41 その男は今更何をと言った
「…………ヴォルフガング……?」
恐る恐る問うと、ああ、と静かな応答があった。
エリノアは目をパチパチさせて。息をつめてその顔をまじまじと見た。
──そうしている間に。
自らをヴォルフガングだと言った男は、懐から手ぬぐいを取り出すと、水場に浸してエリノアの髪を拭い始める。
「……人間にも、なれるんだ……」
返事はなかったが、それはそうかとエリノア。家ではコーネリアグレースも頻繁に人に化けているし、彼は彼で、元は獣人の姿で、普段から犬に化けているわけで。以前は巨大ウサギに化けていたこともあった。
「……便利だねぇ……」
ひとまずそう言ってみると、ヴォルフガングは今更何をと言いたげに鼻を鳴らした。
「まあ、犬の姿であのホールの中をうろつく訳にも行くまい。木を隠すなら森、だ」
「はあ……」
まあ、それはいいんだけどと、エリノアはいささか渋い顔を作る。
「つまり……ブラッドが、私のことが心配であんたたちをここに寄越したってことよね……?」
問うと、それどころか、と再び鼻を鳴らされる。
「ホールの上には陛下もおられる」
「え゛!?」
ヴォルフガングの言葉にエリノアがギョッと目を剥いて上を見上げた。
「……ゆえに、あまりあの男とベタベタせぬ方が身の為と思うぞ」
「ど……、え!?」
「ことと次第によっては、また陛下はお怒りになり、それによって魔物が呼び出されるかもしれぬし……それ以前に、ダンスホールの天井が落とされるかもしれぬな……」
「ちょ、ちょっとぉ!?」
不安を煽る忠告にエリノアがオロオロすると、ヴォルフガングがエリノアの髪を手ですくったまま、動くなと顔をしかめる。
「動くと髪が拭きづらい」
「あ……ごめ……ああっ!!」
「!?」
言われて葡萄酒のことを思い出したらしいエリノアは、慌ててヴォルフガングの服を鷲づかむ。
「……おい、動くなと……」
「だって、これ染みが!」
エリノアは悲壮にそう言って。その顔で見上げられたヴォルフガングは思わず黙り込む。
確かに……エリノアのドレス同様、ヴォルフガングの服にも葡萄酒の赤い染みが出来ている。
次の瞬間、エリノアは、よし、と、ヴォルフガングの腕を取った。
「脱いで」
「……」
切羽詰まった真顔にヴォルフガングが仏頂面を険しくした。
「さ、早く!」
「……いや、お前の衣装が先だろう」
「それもあるけど、とりあえず脱ぎなさいよ!」
あんたの上着は直ぐ脱げるでしょ! と……エリノアはヴォルフガングから、その上着を奪い去った。
……さて。そうして傍にあった桶に水を張り、ヴォルフガングの上着を突っ込んでから、エリノアはようやく己のドレスを手に取った。
「あ、あ、どうしよう……こっちも早く洗わなきゃ……」
「……だから言ったのだ。さっさと自分のことをやればよいものを……お人よしの世話焼き娘め……」
上を脱がされたヴォルフガングは、やれやれとエリノアを見る。
エリノアのドレスは、すっかり葡萄色が布地に染み込んでいて、布で拭くなどという処置ではどうにもなりそうになかった。
「? どうした、お前も早く水を使え」
エリノアの髪をせっせと拭いてくれながら、ヴォルフガングが不思議そうに言う。
「いや、だってこれもう……」
エリノアは戸惑った。染みは肩口からウエスト下までに縦に広がっている。
「? 脱げばいいだろう」
「いや、でも……」
もう辺りは真っ暗で、今日は使用人たちも忙しくて他に人目はないとは言えだ。エリノアは、変わり果てた姿のヴォルフガングを見上げた。
白い髪の人間男性に化けたヴォルフガングは、一刻を争うのではなかったのか? と、エリノアを不思議そうに見ている。
「…………」
エリノアは迷った。
確かに一刻は争っている。こんな高いドレス、エリノアには弁償出来ないし、染みは早めに落すのが肝心だ。
けれどもだ。エリノアはちょっと思った。
舞踏会に王子のパートナーとして参加しているのに、何もこんな野外で染み抜きしなくても……と。
しかし自分を連れ出してくれたヴォルフガングの正体を思うと……彼を連れて王宮内に戻るのは戸惑われる。
「……おい、何を百面相している。はやく脱げ」
……そしてこれだ。と、エリノア。
いくらなんでも、こんな成人男性の前でドレスを脱いで、ビスチェやら下着やらのむき出し状態になるのは、うら若き乙女としてはいかがなものか。
「……えーと……あの……ヴォルフガングさん……ちょっと後ろを……」
と、言うと、途端にヴォルフガングの眉間に怪訝そうな皺が寄る。
「? 何を言っているんだ? それは私に見るなということか?」
「ええ……まあ……一応私、うら若いんで……」
本気で意味が分からんと言いたげな男(魔物)に、エリノアはそう返すが……
ヴォルフガングは、犬の耳がいつも通りそこについていたとしたら、恐らく後ろにぺったり倒しきったんだろうなぁと、エリノアにも分かるような不審げな顔をした。
彼はじっとりした目でエリノアを見る。
「……お前……昨日も家で、私の前を下着姿でうろついていただろう……?」
「う……!」
指摘されたエリノアがぎくりと呻く。
「あ、あれは……昨日は色々悩んでたし……洗濯物間違ってブラッドの部屋に仕舞っちゃって……そ、それで寝巻きがどこにあるかも分からなかったから……つい……」
「それに、先日は風呂場に石鹸がないとか言って私に持ってこさせたこともあったぞ。私はしっかり見たぞ。今更脱ぐくらいが何なんだ?」
「……………………」
エリノアは。
顔を両手で覆って項垂れた。
──確かに……!!!!
激しく猛烈に己の行動を悔いていた。
「う……だ、だって、ヴォルフガング、犬だったし……」
うっかりしていた。犬は犬でも魔界の魔物だった。
「しゃべるし、化けるし……でも犬で……人間になるなんて……」
「お前は……」
ヴォルフガングはジト目でエリノアを見る。そして、そのたてがみのような髪をやれやれと小さく左右に振って、ため息をつく。
「はあ、もう気にするな。私はこれでも千年以上生きている。今更、百にも満たない人間など、赤子も同然だ。気にするな。脱げ」
「いや無理ですから」
エリノアは、キッパリと手を上げてお断りした。
お読み頂き有難うございます。
短いので何とかなりました(^_^;)
…エリノア、日常で結構なことをやらかしていたようです。
エアコン、業者さん来てくれました!涼しい!うれしい!
また頑張ります!
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