23 エリノア早退させられる
「あれ……?」
モンターク家の商店の前で掃除をしていたブラッドリーは、ふと、姉の気配を感じて手を止める。
顔を上げて通りを見渡すと、遠い雑踏の中に、まだ王宮で働いているはずの姉の頭を見つけて。
その足取りが、どこかトボトボと覚束ないことに、ブラッドリーの胸には不安が過ぎる。
「姉さん……?」
「あら、どうかなさいましたの、ブラッドリー様。そんな鬼みたいなお顔をなさって。店面でそんな顔なさってたら営業妨害でモンターク家に訴えられますわ」
「姉さんが……帰って来た……」
「え?」
「……」
近づいて来たコーネリアグレースにそう言い残し、ブラッドリーは姉に向かって駆け出した。……その後をさっと追いかけていく白い姿は勿論、忠犬ヴォルフガングである……
店面に残されたコーネリアグレースは、二人の向かった先に目を凝らし、あらあらと呟いた。
「……さすが陛下。あんな人波の中の、豆粒みたいなエリノア様をよくお見つけになられたわねぇ……」
「姉さん!」
「……え? あ……ブラッド……あ、れ? もうこんなところまで戻って来てたんだ……」
顔を上げたエリノアは、ブラッドリーの姿を認めると、ハッとしたように辺りを見回した。どうやら、ぼんやりしていて自分がどこを歩いているのかも分かっていなかったらしい。
ブラッドリーは慌ててエリノアの横に寄り添うと、その身を支えて姉の顔を覗き込んだ。
「大丈夫? どうしたのそんなにぼんやりして……どこか悪いの?」
「ああ……うん……ちょっと……体調が悪いってわけじゃないんだけど……見兼ねた侍女頭様が早退しろっておっしゃるから……」
「見兼ねた? 見兼ねたって……何かあったの?」
ブラッドリーが心配そうに問う。
──こんな時、いつもの姉であればブラッドリーに心労をかけぬよう『大丈夫、大丈夫』と笑って手を振る。
しかし……
この時のエリノアは、訳を知りたがる弟の言葉に一瞬押し黙り──………それから、唐突に呻き始めた。両手で己の顔を覆った姉に、ブラッドリーが目を丸くする。
「……うぅ……」
「!? ね、姉さん!? どうしたの!?」
ブラッドリーは慌ててエリノアの背をさする。が、ふと姉の顔が真っ赤なのに気がついた。
「……姉さん?」
「うん……ごめんブラッド……姉さんにもよく分かんない……あれは……一体何だったの……? あ、思い出すと、また混乱して来た……頭はぐるぐるするし、心臓はドキドキしすぎで……う、また……めまいが……」
「!!」
エリノアの赤い顔が今度は青くなって。急によろめいた姉にブラッドリーが青ざめる。
──が。
足から崩れ落ちたエリノアの膝が、固い地面の上につきそうになった直前──白い巨大毛玉がサッとその身の下に潜り込む。
「ぁ……気持ち、ぃ……」
エリノアを支えたのは白い毛玉は……
「! ヴォルフガング……」
「……」
白い大きな犬の姿をした魔物は、どこか渋い顔でふん、と鼻を鳴らした。が、主がホッとしたようにその鼻先を撫でると……黒い瞳はどこか、てれっと垂れていく。
「良かった……有難うヴォルフガング……」
ブラッドリーの感謝の言葉に忠犬は嬉しそうにむふーと鼻から息を出す。彼は人々の行き交う往来で喋ることは出来ないが、その目は凛々しく任せろと主人に訴えていた。
──因みに。この日もリードによって洗われ、ブラッシングを受けたヴォルフガングは本日もいい具合にふんわりモッフリしている。心地よい毛並みに埋まったエリノアは、やや表情に安らぎを取り戻していた……
──と、背後から声がする。
「ブラッドリー様。ひとまずエリノア様はこのままヴォルフガングに家に連れて戻らせましょう。店の裏でウトウトしてるメイナードを叩き起こしてから、あたくしも家に戻りますから。あたくしがちゃぁんとエリノア様の介抱をいたします」
ご安心なさいませ、と微笑むコーネリアグレース。
「でも……」
「だ、大丈夫よブラッド……」
ヴォルフガングの背に身体を預けたエリノアは、心配そうな顔をしている弟にヨロヨロと手を伸ばす。
「私、ちょっと疲れただけだから……」
「姉さん……」
姉の手を取りながら、それでもブラッドリーは不安そうである。
「本当よ。私は大丈夫。ブラッドはしっかりお仕事して来て……ね?」
「平気ですわ。見た所エリノア様は病の類ではありませんし。それに、ブラッドリー様が急に家に帰ったら、リード坊も心配します。陛下のお仕事時間ももうすぐ終わりでしょう? それからお戻り下さい。ね? あたくし誠心誠意フルコースで姉上を労わりますわ」
仕事をきちんと終わらせてから戻ってこいと言い聞かせる二人に、ブラッドリーは……
「……分かった」
と、不承不承頷くのだった……
「……グレン」
姉を見送りながら、ブラッドリーは厳しい声で配下の名を呼んだ。
するとどこからともなく黒い影が足音もなくやって来る。
現れたグレンは主の肩の上に飛び乗ると、通りの他の人間に声が聞こえぬように、
「はぁい、えへ、お呼びですかぁ?」と小声で、にんまり猫目を細めて見せた。
そんな配下に、ブラッドリーは遠くなる姉の背をみつめたまま、凍るような声で問う。
「……姉さんに……一体何があったの……?」
その静かな怒りを湛えた声音に、グレンは背筋にぞくぞくした冷たい悪寒を感じながら──ああ、これは誤魔化せないなぁ、と内心で笑った。
お読みいただき有難うございます。
…どうしてもおケモノ様を出したい書き手のヴォルフガングねじ込み感が酷い。笑
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