の瞳を見て、“彼”が動いた。
「主!」
――凄惨な場にそぐわない嬉々とした声だった。
“彼”は倒れた人々の間で、嬉しそうにぴょんと飛び上がると、エリノアに向かって一直線に駆けて行った。
それを見たダスディンは憎々しげに視線を険しくする。が……邪魔しようとはしなかった。それが、彼にとっては害があり、姉にとっては害のないものだと、彼にはもう既に分かっている。
「え……」
ブレアの脈がちゃんとあることに少し安堵して。エリノアは今度は弟の姿を探してあたりを見まわそうとした――のだが。
己に向けて猪のように突進してくる誰かの姿にギョッとする。
次の一瞬で、誰かはブレアの腕の中からエリノアを軽々と抱き上げて。
目の前には、破顔した男とも女ともつかぬ顔。
わー! と嬉しそうに掲げられたエリノアは、目を白黒させる。
「主様!」
「え、だれ……ちょ、……」
戸惑うと、誰かは、今度は悲しそうな顔をする。
「主様ひどい! どうして早く迎えに来てくれないのですか!? ずっと傍にいたでしょう!? 王宮にずっとおられたの知っているんですよ!?」
恨めしそうな美しい顔に、エリノアは目を剥いている。その困惑した眉間は「意味がわからん」と物語っていた。
だが、今は行き成り現れた美形の言いがかり(?)に慄いている場合ではない。
「……と、とりあえず、下ろしてください」
エリノアがそう言うと、美形は「いやです」と真顔で来る。
エリノアはややイラッとした。おいこらまていまそれどころじゃねえよ、と息継ぎなしで心の中で思ってから。ひとまず冷静に、引きつる怪奇顔で状況判断を彼に促した。
「……あのですね、まわりを見てください。皆さん倒れてますよね? 助けないと……」
「みんな死んでませんよ?」
きょとんとする彼に、その言い方よ……とエリノアが呆れている。男は体つきのわりに、どうにも言動が幼いようだった。
エリノアは焦る気持ちを抑え、一瞬心配そうに足もとのブレアを見てから、とりあえず抱えられたままで弟や義姉の姿を探した。
今は静まっているようだが、怒り狂っていた魔王ダスディンの攻撃はどうなったのだろう。ルーシー、それに、ビクトリアの怪我のこともある。さっき自分を気遣ってくれたヴォルフガングのことだって。
視線を動かすと、辺りに大勢の人が倒れているのが分かりエリノアは息を呑む。
その折り重なるように倒れた人々の前、幾らか離れた場所に、警戒した様子の魔物二人と老将が一人、その後ろに弟の顔が見えた。
一瞬その姿にほっとしかけるが……
なんだかグレンがありえない顔でこちらを睨んでいる。ヴォルフガングはどこか、ほーら言わんこっちゃないと言いたげな渋い顔だ。そしていつも通りの老将の背後で――ブラッドリーの顔は、いまだ、大人びた、怒りをたたえた顔をしている。
冷たい顔に、まだ怒ってるのかどうしたら、と思いかけ――た、その視界に、
廊下の隅に横たわる義姉の姿を捉えた。
「ルーシー姉さん!?」
一気に顔から血の気が引いた。
「坊ちゃん(お嬢ちゃん?)! お願いですから下ろしてください! 義姉が……」
いや、彼女に限らずブレアだって、その他の人たちだってどうにかしなければ。
助けたいと懇願すると銀髪の彼は、きょとんとしたままなんでもない調子で言った。
「じゃあ治します」
「え?」
言うが早いか、彼はエリノアを抱えたまま、その場で唯一負傷しているビクトリアに近づいて行った。
そして、短剣の消えた両足の傷に手を触れる。とたんエリノアの手の甲が白く光る。
「!?」
驚いた次の瞬間には、ビクトリアの肌の上から鋭い刺し傷が消えていた。
「ぇ、ぁ……えっ!?」
「主様はまだ力が制御できないのですね。代わりに私がやっておきました。あとの者は魔王の力にあてられただけです。そのうち目を覚ましますから大丈夫です」
「あ、あの……あなた一体……」
展開についていけないエリノアがしどろもどろになって問うと、彼よりも先に低い声がそれに答えた。
「――聖剣」
「え?」
振り返ると、弟が静まり返った顔で彼を睨んでいた。
「せ……?」
「エリノア、そいつは聖剣だ」
「……へ……?」
その言葉に、エリノアが弟の顔と、彼の顔とを見比べる。
「………………えーっと……え?」
それしか出てこなかった。……一瞬、せいけんって……なんだったっけ、と頭が混乱する。
すると、聖剣と呼ばれた彼は微笑んで、疑問に傾いたエリノアの顔を見る。
「主様がいつまでたっても迎えに来てくださらないので、女神が私に新しき形をくださいました」
「は、ぁ……?」
あははは、と嬉しそうに言われ。意味が分からなかったエリノアは、とりあえず、何か重大なことを言われているような気がするのに、けろりとしてるなこの美形、と思った。
「…………」
「これからはずーっと! 一緒です」
主様好き! と、犬のように甘えられて――ブラッドリーが壮絶に嫌そうな顔をしたのだけは分かった。
…また男を増やしてしまった。
お読み頂き有難うございます。
またブラッドリーが怒りそうなネタを投入してしまいました(^_^;)
まあ、彼も結構あれだったので、ちょっとくらい嫌な思いしても良くないですか?良くないですか?笑




