29 ブレアの不満
「ど、どうしよう……」
エリノアはどうすれば暴走したルーシーを止める事が出来るのか考えた。
①早退させてもらってタガート家に乗り込み、令嬢を止める。
「あ、ダメだわ……これは多分お屋敷で奥方様と喧嘩になる……」
まずエリノアが屋敷に行けばきっと夫人はそれだけで、身構えるに違いない。
それにルーシーはタガート夫人が、令嬢とブレアの婚約には乗り気だと言っていた。
そこにエリノアが口出しすれば、きっととてもややこしいことになるだろう。
「じゃ、じゃあ……」
②王宮で勤務中のタガート将軍に助けを乞いに行く。
「……いやこれも……将軍に、恋に高ぶったお嬢様を止められる……かしら……」
もし下手にタガートが止めに行けば……表向きは父に当たりのキツいルーシーに、さっきのような調子で『分かったじゃあ駆け落ちする』……とか言われて、将軍は撃沈するかもしれない。
だって、とエリノア。あのパパ大好きっ子令嬢が、頬を赤らめながらお相手を『パパより好きかも……』などとまで言っていたのだ。
追い詰められたルーシーが一番反発しそうな人間を、今、差し向けるのはまずい気がする。
では、と③案を考える。
こうなれば最終手段だ。ルーシーが役所に駆け込む前に、どこかで己を見張っているはずのグレンに頼んでなんとか止めて貰おう──
──かと、思ったが。
想像上で出会ったグレンとルーシー嬢は、壮絶な顔をして対峙していて──……
暗雲を背負い、鷹のような目でずもも……と仁王立ちする令嬢と、にゃははと悪い顔で笑う魔界の黒猫……
「っ、駄目だわっ! お嬢様とグレンの組み合わせは……なんか最強(恐)に怖い!!」
エリノアは、わっと両手で顔を覆った。
だが、このまま放っておくことも出来ない。
やっぱりタガート夫人との衝突を覚悟で将軍家へ乗り込むか──……と、げっそり覚悟を決めようとした時。
「……どうした」
「え……」
低い声が掛かって。
エリノアがパッと顔を上げる。
「! ブレア様!」
──気がつくと……ブレアが廊下の向こうからこちらを見ていた。
エリノアは、ハッとした。いつの間にか──廊下のど真ん中でへたり込んで(わめいて)いたらしい。
そんな己の侍女の姿に、ブレアは怪訝そうな視線を寄せながら近づいてくる。
(……ついでに言うなら、少し先に立っていた衛兵たちもとてもとても不審そうな顔をしてこちらを見ていた)
ブレアはエリノアの傍に立ち止まると、目の端に滲むものを見て眉間にシワを寄せた。
「……何かあったのか? ルーシー・タガートはどうした。一緒だったのでは?」
「ぅ……」
言いながら、ブレアはエリノアの腕を引き立ち上がらせようとする。
エリノアは──……
思わず叫んでいた。
「で、殿下っ!」
「ん?」
「お助け下さいっ!!」
「…………なるほど……それで、ルーシー・タガートは飛び出して行ったと……」
控えの間に戻ると、ブレアは、先ほどルーシーがクダを巻いていた長椅子の上にエリノアを座らせた。
己はその傍に立ち、腕を組んで。青い顔でガタガタしているエリノアを見下ろした。
……おそらくこの現状を侍女頭にでも見られれば、エリノアは、『殿下を立たせて自分が座るとは!』──と、叱られただろうが……
ひとまず彼女はそれどころではなさそうだった。
娘は、拝むような形で両手を一心にすり合わせている……
「申し訳ありません申し訳ありません……! 私め、殿下の使用人としても、お嬢様の親しき者としても、タガート家に大恩ある身としても……ルーシーお嬢様を縛り付けてでもお止めしなければならなかったのに……!!」
「……」
ブレアは無言の下で、令嬢のまるで鋭い剣舞のような踊りぶりを思い出し──あの娘を止めるのは容易ではないだろうなぁ……と思った。
「殿下、どうかお嬢様を止めて下さい! お嬢様は絶対やります! わ、私めがブレア様と舞踏会に出るなんて……そんなこと、そんなこと無理に決まって……っ、あって良いはずがないのに……!!」
エリノアの言葉にブレアは一瞬片方の眉を僅かに持ち上げたが、彼は静かに言った。
「…………放っておけ」
「え!?」
ブレアの平坦な声にエリノアが立ち上がって驚愕する。
あの暴走令嬢を放っておくのか、それは如何にも大変な事になりそうではないか。そう戸惑うエリノアに、ブレアは冷静な顔で続けた。その顔は、何ら騒ぎ立てることでもないと言いたげである。
「まあ聞け。……ルーシー・タガートが何らかのコネで書類を揃えて来たとしても、お前はもう成人している。まだ己の意思を明確にできない年齢ならいざ知らず、お前はそうではない。本人が拒否すればそれまでだ」
「…………。…………あれ?」
それに、とブレア。
「お前がタガートの養子になったとしても別に支障はないのでは? 家名が気になるのか? だが弟がいると言っていたな?」
それならば家名は残るのでは? と言われ、エリノアは困惑する。
「………………えーと……」
なんだか──冷静な調子で返されると、ちょっとなんで騒いでいたのか分からなくなったエリノアは……しかし、ハッとしていやいやいや、とブレアに訴える。
「ち、違います! 問題なのは、ルーシーお嬢様がブレア様のお相手を拒否して、私に代わりを務めさせようとしているところです!」
「……」
「まさか私が本当に踊るわけにも行きませんし……お嬢様がお相手役を放り出したことが分かったら……タガート家にもお叱りがあるでしょう。それに……何よりブレア様が……」
舞踏会が明日に迫った瀬戸際に、彼がパートナーに拒絶されたことが世間に知られたら、それはブレアの名誉を傷つける。
既に多くの候補者が辞退してきているのだ。急に別の候補者が見つかるとも思えない。
──かと言って、単なる侍女である自分が代わりにブレアと踊るなんてことをすれば、ブレアが相手も見つけられず、自分の侍女などを連れて来たと、逆に嘲笑されるのではないだろうか。それこそクラウス王子の思惑通りというものではないか。
ブレアが自分のせいで後ろ指さされるなんて、絶対に、嫌だった。
「……私がブレア様と踊るなんて、絶対無理……」
「……」
エリノアが泣きそうな顔をしてぽつりと漏らすと、ブレアはそれを静かに見ていた。
「……別にそれは構わん」
「……え!?」
「私に相手がいない件だ。それはいつものこと。国王陛下もそれはご存知だし、今更、そのようなことで世間に笑われようが気にならん。まあ……色々と私の為に思案して下さっていたらしい陛下と母上には申し訳ないが──今回も、踊りが上達せず踊りたくないゆえ、私から相手に断りを入れたとでも申し上げておく」
「そ、そん……っ!?」
な、と、エリノアが驚く。それでは、まるきりブレアのせいという事になってしまうではないか。王宮内でブレアが国王の舞踏会をも無下にするような王子だと悪評が立ってしまったら……それは臣下たちの信頼を損ない、彼の立場を危ぶませる事にも繋がらないか。
エリノアは、サッと青ざめて。安易に彼に頼ってしまった自分を後悔した。
──しかし、ブレアは心配するな、と言う。
「タガート家には害がないよう配慮しておく。令嬢と上手く踊れなかったのは事実。それに、私の婚姻関係で令嬢に迷惑をかけていることには私に非がある」
ブレアは小さく笑い、そして、エリノアの頭をぽんぽんと柔らかく打つ。
「案じるな」
「っ、ブレア様いけません!」
それでは結局ブレアに全てを押し付けているだけだ。
そんなことは出来ないとエリノアは口を開く。
……が。
その言葉を遮って、ブレアが「だが、」と声の調子を下げる。
「それよりもだ……」
「……え? それよりも……?」
ブレアはどこか不機嫌そうな表情になっていた。
それまで冷静に話していたはずの王子の顔が、急に雰囲気を変えたことにエリノアが戸惑う。
ブレアは、エリノアを真っ直ぐに見て、言った。
「……お前は──……私と踊るのがそんなに嫌だったのか?」
「………………へ?」
問われた言葉にエリノアが瞳を瞬く。
「……あの時、楽しかったのは私だけか。」
真っ直ぐで、憮然とした言葉には……思わずエリノアはぽかんとして。一瞬ブレアの瞳に気圧されたエリノアには、……それが──今、己が口走った『ブレア様と踊るのなんて……』という言葉に向けられたものだとは……この時は気付く事ができなかった。
「ぇ……あの……」
「……」
ブレアは──しばし己を見上げるまん丸の緑色の瞳を無言で見下ろしていたが……不意に──ふっと気まずそうに、目をそらす。
「……いや……すまない」
「え……?」
「言葉尻を捕らえるような真似をした。少し気になっただけだ。……お前にも、楽しんでいて欲しかったなどということは……私の勝手だな……」
その言葉に、エリノアが息を呑む。
しかしブレアの表情は、次の瞬間にはもう元に戻っていた。
「とにかく、その件は気にするな。タガート家にはこちらから断りを入れておく」
「………………ぁ……」
ブレアはエリノアが応える前に彼女に背を向ける。そして短く仕事に戻るようエリノアに言い残すと、そのまま颯爽と控えの間を出て行った。
──後に残されたエリノアは、呆然と立ち尽くしている。
お読み頂き感謝です。
誤字報告も有難うございました!助かります!
ちょっと拗ねてしまったブレアですが、二人の仲と、暴走令嬢はどうなるのでしょうねぇ…
余談ですが、現在何故か書き手の中でリード株がダダ上がりです…笑




