28 エリノア、お嬢様に“お姉様”と呼ばされる。
「忘れたのエリノア……あんた、誰のおかげで王宮侍女になれたんだったかしら!?」
椅子から立ち上がったルーシーに、叩きつけられるように言われたエリノアが、うっと仰け反る。
「止めるパパを説得してあげたの私だったわよね!?」
「そ、それは……」
当時──全ての家財を没収された姉弟が生きていくには、エリノアはなんとかして生活費を稼がなければならなかった。
しかし、その時エリノアはまだ十代そこそこという年齢で。おまけに病弱な弟を抱え、本人は温室育ちときている。
そんな彼女らを案じた人情家のタガートは、エリノアが働くことに反対し、夫人の反対を押し切って二人を養子にしようとした。……のだが……
それを、エリノアたちは拒んだ。
姉弟は、自分たちが将軍家に養子に入ることで、代々受け継いで来た“トワイン”という家名が消えるのをとても恐れていた。
父はその家名を何よりも誇りに思い、守り続け、そして守りきれずに無念のうちに死んでいった。
そんな父の死に際を思うと、二人にはそれが出来なかったのだ。
──そんな二人の想いを当時、とても理解してくれたのがルーシーだった。
その時すでにかなりのファザコンが進行していたルーシーには、父を思う二人の気持ちがよく響いたらしい。
ルーシーは得意の『クソ親父』節を駆使して、タガートを下し──いや、説得した。
それで結局タガートは、二人の後見人という立場に留まり、エリノアが王宮で働くことができるように手配してくれた──という経緯がある。
過去、そうして無理を通してもらったことを思い出したエリノアは反省の意を見せた。
「そ、その節はわがまま申しまして……」
床に正座で項垂れる娘へ、それでもルーシーは容赦ない。
「わがままだとは思ってないわ。でも、あんたが王宮に入れたのだってうちの後ろ盾あってのことでしょ。王宮は身元の明らかなものじゃないと採用しないんだから。それに、今住んでいる家だってタガート家の名義じゃない。忘れたの!?」
「う、……お、大家さん……っ!」
そうだった……! と、エリノアは……もはや項垂れを通り越して床の上に這いつくばっている。
昔タガートの夫人と衝突したエリノアは、将軍の屋敷を飛び出した。が……まだ未成年だったエリノアでは、物価の高い王都に家を借りることが出来なかった。
それを見かねたタガート将軍が用意してくれたのが、今のトワイン家姉弟の家である……
もちろん家賃は払っているが……周囲の相場に見合う相応の家賃を払えるようになってきたのは本当にここ数年の話で……
「…………」
エリノアの脳裏に、ちーん……と、どこか詰んだ音が鳴る。
ルーシーは勝ち誇った顔でにっこりと笑った。
「後見人はパパで、私に(タガート家に)恩があって、家もタガートのもの……てことは、あんたには私に従う理由があるの。……違う……?」
「う……」
「エリノア? さ、お姉さんって呼んでご覧?」
「う、うう、お……お姉様……」
エリノアがげっそり素直に従うと、ルーシーの表情が輝き彼女は大きく高笑った。
「ほーほほほ! ほーらご覧なさい! つまり……私があんたを妹と言い張ったって、なぁんの問題もないのよ!!」
しかしその主張にエリノアは、ちょっと待ったぁっ! と挙手をする。
「確かに恩も理由もありますが……! それはどうかと……!」
「妹が姉の代役務めて何が悪いのよ!」
「いや、だから妹じゃないでしょう!? 幾ら何でもそんな……何事にもお偉方の許可っていうものがですね……相手は第二王子殿下なんですよ!? 国王陛下だって参加されるし……タガートおじ様だってきっと困る──」
と、エリノアが必死にルーシーを説得しようとすると、令嬢は、不意に真剣な顔つきになり、瞳が僅かに潤った。
「え……ど、どうし……?」
令嬢の急変にエリノアが狼狽えると、ルーシーはシュンとした顔で泣きそうな目元を彼女に向ける。
「無理は分かってる……でもお願いよエリノア……私、このままだと……ブレア様のお妃候補にされちゃうのよ……」
その言葉に、エリノアは一気に目を丸く見開いた。
「……え……っ!?」
息を呑むような短い悲鳴を上げて令嬢を見ると、ルーシーはうつむいたままため息をついた。
「ブレア様はなかなか浮いた話もないし、ご縁談もうまいく行ってないでしょう? それで、国王陛下も王妃様もかなり心配なさっておいでで……これまでとは同じ、ただ、縁談を持って来るやり方のままではもう駄目だと思われたのね……つまり、今回の舞踏会、殿下のパートナー候補たちは皆、そのまま国王陛下たちが選んだお妃候補なのよ……」
そうして少しずつ練習会の期間を含め、候補者の中からブレアと相性のいい娘を見極めるつもりだったらしい、とルーシーは言う。
しかし、その半ばで、想定外に多くの辞退者が出た。当然、国王たちは残った娘達に目に留めるだろう。
エリノアは何と言うべきか分からずに、口をつぐむしかなかった。
「タガート家は思いっきりブレア様と陣営を同じくしてるし、パパとブレア様はとっても親しい間柄よ。つまり、私にも白羽の矢が立っても当たり前で……しかも、うちは母さんが思い切り乗り気だから簡単に断れないの!! “貴女みたいな跳ね返りには、ブレア様くらい厳格な方がちょうどいい”……とかなんとか……!」
万年反抗期嬢は、話しているうちにだんだん腹が立ってきたのか、地団駄を踏んで訴える。
それを聞いたエリノアは、心の中がざわざわした。
「そ……」
んな、とつい言いそうになって。……言えなくて。
エリノアは、小さく、「そうなんですか……」と、言い直した。
(そうか……お妃候補……)
それはそうだ。ブレアは王族で、王位継承権も高い。そういった話があったとしても何らおかしな事ではない。
……でも、エリノアは苦しかった。さっき、ブレアとルーシーが並んでいた様子を思い出すと、更に胸は痛んだ。
「………………」
「エリノア助けてよ、さっきの私たちのダンスを見たでしょう!? 確かに年齢とか家柄とかはちょうどいいかもしれないけれど! 私とブレア様、相性いいように見える!?」
「……………………でも、お互いを高めていくような……ご夫婦になら、なれるのでは……」
ルーシーにすがられたエリノアは、次第に自分の声が小さくなっていくのを感じた。
不意に、騎士オリバーに言われた言葉が脳裏に浮かぶ。
『──あの方の懐に入るには、身分もなく財も力もないお前は弱すぎる──』
「……」
そういう視点で見れば、ルーシーはブレアにとって相応な相手なのかもしれなかった。
ブレアと志を同じくする父を持ち、家名もあり、もちろん財力もある。そして、少し泣き虫だが、気も強い。もう少しブレアに慣れれば、彼女はよい妃になるのではないか。……己とは違って。
「……」
そう思うと、自然と視線が床に落ちた。
なんだかとても悲しかった。
しかし。
こっちはこっちで必死らしいルーシーは、そんなエリノアの様子には気がつかずに半べそ顔できっぱりと断じる。
「高め合っていけるのはいいわ。でも、好みじゃないの!」
「あ、ああ……」
ある意味気持ちのいいくらいの言い切りように、思わずエリノアの顔が上がる。
「私、子供の頃からパパみたいな人とじゃなきゃ絶対結婚しないって決めてるのに! ブレア様なんか! ヒゲがないじゃないの! 好みじゃない!!」
「あーあー、泣かないでお嬢様……」
わっと泣き出したルーシー嬢に、ひとまず悲しんでいられなくて。エリノアは複雑な気持ちのまま、慌てて落ち始めた雫を令嬢の頬の上で拭う。
と、頬を行き来する優しい感触に少しだけ気が静まったのか、ルーシーが鼻をすすりながらポツリと言った。
「……エリノア……本当はね……私……好きな人がいるの……」
「……え?」
「王宮図書館館長のジヴ様……分かる?」
そう言われたエリノアは一生懸命考えて、その人を思い出そうとし、そして首をかしげる。
「……確か、物凄い渋めの……おじ様だったような……え? タガートおじ様みたいなって、そう言うことですか!?」
「そうよ、おひげが素敵な紳士よ。独身でいらっしゃるの」
「……なる、ほ、ど……?」
まあ、確かに名前が出た男性は、落ち着いた素晴らしい紳士ということで有名だ。が、……ややルーシーとは歳が離れすぎているような気もするが……
「……えーっと……」
「そりゃ、ジヴ様はお父様よりちょっと下……てくらいのお歳よ。でもね、貴族の結婚では割と年の差婚もありがちじゃない!?」
令嬢は一層複雑そうになったエリノアに、必死の顔を迫らせる。
「(う……)……それ、だいたい政略結婚の場合ですよね……」
「(聞いてない)私、もう五年も前からジヴ様に目をつけてるの。ダンスを頑張ったのだって、ジヴ様がダンスがお好きだっておっしゃってたからで……」
ぽっと頬を赤らめるルーシーに、エリノアは、まあ、人の好みはそれぞれであることだし、ルーシーが幸せならば……と神妙な顔で頷いた。
そんなエリノアの手を、ルーシーはもう一度ガッシリ握りしめた。
「だからエリノア! 私は絶対、ブレア様のお妃候補になるわけにはいかないの! 私……ジヴ様のことが……パパと同じくらいか……それ以上に好きなのよ!」
「う……それは……かなりのご執心ですね……」
令嬢のファザコンぶりをよく知るエリノアは仰け反りながら応じる。しかしハッとした。この話の行く先は、つまり、ルーシーに代わって舞踏会に出ろということではなかったか。
「や、で、でもですね……流石に皆様にお嬢様の妹と偽るのは──」
「何よ!? エリノアはブレア様と私が結婚してもいいっていうの!?」
「う……!?」
バシッと突きつけられて、エリノアは怯んで一歩うしろに後ずさる。
「そ、それは……」
アグレッシブ嬢ルーシーは、どうやら本能的に、ブレアに対するエリノアの気持ちに気が付いているらしい。
「もし万が一、私のあの対決みたいなダンスで国王陛下に、武勇に優れたブレア様とお似合いだ……なんて事思われでもしたら(※かなりありえそう)私は……晴れてブレア様と婚約者になっちゃうかもしれないのよ!? 流石に国王陛下に命じられたら私だって断れないじゃない……!?」
「や、で、でも、陛下だって無理にそんな……」
「何言ってるのよ、そんなの分からないわ! あちらはもうずっとブレア様に婚約者も出来ないってジリジリしておいでなのよ!? お願い! ね!? この通りよエリノア!」
「お、お嬢様、冷静になって下さい! そんな嘘がバレたらタガートのおじ様も無事ではすみませんよ!?」
令嬢の迫力に押されながらも、エリノアが及び腰でそう言うと──ルーシーは、すっと冷静な顔つきになって──静かにエリノアから身を引いた。
「……分かったわよ……」
令嬢の素直な様子に、エリノアは分かってくれたのかとホッとし──……
かけたのだが。
ルーシーは、次の瞬間キッと視線を上げると、気合の入りまくった鼻息を噴出す。
「分かったわ! じゃあ私、今から役所に行って、アンタとうちの養子縁組の書類、揃えてくるわ」
「へっ!?」
「私、こう見えて将軍家の娘よ。色々コネだってあるんだから……こないだシメ上げた令嬢の中にも役所のお偉方の娘だっているんですからね! ……見てらっしゃい、恋する女は怖いのよ! 絶っ対に! 明日の夜の舞踏会までに間に合わせてやるわ!」
「は、はぁぁっ!?」
エリノアは、ルーシーの言葉に……転がり落ちそうなほど瞳を見開いてギョッとしている。
が、エリノアがそうしているうちに、ルーシーはドレスの裾を華麗に掴むと、ふんっと娘を睨む。
「エ~リ~ノ~ア~……首洗って待ってなさいよ!!」
「おっ!? おおおおお……」
お嬢様──…………っっっ!?
……………………と、エリノアが叫んだ時には……
ルーシーの姿は控えの間から風のように消え去っていた。
残されたエリノアは一瞬呆然として。──我に返って。
慌ててルーシーを追いかけたが……その時には、彼女は既に王宮から辞した後であった……
「あ、あわわわわ……!? さ、流石ルーシーお嬢様……なんという身のこなし……」
エリノアは真っ青になって一人戦慄いた。
ルーシーの話はどう考えてもとんでもない話で……しかし、令嬢の顔はどう見ても本気の中の本気で……
アグレッシブな彼女の性質を思うと……とてもではないが、あれが冗談だとは思えなかった。
「ど、どうしよう……!!!?」
なんだか色々と衝撃的で。何から考えればいいのかもよく分からないエリノアであった……
お読み頂き有難うございます(*´∨`*)
暴走展開…書いてて楽しい…笑




