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侍女なのに…聖剣を抜いてしまった!  作者: あきのみどり
二章 上級侍女編
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44 3人の悪魔と、恐怖

 それを聞きながら……エリノアは、勘弁してくださいビクトリア様、と思った。


 廊下の途中でエリノアを捕まえたビクトリアは、エリノアを不躾な目で値ぶみしてから、様々な言葉を並べ立てていた。


「彫りの浅い顔ねえ」とか、「その凹凸のない身体でどうやってブレアをたらしこんだの?」だとか。


 そのほかにも色々言わている気がするが……あまりにも内容がテンプレすぎる。

 個性のない嘲りは、彼女がエリノアのことをよく知らないせいか。それとも、エリノアの気を害してやろうということとは別に、何か思惑があるからか。

 ひとまず、聞いていて疲れることだけは確かだった。


 けれどもエリノアは、別にこの嫌味の見本市みたいな側室様の言葉を勘弁してほしいと思ったわけではない。

 使用人などをしていると、こうした貴人からの嫌味や八つ当たりなどは、時に避けようのないものだ。女社会で生きているのだ、そりゃあ、横関係でも色々ある。

 だからいまさらエリノアは、側室ビクトリアのチクチクした言葉を真に受けたりはしない。

「はい、すみません、さようです、まったくもって本当に」と、素直に話は聞いてはおくつもりだが……

 勘弁してほしいと思ったのは。怖いのは、こっちではない。


「…………」


 エリノアは、ビクトリアの言葉を、はい、はい、と聞きながら、己の背後から感じる気配に恐々と青ざめていた。

 背に刺さる冷気に思わずゴクリと喉を鳴らし、エリノアは、側室に見咎められぬ程度にちらりと後ろを振り返る。


 ――そこには……一見冷静そうに見える令嬢と、少年と、高身長の男が一人。


 赤毛の令嬢は、側室に向けてにっこり笑みを浮かべながら――実は、エリノアの背に隠れた死角で、己の手を目一杯怒らせている。

 怒気をはらんだ指は、力のこめすぎで血管が浮き出て、全ての節でぎりぎりと折った指がまるで鬼の手のようである。

 時折――ガリッ……ガリッ……と、恐ろしげな音がする。

 どうやら……令嬢が己の腕に爪を立てているようで……指先が美しく艶やかに整えられているだけに、何か余計に怖かった。

 ビクトリアが口を開くたびに、彼女の口からは骨のきしむような歯ぎしりの音が低く漏れて、令嬢の憤まんが相当なものであると如実に伝えてくる。

 ……それを悟ってから見る令嬢の笑顔は……非常にホラーで怖かった。


 その隣にいるのが、黒髪の少年姿のグレン。

 グレンは少しアゴを下げ、表面的な薄ら笑いでビクトリアを見つめていた。

 しかしひたりとした目は少しも笑っておらず、下から虎視眈々と獲物を狙うような暗い魔物の双眸は、彼が今、少年姿であるだけにそのいびつさが際立った。何を考えているのか分からぬ顔は、言いようもなくエリノアの不安を煽る。


 そして――そんな彼らの一番うしろに立っているのが魔物武将ヴォルフガングだ。

 もはや彼に至っては、側室妃に対して愛想笑いすら浮かべていない。

 幸いにも、その身長があまりに高すぎるのか……身長の低いエリノアに嫌味を言うことに夢中のビクトリアの視界には、彼の顔は目に入っていないようだ。が……

 横目で彼を見上げたエリノアは……男の背後に白い悪魔を見た。


 怒りで膨らんだ巨大たわしのようなモッフリ楕円形の白い影。上には二つ、三角の耳がちんまりと乗っている。

 巨体の背後にずもももも……と音のしそうなドス黒い闇の渦を背負い、瞳は爛々と赤く光っている。そこから発せられる怒気に、エリノアは心の中でワッと顔を覆い、なげいた。


(なんか……変なものが見える……!)


 もしかして、これも聖剣をぬいた影響か何かなのだろうか。

 楽しげに嫌味をくれるビクトリアなどよりもよほど恐ろしい。

 ――正直、魔物二人も恐ろしいが、そこに何の違和感もなく並んで怒りまくっているルーシーが怖かった。


(お嬢様……魔物と同レベル……どうしたらいいのこれ!?)


 大柄な身体をよろめかせる、彼女の父、タガートの青ざめた顔が見えるようだ。


 それでエリノアが思わず苦悩の表情を浮かべると、ビクトリアがそれにあらという顔をする。どうやらそれが自分の成果だと思ったらしい。


「あーらあら、どうしたのそんな顔をして。下々の者はこれくらいの言葉で傷つくのかしら?」


 怖すぎて、うっかり側室妃のありがたい言葉の数々を聞きそびれていたエリノアが顔を上げる。まだ、しゃべっておられたか、とハッとするも、次の言葉にエリノアは驚いた。

 ビクトリアは楽しくて仕方ないという顔で、くすくすと笑う。 


「そんなわけがないわよねぇ、だって、お前、あのトワイン家の娘なんでしょう? あの狡猾な男の娘なんだったら、これくらい、なんてことないわよね?」

「…………え……」


 側室の口から自分の家名が出たことがとても意外だった。目をまるくしてビクトリアを見ると、彼女はころころと笑いながら言った。


「石頭のブレアを篭絡させるなんて、どんな邪智深い手を使ったの? 父譲りの手管をぜひ私にも教えてほしいわ。もしかして……ブレアに近づいて家を再興させたいのかしら?」

「待ってください……そんなこと……」


 うまくやったわねぇというビクトリアに、エリノアは言葉をなくす。

『邪智深くブレアに近づいた』などと言われたこともショックだが、それよりも、父のことを『狡猾な』などと言われたことが何よりも衝撃だった。


「……父は、」


 言い返したかったが、相手は国王の側室妃。エリノアはそこで言葉を切る。

 亡き父は側室と敵対する派閥であったからある程度悪く記憶されているのは仕方がないかもしれない。

 しかしもとはと言えば、父が亡くなったのは彼女たちがエリノアの家を追いこんだせいである。

 悔しさが胸に渦巻いた。悔しく……悲しかった。

 貧しさに立ち向かうことに手一杯で、心の底に封じ込めるしかなかった恨みの感情が……彼女の手によって無理やり引っ張り出されるようで苦しかった。



 ――だが、

 エリノアが賢明だったのは、ここで悔しさに呑まれなかったことである。

 もしここで自分がビクトリアの喧嘩を買えば、きっとブレアにもルーシーたちにも迷惑がかかることだろう。

 それにおそらく……側室妃は自分を挑発しているのではないとエリノアは思った。

 この人は普段から人々の上にしか立ったことがない。こんな下っ端に反論されるなんてことは想像すらしていないだろう。

 彼女はただ、エリノアをいたぶることでパートナーであるブレアを貶めたいのだ。

 彼女がブレアの名を口にする時、そこにある棘にはエリノアも気がついている。

 もしくは他にも何か思惑があるのかもしれないが、それはエリノアには分かりえぬことだった。


 だとしたら、とエリノア。

 今ここで自分にできるのは、場をうまくおさめ、彼女の悪意をここだけで消化させてしまうことだ。

 何も、ブレアにまでことを及ばせることはない。この棘のある言葉の数々を胸におさめ、自分が気にしなければいいだけだ。


「…………」


 だからエリノアは悔しさを耐えて、スッと冷静な顔をして見せた。

 

「……滅相もありません。わたくしのような者が、ブレア様にそのようなこと、お頼みできようはずもありません」


 腰から身体を折り、争う気はないと示すためにビクトリアに頭を下げる。自分が冷静な顔を見せれば、後ろで怒り狂っている三人も少しは落ち着くだろう。


 しかし、ビクトリアは下げられたままのエリノアの頭に、悦に入った笑いを放る。アゴを上げ、目の下を盛り上げるようにした笑い方は、いかにも、敵にまわった者にはトドメを刺すまで許さないという執念がにじんでいるように感じられた。

 蛇のような威圧感に、エリノアの背筋が凍る。

 ビクトリアは、「そう?」と目を細め、エリノアの心をえぐろうと口を開く。


「では気が変わったら教えなさい。ブレアに上手く取り入ってトワイン家が再興したあかつきには、私がまた潰してあげるわ、楽しみになさいね」

「――」


 高慢で、心ない言葉の棘に、エリノアの顔が一瞬痛みに耐えるような表情をした。

 父のことも、没落後の苦労も、何もかもを嘲笑うかのような――その瞬間が、


 

 ――側室ビクトリアの運命を分けた



 突然、廊下に悲鳴が上がった。


 つんざくような声に、エリノアを含めた周囲の者たちが皆ギョッと身体を強張らせる。

 異変を察したヴォルフガングが、エリノアの背後から俊敏に手を伸ばし、娘を強引に抱きかかえて。

 次の瞬間、廊下のあちらこちらでランプやシャンデリアの上のロウソクが破裂するように消し飛び、周囲から悲鳴が上がった。――場は恐怖に包まれていた。


 そんな中、ひときわヒステリックな悲鳴が居合わせた皆の視線を集める。

 薄暗い中に誰かが倒れている。


 ――ビクトリアだ。


 恐怖に歪んだ顔は、震えながら、彼女自身の足を見つめていた。

 美しい踵の高い靴を履いた両足に、深々と黒い、禍々しい形の短剣が刺さっていた。


「ひっ……誰か……っ!」

「ビクトリア様!?」

「!?」


 痛い、痛いと泣き叫ぶ側室妃に、まわりの者たちは慌てて駆けよろうとする。だがその足はすぐに、うっと止まる。

 気がつくと闇の中からなお黒く、そして薄く、短いものが現れて、彼らの鼻先に迫っていた。


 ――おびただしい数の短剣の群れだった。


 その異様な光景に、誰もが凍りついたように動くことができない。

 まるで海の底から大きな魚群を見上げているかのようだった。

 ビクトリアの足に刺さる黒々とした短剣と同じものが、ずらりと空に浮かび、誰かが身動きすると、その切っ先が行く手を阻む。

 彼らのよく肥えた腹や、背、それから喉元に短剣が忍びよると、ビクトリアの取り巻きも、駆けつけた衛兵たちも、怯えたように後ずさった。


「これ……」


 青ざめた顔でエリノアがつぶやいた。ヴォルフガングにつかまりながら呆然としていると、傍でグレンが愉快そうに高笑う声が聞こえた。

 それと同時に、暗くなった廊下に濃い霧のようなものが現れた。

 グレンは一人、霧に向かってひざまずく。

 その中からゆっくりと浮かび上がってくる青白い顔に――エリノアは愕然とした。


「……ブラッド……」

 

 かすれる声で言いながら、どこかで、そうだったという後悔の念がエリノアの胸をぎりぎりと絞めつけた。私より、弟に、一番聞かせてはならない言葉だった。


 弱々しいエリノアの呼び声に反応はない。

 ブラッドリーは闇の霧をぬけて廊下に降り立つと、そこで悲鳴を上げ続けるビクトリアの前に立った。

 静かな瞳に怒りが燃えている。


「……耳障りな声が聞こえたみたいだけど……お前か」


 暗い眼光は、短剣よりもなお鋭くビクトリアに刺さるが、側室は足を貫く短剣のせいでその場から逃げることもかなわない。

 短剣は、彼女の足を大理石の床に磔るかたちで縫い止めている。わずかな身動きですら、相当な痛みを感じるはずだ。

 近づいてくる不気味な少年に、ビクトリアの喉からは、ひ、ひ……と、ひきつれたような声が漏れていた。それを聞いて、呆然としていたエリノアが我にかえった。


 エリノアは、ヴォルフガングの手を振り解くと、ドレスの裾に足を取られ転びそうになりながら、ビクトリアの前に立ちふさがった。


 ――弟が、人を傷つけたのを見たのは二度目だが、ブレアの時よりも、ビクトリアの傷は何倍もひどい。流れ出た血はビクトリアの下にたまり、彼女の顔は血の気が引ききっている。


「やめて……ブラッド……」


 やっとのことで言葉をしぼり出すと、弟はにっこりと笑う。


「姉さん、どいて?」


 無邪気な顔だった。だが、瞳の奥に突き抜けたような彼の怒りを感じた。


 しかしできるはずがない。

 そんな、今にも側室妃を射殺さんとするような目の弟の言うままになど。

 どうすれば、と周囲を見ると、先ほどまで彼女たちが立っていた場所に、ルーシーが一人で呆然と立っているのが見えた。


「陛下!」


 その時ヴォルフガングが動いた。ヴォルフガングはブラッドリーに駆けより、おやめくださいと懇願する。


「陛下、ここであまりお力を振るうと……」

「すぐ済む」


 配下の言葉を一蹴する言葉に、何が、とエリノアは怯える。


「……してはいけないことだわ、ブラッド」


 言うと、弟はいいやと首を振る。


「私は、もう、その耳障りな声を聞きたくはないんだエリノア。父を愚弄し、お前を悲しませる喉など、切り裂いてしまえばよい」


 いつもは“僕”と言うブラッドリーが“私”と言った。

 その以前と同じ兆候に、エリノアは心臓がスッと冷える。口調が変わるのは、中身が入れ替わるせいなのか。

 どきなさい、と、大人の声で言う弟に、エリノアは強く首を振る。

 止めなければならない、自分が、必ず。


 

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