7 生真面目王子の困惑
「もう世の中は別に魔王の脅威に怯えているわけでもなんでもありません……!」
──と、娘は必死の顔で言い募っている、……のだが。
その表情はどこか怪談でも読み聞かせるかのごとくおどろおどろしい。
少々青ざめた顔にじわりじわりと滲む汗。不気味な緑の双眸の怪しい光に──ブレアは思った。
(…………勇者とは……かような生き物であったのか……)
青年はいたって真面目な顔である。表面的には冷徹な表情は眉をひそめた程度にしか動じていなかったが、心の中では未知との遭遇に少々動揺しているようだった。
だからこんなことを考える。
(……いや、千年もの間選ばれる事のなかった勇者が常人なわけがないのか……)
(……しかし、国としてはこの勇者をどう扱えば……清廉な王太子殿下にこの顔を見せても大丈夫だろうか……)
(いや、しかし、表情を整えればわりに愛らしき顔だったような…………)
と、思考にふけっていたブレアに、怪談顔の娘は若干イラッとしたらしい。娘は見開いていた瞳を余計に開き、王子であるはずのブレアに怒り出す。
「殿下! 我が決死の上訴、ちゃんとお聞き下さっておりますでしょうか!? 私……苦労して王宮侍女になったんです!」
「……ああ……すまない……お前があまりに予想していた勇者像からかけ離れていたゆえに少々対策を練っていた」
ブレアが真面目に謝ると、娘はいえいえと首を振る。
「練ることありません。そこは殿下の予想通りの勇者を選びなおすべきです。もういっそ……殿下がお抜きになったとおっしゃればことはまるく収まるのでは」
娘はそう言いながら、地面に転がされたままだった聖剣を拾い上げ、ブレアのほうに差し出した。
しかし、ブレアはきっぱり「ならぬ」と首を振る。
「その様な不正を働く気はない」
「しかし殿下、これは人助けですよ!?」
娘は一瞬まともに戻っていた表情を、再び怪奇顔に戻してブレアの前でぶるぶるわなわな聖剣を握り締めた。
それを見たブレアはまた眉をひそめ、その顔の落差にある種の畏敬の念を抱く。
(……凄い顔だな……)
そんなこととは露知らず……恐らく知ったとしてもやっただろうが、娘は地団太を踏んで切実な思いを吐露した。
「わたくしめ、この間長年我が前に高い壁として立ち塞がっていた上級試験にやっと合格してですね……来月には上級侍女になるお許しがいただけるはずなんです! あの、あのツンしかないような侍女頭様から、『良かったわね、やっとなの。これからも負けずに精進するのよっ』と……涙ながらのお褒めの言葉をかけられたばかりなのです!」
「…………」
「それに、当家は両親が亡くなってもうおりません。まだ成人前の弟は病気がちで……私本当に、今職を失う訳にはいかないんですっ」
「……っ!? おい!」
必死のあまりか、娘が聖剣を乱雑に扱いはじめ、それを見たブレアが顔色を変えた。それは国宝とも言える代物なのである。折れようものなら大事だ。
「おい勇者よ、落ち着……おいっ!? 聖剣を振り回すな!!」
しかしそれを聞いた娘は再び地団太を踏む。どうあっても“勇者”と呼ばれるのが嫌らしい。
「おやめ下さい、勇者じゃありませんったら!! その名で呼ばれるたびに我が心身全体には過度の動揺が走ります!! がたがた震えて今にも聖剣折ってしまいそうです!!」
いいんですか!? と……娘は最早ブレアを脅していた。
普段、普通の良識ある娘とすらあまり交流のないブレアはめまいがした。憤慨する娘をどうすればなだめることができるのかが皆目分からない。
そうしてブレアが判断に迷っているうちに、目の前の娘は更に言い募る。
「今回は……そう、きっと女神様側にも何か判断ミスがあって……そのご事情を汲んで差し上げましょうよ殿下! 千年も聖剣は抜けませんでしたが、国は国王陛下がご立派に治めてこられたではありませんか……そうでしょう!? ね? 何も、こんな弱々しい小娘に勇者職を押し付けなくても国は今平和です、殿下!」
「っおい!? 何を……」
──と、ブレアが目を見張った瞬間──……
その娘は「国王陛下万歳!」と叫びながら、大きく聖剣を振り上げた……