18 魔王の不安
「……」
その一団は、明らかに異様な雰囲気を醸し出していた。
薄暗い王宮の城門前。
ずどんと仁王立つ豊満な身体の婦人。大きな大きな白い犬。そして……──うとうとしている老人。
彼らだけでも十分異様だが、その中心に一人少年の姿があった。
少し痩せ型の瞳の大きな少年だ。夜の色を映し、より深くなった緑色の瞳は暗く高い城門を見据えている。
城門の出入りがちょうど見える真正面。少年は表情のない顔で静かに立っている。──静かに、内にある苛立ちをふつふつと漲らせている……そんな顔だった。
ふと、少年の口からつぶやきが漏れる。
「……面倒だな、もういっそ……」
暗い声にすぐさま婦人が反応して少年を振り返る。
「あらいやだ! 陛下がまた物騒なお顔なさってる! ……お夕飯の糖分ちょっと控えめにしすぎたのかしらね?」
「そう言う……問題か……?」
「ブラッドリー様ぁ! 大丈夫、エリノア様ならすぐにお戻りになられますわ~」
ボソっと突っ込んだ白犬ヴォルフガングを華麗に無視して、コーネリアグレースはブラッドリーの側でニコニコと両手を組んで微笑んだ。
それをやれやれと見ながら、ヴォルフガングが小さく言う。
「陛下……やはり家に戻りませんか。だんだん夜風も冷えて──」
途端白犬はペシリっと、額を叩かれる。
「おやめ。あんたはあんまり話すんじゃありません。誰かに聞かれたらどうするの。本当に空気を読まない犬なんだから……」
「……」
城門前の広場には、たくさんの人が行き交っている。女豹婦人は長いまつ毛に覆われた瞳で白犬をジロリと睨みつけた。
「ブラッドリー様がここでお待ちになりたいって仰ってるんだから黙って従いなさい。家でイライラされて住処が消し炭にされるよりマシじゃないの! こんな時間に寝床がなくなったらどこぞの屋敷でも乗っ取るしか無くなるのよ!? あたくし、あのこぢんまりしたささやかな家が案外気に入ってるの、狭くて掃除がしやすいんですもの!」
「お……お前な……」
何気に無礼なことを平気で言う婦人にヴォルフガングがハラハラしている。が……ブラッドリーは何も言わない。
正直、彼は今それどころではなかった。
いくらグレンから連絡が来たとはいえ、姉がこんなに遅い時間まで王宮から帰ってこないことがとても心配だった。
しかも知らせに来た黒猫は、にゃはーと、笑いながら……
『姉上は今日は残業ですー。場所はブレア王子の寝所……あ、違った! 寝台……じゃなくって、うふふ、私室ですー』
……と、実にイラっとする報告を上げてきた。それで彼の心配が加速した感は否めない。
「…………ヴォルフガング……」
しばし無言で城門とその奥に控える王宮を見つめていたブラッドリーが、不意に、ポツリと呟いた。
呼ばれた白犬は、(コーネリアに僻みっぽい目でねめつけられながら)静かに主人の言葉を待っている。
「……」
「僕は……王宮が嫌いだ。……今生での僕らの父さんは……王宮の奴らに殺されたも同然なんだ……」
静かな声が夜の景色の中に消えていく。
王宮内の派閥争いの末に父が帰らぬ人となったことを、ブラッドリーは忘れていない。
だから、と少年は続ける。
「……不安なんだ、また、姉さんまでアイツらに取られるんじゃないかって……」
心内を吐露すると、無言のヴォルフガングがそろりとブラッドリーに寄り添って来た。
その毛並みをそっと撫でながら、ブラッドリーは苦しげなため息をつく。
姉が心配で心配でたまらない。だと言うのに、城門は彼が姉の元へ向かうのを拒む。
魔力の強い彼にとっては、あんな城の門など紙のようなものだ。押し入ろうと思えばいつだってそう出来る。
けれども、その紙にも等しいものを、エリノアの存在が強固な守りに変えていた。
姉が侍女という職を大事にしていなかったら、ブラッドリーは今すぐにでも衛兵たちを蹴散らして、城門を破壊し、王宮に侵入することができただろう。そもそも、転移も自在の彼にはそんなことすら必要がない。王子の居所にも、国王の寝室にだっていつでも侵入は思いのままだった。
しかし、
ブラッドリーはどうしても、姉の立場を危ぶませることには躊躇いがあった。
今すぐ王宮に侵入して姉を連れ帰りたいのは山々だ。だが……それでは姉の立場が悪くなる。
王宮の出入りには記録が付きもので。
まずその中に入るには、城門を通り、そして使用人通用口での検問を受ける。エリノアのような通いの使用人も、その他の来訪者と同じように、入った記録があれば必ず出たという記録がなければならないというわけだ。
その記録がない者は、漏れなく王宮での取り調べを受けることになる。
面倒なようだが、国の中枢としては当然のことだった。
しかしブラッドリーはそれさえなければと腹立たしかった。
せっかく強大な力を得ても、これではなんの役にも立っていない。
「どうして姉さんは王宮なんかに……」
思わず口から恨み言がこぼれ落ちた。
姉が自分のために必死で働いていることはもちろん分かっている。だが、幼い頃に父を奪った王族たちを、ブラッドリーはどうしても許すことは出来なかった。それは姉には打ち明けたことのない感情だった。『恨んでる暇なんてないわよ』と辛そうに笑いながら毎日王宮に働きに出る姉。──そんな彼女のために働くことも出来ない自分が、どうしてそれを言えるだろう。
配下たちが無言で彼を見ている中で、少年は冷淡な表情で城門の向こうにそびえる王宮を睨んだ。
その瞳には深い怒りが込められている。
「もういっそ……あんなもの破壊してしまえば清々するのに……」
──出来ないことではない。
破壊など簡単だ。
事実、繰り返される魔王としての生の中で彼はずっとそうしてきた。
繰り返し繰り返し、人を憎み、人の世に攻め入った。同じように再び人の街を瓦礫の山にして、姉が気にする全てのしがらみを破壊すれば、いっそ清々しいかもしれない。
そうすれば、もう、あの忌々しい金の髪の男を気にすることも、いつ誰に姉を奪われるかなどと言う不安も感じなくてすむ。
子供っぽい思考だとどこかで自分を嘲笑いながらも、ブラッドリーは暗たんとした気分だった。
自分は以前とはひどく変わってしまった。
強い力を得たことは嬉しい。それは姉を助けることも出来る力だから。でも──素直に姉を慕っていただけのブラッドリーには、もう二度と戻れないのだと思うと苦しかった。
姉はどんな自分でも受け入れてくれるとは言ってはいたが、きっと本心では、昔のブラッドリーに戻って欲しいと願っているに違いない……
そう思うと、ブラッドリーの中で自暴自棄な感情が次第に大きく膨らんでいく。
──そんな彼の暗い感情に応じるように、「では……」と、密やかな声がした。
「……そう、なさいますか……?」
長くなったので分割。
ちょっとウツ展開なので、本日連投します。早くコメディに戻したいので(^_^;)
暗い所は難しいですね。遅くなってしまいました(>_<)乗り越えたら、性悪猫と絡ませて漫才させるんだ!と、思いながら書いてます…




